特殊個体オーガ
オーガとは昔話の鬼のような魔物だ。
一言で言えば筋骨隆々。
子供の胴回り以上の太い腕。鋼鉄のように硬い皮膚。強靭な顎に天を衝くような鋭い牙。
生半可な剣の腕では傷一つつけることができず、その危険度はゴブリンなんて目じゃない。
魔力を持ってるとはいえ田舎の子供が相手にするには荷が重すぎる相手だ。
「あ、あ、あ……うわあああああああああ!」
最初に逃げ出したのはロイスだった。
来た道を一目散に駆け出すその姿はある意味見事だった。彼には『戦う』という選択肢がなかったようだ。
RPG風に言えば『スキル』『アイテム』『逃げる』のコマンドしかないようなものだ。
有効なスキルもなし、アイテムもゼロ。
無理ゲーでしかない。
しかしまわりこまれてしまった!
ってことにならなければ逃げ一択が正しい。
「くそ! 中止だ、中止!」
バルドもそれがわかっているのか遅れて走り出す。
ゴブリン討伐の途中だけどそうも言ってられないし、さすがの彼もルヴェルたちに「代わりにオーガを倒してみろ」とは吹っ掛けないようだ。
下手したら死んじゃうからね。
当然っちゃ当然……なんだけど――
「……? は!? おい馬鹿! 何をぐずぐずしてるんだ!」
振り返ったバルドがこっちを見て驚いてる。
そりゃそうだ。
ルヴェルとゼナヴィアが一歩も動こうとしていないのだから怒鳴りたくもなる。
腰が抜けて動けない、というわけではない。
ゼナヴィアはオーガを見上げながらしっかりとした足で立っているし、ルヴェルはそんな彼女の動向を見守るように隣で待機している。
「……倒せるかな?」
ゼナヴィアがオーガを視界に捉えながらそんな質問をしてきた。
――って本気か? お嬢さん。
一撃でも受けたら致命傷は免れない相手だ。緻密な魔力操作ができれば防御力も鍛えることができるけど、2人はまだまだ未熟だ。
悪いことは言わないから逃げた方が賢明だって。
「戦うより逃げた方が生き延びるチャンスはある。村まで逃げれば母さ――駐屯騎士たちが駆けつけてくれるはず」
「うん。それが正しいと思う。その判断は間違ってないって、あたしでもわかるよ。でも……」
「……」
「あたしたちが逃げたら見捨てることになるよね?」
そう言ってゼナヴィアは転がっている護衛の男に目を配った。
まさか自分の護衛を助けるために残るとか言うつもりじゃないだろうな?
本末転倒だ。
「……護衛の人は逃げろって言ってたぞ」
「うん。でもここで逃げたらラウンズロッド家の名折れのような気がするんだ」
おいおいマジか。
その家名にどれだけの誇りがあるのか知らないけど死んだら終わりだよ?
経験者だから語っちゃうよ?
……って、あ、いや、ダメか。
僕の場合は転生しちゃってるから説得力ねーや。
「さっきはビックリして気づかなかったけど、彼はまだ死んでない。でもここに残していったらオーガに食べられちゃうかも」
それなら注意を引きつけながら逃げれば?
