現状把握って本当に大事
さて、僕が転生してから三年が過ぎた。
最初からわかってはいたけどここは日本ではなかった。そもそも両親――ジンとセレナは日本語を喋ってはいなかったし、顔立ちも外国人って感じだったからそれは覚悟していたことだ。
でも、ここは外国ってわけでもなかった。
いや、外の国っていう点ではあながち間違いではないのかも知れないけど、外は外でも“世界の外”だった。
ここは俗にいう“異世界”だったのだ。
つまり輪廻転生だと思っていた僕の新たな門出は、実際は異世界転生によって幕を開けていたということになる。
どうりで変な力を使えたりオーラみたいなものが見えたわけだ。
これは所謂魔力というやつでこの世界の住人が最初から持っている力だ。
基本的には身体を強化して速く走ったり重いものを持ち上げたりすることができ、人間が意識的に使うことができる第二の筋力といっても過言ではない。
簡単に言ってしまえば魔力とはアシストパワースーツみたいなものだ。
だけどこの魔力には欠点があり使っていれば当然疲れる。ものすごく疲れる。何なら普通に動いて体力だけを消費した方がいいくらい燃費が悪い。
だからなのか、この世界の住人は前の世界の人間とそう変わらない生活基盤で働いている。体を動かして畑を耕し、水は川とか井戸から汲み取る。家畜からは乳と卵を収穫し、肉は狩りで手に入れる。魔法で水を生み出して――なんて便利な話は一般的にはない。
おかげで僕にとっては不便ではあるが馴染みやすい環境ではある。
何とも夢のない話だけどね。
……まぁでも、魔力を前提とした生き方もあるにはある。
ジンとセレナがいい例だ。
二人は駐屯騎士であり騎士とは魔力を扱って戦うのが基本だ。
というかこの世界で戦うなら魔力は必須だ。
騎士に国の兵士、あとは冒険者もそう。彼らは魔力を身体に巡らせ、あるいは纏うことで攻撃と防御を両立させている。
この世界には魔物という魔力を持った生物が存在し、そいつらを狩って生活をしないといけない。狩るには当然、魔力で対抗しなくてはいけない。切っても切れない関係とはこういうことを言うのだろう。
だから――という訳ではないが僕は毎日魔力の鍛錬を行っている。
こうやって夜中に部屋を抜け出し、こそこそ一階に降りたのも魔力の扱いを完璧にするためだ。
というか、それぐらいしかやれることがない。
「よっこらしょっ――と、ん?」
一階にリビングに付き大きめのソファーをよじ登る。その時、右手に違和感を覚えた。
「なんだ血豆か……これぐらいなら魔力で治せるな」
おそらく日中の剣術の鍛錬中にできたものだろう。潰れてはいるが放置する理由もない。これも魔力操作の一環だしね、サクッと治しちゃおう。
「勉強熱心だねルヴェルくん」
己の身体を労いながら反対の指で血豆をなぞると、綺麗さっぱり治療することができた。我ながら会心の出来だ。痕も残ってない。
傍から見たら自分のことを自画自賛している痛い幼児に見えるのだろう。
だけどしょうがない。
僕は彼じゃないし彼も僕じゃない。だから彼のことをルヴェルくんって勝手に呼ぶのも仕方のないことなんだ。
……え? じゃあ僕は誰なんだって?
ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた。
吾輩は異世界転生者である。名前はまだない。
うん、言いたかっただけ。
でもこれが真実なんだ。
僕は確かに転生した。
通り魔に刺されて三階から落ち、気づいた時には赤ん坊だった。
でもあの時、一つの違和感があった。
身体が動かないって違和感。
あれはね赤ん坊だから動かしづらいとかそういう話ではなかったんだ。
あれは自分の体じゃないから動かなかったんだ。
僕は本当に異世界に転生した。
現地人の第二の人格として。
要は二重人格の裏人格が僕ってこと。
……あ、そういえばこっちはお姉ちゃんと繋いでいた手じゃないか。痛かったはずなのにそれでも姉の要望に応えていたなんて――
「なんていじらしい弟なんだ、ルヴェルくん」
だから僕に名前はない。
誰も付けてくれなかったからね。
……いじけてないよ? 伝えるタイミングを逃しただけだし必要性も感じなかっただけだから。
そもそも前世とはいえ中年間近なおっさんがあの頃の僕より若い夫婦に対して「あなた達のもう1人の息子です。認知してください」なんて……言えないよ!
前世の記憶が無ければただの裏人格として接触を試みたかもしれないけど、さすがにこの状況では二重人格だということは告白しづらい。
せっかく仲のいい家族なんだ。僕という異分子で水を差したくないんだ。
だから僕はルヴェルくんの裏人格らしく影に潜むことにした。普段の私生活は彼の物であり、僕は来るべき日に向けて魔力の特訓を続けることで平穏を維持する。
それに自分の体じゃない――なんて大袈裟に語ってしまったけど、正確には僕の体でもある――って考えた方が正しいとは思っている。なんなら人格の切り替えは僕に決定権があるくらいだしね。
例えるなら、自動運転車に乗っている運転手が僕だ。ハンドルを握ると人格の主導権がこっちに移り、握っている間は僕が運転をすることができる。
でも基本的にこの体の所有権は表人格であるルヴェルくんのものだ。それが自然な形だとは思うし、僕の意識は眠ることができないみたいだからこのまま背後霊のような存在として彼の人生を見守るだけだ。
こっちの方が何かと都合のいいことが起こるかもしれないし。
幸いルヴェルくんを含め、誰も僕の存在を知らない。
彼の体にもう一つの魂があること、そしてもう一つの魔力があることも、気づいていない。
どうやら魂と魔力は結びついているらしく、ルヴェルくんには彼専用の魔力が、そして僕にも僕専用の魔力が備わっている。
ある意味、魔力だけがこの異世界で手に入れた、たった一つの僕の自由なのかもしれない。
だからみんなが寝静まっている間だけは僕の時間だ。
魔力をいくら使おうがルヴェルくんが疲れることがないなら遠慮する必要もない。
日中に体内で魔力をこねこねするだけでは特訓としては足りない。実際に身体に魔力を通し、馴染ませなければ身体強化の真髄には辿り着けないだろう。
僕は異世界に転生して意思だけの魂になり自由とは程遠い存在になってしまった。
でも、僕は魔力に可能性を見出している。この眠ることのできない魂でひたすら魔力を鍛え上げ強くなれば、あの日、あの時に憧れた“本当の自由”を手に入れることができると、そう信じている。
だから、
「今夜は魔弾の射的練習と……あとは水の上に立つ訓練の続きでもするか」
今日もまた超人じみた魔力操作を続けるのだった。