スキル
転機は意外とすぐに訪れた。
……とは言ってもルヴェルくんが五歳の誕生日を迎えた後の話だけど。
この世界で五歳というのは特別な意味を持っているようで、彼の誕生日は盛大に祝福された。もちろん田舎騎士の家庭のお祝いなんて貴族や王族などと比べれば高が知れているが、それでもご馳走と呼べるような異世界料理が並ぶのは圧巻だった。
ついルヴェルくんの体を深夜に拝借して、残り物を漁りにキッチンに忍び込んでしまうくらい美味しそうだった。というか美味しかった。普段は食べ物のために表に出ることなんてなかったけど、つい、ね? 我慢できなくなってさ。
ほら、我慢は身体に悪いってよく聞くし? 異世界の――しかも美人な奥さんの手料理だってたまには食べてみたいじゃないか。
……え? お前に我慢するような体は無いだろって?
ちょっと何言ってるのかわからないな。
あーそうそう、わからないと言えばルヴェルくんへの誕生日プレゼントも謎だった。
父のジンからはサバイバルナイフのような短剣。まだ身体の小さい彼にはちょうどいい大きさだろうからって渡していた。成長した後も予備として使えるから便利そうだ。
五歳児への贈り物とは思えないけどそこは異世界クオリティ。今更ツッコミは詮無きこと。
騎士の家庭だしね。それが普通なのだろうさ。母のセレナなんてルヴェルの身長より長い実剣だったし。もはや何も言えない。
唯一、異世界現代人だった僕から見てまともだったのは姉のリズリィだ。
彼女はケーキを用意していた。しかも手作り。
果物をふんだんに使ったパウンドケーキのようなお菓子はとても美味しそうで、その時だけはルヴェルくんからも笑顔が溢れていた。
残念なことに僕はそのケーキを食べることはできなかった。
よほど美味しかったのか余らなかったからね。
まぁ、余ったとしても僕は遠慮して食べなかったかもしれないけど。
あと、そうだ。
僕も彼にプレゼントをあげている。
もちろん直接は渡していない。
僕の存在は秘密でまだ誰にも打ち明けていないし、するつもりもない。だからこそこの五年間はずっと独りで魔力操作の鍛錬に費やした。
そして、それこそが僕からルヴェルくんへのプレゼントでもある。
彼はまだ気づいていないかもしれないが彼の――僕たちの身体は魔力を手足以上に自由自在に操れるほど馴染むようになっている。
要は単純な身体強化だ。
魔力を身体に流せば岩を持ち上げることもできるし殴って粉々に粉砕することもできる。もちろん魔力を纏えば防御力も高めることができるので怪我の心配もいらない。
本気で走れば車並み早く走れるし、飛ぼうと思えば二階建ての民家の屋根にだって助走なしで飛べる。水の上に立つことだって可能。
他にもできることは沢山あるが挙げたらキリが無いのでここまでにしよう。
とりあえず超人のような身体に仕上げることができたので、それをプレゼントということにしたい。当然、拒否権はない。運命共同体としてルヴェルくんには諦めてもらおう。
ちなみに全部検証済み。だからあとはルヴェルくんが今の僕と同程度の魔力操作ができるようになれば、自分の身体をさらに使いこなせるようになるだろう。
さらに僕はこの五年の間に魔力を研究し、その操作を極めに極め、日中は魔力による身体――魔力霊体を手に入れることさえできた。もはやルヴェルくんの背後霊どころか守護霊に近い。というかスタンド? 外部に干渉することすらできるようになったからオラオラオラオラって殴ることもできる。
これでさらにスキルも加わればルヴェルくんは最強の騎士になってしまうんじゃないだろうか。
「ルヴェル。このスクロールを手に持って、両手でしっかり握るんだ」
「はい、父さん」
村から馬車で一日ほどの距離の先にある街。
ヴァダル街。
領主が住むこの街には教会があり、ルヴェルくんとその父であるジンはそこに顔を出していた。
礼拝に来たわけではない。
ここでは神に祈る他にもやれることがある。
「準備はできたね? じゃあゆっくりと広げて手に魔力を込めて」
「……」
父の言葉に従いながら、ルヴェルくんがスクロール――巻物を広げていく。
この巻物の名はスキルスクロールと言って、個人が持つ個別スキルの名称を教えてくれる。
そう、スキル。
この異世界にはスキルという能力がある。
スキルとは千差万別で、例えば母のセレナ。
彼女は『火魔法』というスキルを生まれながらにして持っている。
魔法? 異世界人は魔力を持っているんだから魔法を使えるんじゃないの?