と、指摘するのは簡単だけど実行するのは難しい。もしオーガが挑発に乗らなかったら護衛の男は無防備のまま襲われてしまう。
それなら最初から戦ってしまおう。という魂胆――いや、覚悟なのだろう。
正直、無謀だ。
ゴブリンをうまく討伐できてしまったせいで調子に乗ってしまったのだろうか。それとも秘策があるのか。
どちらにしろ残ることは確定なようなので頭が痛い。
なぜならこんな彼女のことをルヴェルが見捨てるわけがないからだ。
「ゼナヴィアの従者騎士になる人は大変そうだ」
ほらね。
憎まれ口を叩きながら前に出ちゃったよ。
「……あはっ、それはきっと年下のかっこいい男の子なんだろうな〜」
嬉しそうだ。
てか、めっちゃ惚気てんな。
先が思いやられるぜ……。
「さっきと同じフォーメーションで戦おう。俺から仕掛ける」
「うん、お願い。『連携領域』はもう発動してるからいつでも行けるよ」
誰もこの2人を止められない。
ちなみにバルドはもういなくなってしまった。ルヴェルたちが話している間に業を煮やして「くそがっ!」と悪態をついて走り去ってしまっていた。
せめてこの2人も全力で逃げてくれればよかったのに。
オーガがゼナヴィアたちの視界の外にいるならどうとでもなる。
森には彼女たちがすぐ近くで控えている。おおかた森の異変を感じ取ったか僕の魔力に惹かれて様子を見に来たのだろう。
姉妹なら倒せた。
そう、キキョウとリシアなら。
僕が直々に鍛えているから魔力量は昔と比べ物にならないし魔力操作の技術も急成長している。
オーガ程度では苦戦することはない。
ルヴェルたちが逃げれば見えないところで処理してくれただろう。だが、戦うことを選んだせいで彼女たちが姿を現すことはない。
僕の言いつけを守っているから。
ルヴェルたちの前には出てくるな、という僕の言いつけを。
だからこのオーガとの戦いはルヴェルたちが自力で倒すか、もしくは気付かれないように僕自身が処理するか、の二つに一つ。
そして僕が表に出て戦うためには……うん、言葉は悪いけどゼナヴィアが邪魔だ。
でも様子を見る限りルヴェルにとってゼナヴィアとの関係は将来的に良い影響を与えそうな気がする。
僕にとってルヴェルの身の安全が最優先ではあるけど、だからといってゼナヴィアを見殺しにするという選択肢はナンセンスだ。
オーガによってゼナヴィアが殺されてから僕が表に出て処理する――という流れが一番手っ取り早いのはわかっている。それが愚策だということも。
ゼナヴィアが死んだことに負い目を感じてルヴェルが塞ぎ込んで引きこもりのニートになった、とか笑えないからね。
結論、隙を見てゼナヴィアを気絶させ、その後に僕が倒す。それまでは2人の実戦を見守り陰ながら応援する。
それでいこう。
なんとかなるような気もするんだよね。
目の前のオーガはなぜか全く動かないし、バルドたちが逃げてもルヴェルたちが呑気に相談していても攻撃すらしてこない。
もしかしたら空気が読める魔物なのかもしれないね。
僕が変身――じゃなくて僕に変身するのを待ってくれる、そんな日曜朝の敵みたいな空気読みがあのオーガにはできるのかもしれない。
どうせならそのままじっと膠着状態を維持してほしいな。
今頃、姿の見えない領主の娘を捜索する為にジンたち駐屯騎士が動いていることだろう。
帰還したバルドたちと鉢合わせになれば救援に来てくれるはずだ。
だからこのまま時間を引き延ばして――
「ソウダンハ、オワッタカ」
……なんて?
今のカタコトの言葉……まさかオーガが?
「魔物が喋った……?」
「うそ……ありえないよ」
ルヴェルとゼナヴィアも驚いている。
僕だってそうだ。
魔物が喋るなんて聞いたことがない。
今まで出会った魔物にそんな特性はなかった。
「ヒョウテキハメスノスキル。オスハシラナイ」
オーガは再確認するようにゼナヴィアを指差して「標的」と口にした。そしてルヴェルのことはどうでもいいのか「知らない」らしい。
つまり偶然姿を現したわけではなくて目的を持って登場した……ということか?
しかもゼナヴィアをご所望らしい。
厄介だね。
逃げても見逃してもらえないってことだ。
「オマエヲツレテイク。オスハ……ココデクウ」
「……っ!」
「ゼナヴィア! 構えろ!」
恐怖のためか身震いするゼナヴィアと、その彼女を隠すように前へ出るルヴェル。
どうやらこの魔物は一筋縄じゃいかないようだ。
「ハラヘッタ」
そんな緊張感の欠片も無い言葉が開戦の合図となった。