――って思うだろ? 僕は最初にそう思った。
だけど違うらしい。
この異世界はそういう仕組みになっていないみたいなんだ。
魔力。
魔力とはエネルギーであり、基本的には身体強化をするためのものである。
そしてスキル。
スキルとは人間が生まれながらにして所有する個別の特殊能力である。魔力とは密接な関係にあり、そのほとんどは魔力を使用してスキルを発動することになる。例えるなら家電。魔力が電気で、スキルが家電製品。お湯を沸かせるし、物を焼いたり冷やしたりもできる。みんながそれぞれの家電を持っている。
そんでもって『火魔法』というスキル。
この『火魔法』こそ僕たちがRPGなどで慣れ親しんだ魔法であり、手から火の玉を出したり地中から火柱をあげたりすることができる神秘の術なのだ。
セレナの場合は『火魔法』を使って火種で薪を燃やして料理をしたり、刀身に炎を纏わせて魔物を焼き払ったりすることで活用している。そして『火魔法』のスキルを持っていないジンなんかは近くにセレナがいないときは火打石を使って火を起こしていた。
つまり、この世界の住人は『魔法』というスキルを持っていないと魔法が使えないということだ。
……なんか構文みたいになってしまったけど、これが事実。
魔力の使い道も個人のスキルで変わる。
セレナは『火魔法』を発動するために魔力を消費するが、ジンの場合はスキル『疾風』に魔力を当てている。
ジンのスキル『疾風』は風を操る能力で、風の力でさらに速くさらに高く跳べるようになり、剣を振ればかまいたちのような風の斬撃をも放つことができるようになる。
自分のスキルによってその人の戦い方――あるいは生き方が決まるようになる。
それはつまり人生の分岐路と言ってもいいだろう。
今、ルヴェルくんが開いたスキルスクロールにはこれから文字が浮かび上がってくる。
スクロールに魔力を送った人間のスキルが紙の表面に表示されるようになるからだ。
ある意味、自分のスキルが見れるなんてファンタジーな要素ではあるが見方を変えれば健康診断表と同じようなものだ。
自分の血を見てもなんの数値も出てこない。せいぜい「赤くてドロドロしてそう」みたいな感想が関の山だ。だが医療機関を通せばコレステロールや中性脂肪の値をこの目で確かめることができる。
このスクロールは魔力に秘められたスキルを言語化しているだけであり、検査しているだけなのだ。
教会はスキルスクロールの無料配布を行っている機関でもあり、一般的に魔力の安定期と言われている生後五年に受診することが慣例となっている。
つまりは今日、ルヴェルくんは自分が持っているスキルが何なのか、初めて知ることができるのだ。
「……父さん、何も映りません」
「え?」
あれ?
「そんなはずは……」
ジンがスキルスクロールを覗き込み首を傾げる。
おかしいな?
僕はジンに「スキルを調べるために少し遠出するよ」って言われてここまで来たのに……いや、正確にはルヴェルくんがそう言われ付いていったんだけどね? スキルの説明だってジンとセレナの受け売りに僕の解釈を混ぜただけだし……二人の説明が間違っていたのか?
でも、近くにいた教会関係者の神父も不思議そうな顔をしてる。
「ちょっと貸してみなさい……お父さんのはちゃんと出てるな」
息子からスクロールを受けとったジンが魔力を込めると、そこにはでかでかと『疾風』と異世界言語で表示されており、スキルの説明みたいな細かい文字まで並んでいた。
ほう、スキル『疾風』はその気になれば空を駆けることもできるのか。
短時間だけみたいだけど夢のある能力だな~。僕も水の上は走れるようになったけどまだ空は飛べないんだよねー……って、今はそれどころじゃないか。
「それ以上持ち続けるとお父様専用のスクロールになってしまいますよ」
「おっと、いけない」
神父さんに注意され、ジンは慌てて魔力を切る。
スクロールの文字が泡のように消えて、また元の白紙の巻物に戻った。
どうやらこのスキルスクロールは送られてきた魔力をすぐに覚えてしまうらしく、個人専用のスキル表になってしまうらしい。
ま、だからわざわざ教会まで足を運んでいるんだけどね。
毎回白紙に戻ってくれるなら一家に一巻あれば事足りるってことだし。それができないから個別で必要になってくるのだ。
「もう一度、魔力を送ってごらん」
「はい」
ジンにスクロールを手渡され、ルヴェルくんが真剣な顔で手に力を込めている。
彼の手には魔力が宿っている。魔力霊体中の僕の目から見てもわかるから、やり方は間違っていないはず。
でも――
「……でません」
「そんなバカな」
どうやらスキル名が映らないようだ。
僕もジンと同じ気持ちだ。そんなバカなってルヴェルくんの肩越しにスクロールを覗く。
だがそこには何も書かれ……って、あれ? 左上にちっちゃく文字が書かれてないか?
「非常に申し上げにくいのですが……ご子息はスキルに恵まれなかったのやもしれません」
「いや、待ってくれ! 俺たちの息子に限ってそんな……! 上の娘は『雷』の始原スキルを持っていた。息子だけが何もないなんて――」
「昨年のことですね。私も覚えていますよ。ですが極めて異例ではありますが――」
おいおいちょっとした言い争いになってしまったぞ。
親としては自分の子供にスキルがないなんて信じたくないのだろう。焦る気持ちもわかる。
だけど待ってほしい。
どう見てもこのスクロールの左上にスキル名が書かれてあるじゃないか。
誰か気づいてくれ!
「スキルが……ない」
僕の願いも虚しく呆然自失といった感じでルヴェルくんが立ち尽くしている。
あれ? 本当に誰も気づかないのか? 確かに文字は小さいけど読めないわけじゃなし、紙の質がいいから何なら文字は目立つ。
『獣化』
スキルスクロールにはそう書かれていた。
そして僕が『獣化』の文字を霊体の指でなぞるとスキルの解説が文字として浮かび上がっていった。
これはもうさすがに見逃すわけがない――のだけど、どうやらこれでもルヴェルくんたちは気づかないらしい。
いや、気づかないのではなく、見えない……のか?
僕のことが誰にも見えないように、このスキルの文字も見えていない。
だとしたら、それは……
もしかして、これは……
僕のスキルなのか?