父のフルート
音楽好きな父だった。いつからそうだったのかは知らない。
私が物心ついたころには既に車にはカセット付きラジオがついていて、ドライブの時にはいつも、そこから流れる曲に耳を傾け、時には一緒に口ずさんでいた。
一番覚えているのは、童謡の「どじょっこふなっこ」だ。
はーるになれば しがこもとけて
どじょっこだのふなっこだの
はるがきただと おもうべな
(作詞:秋田民謡 作曲:岡本 敏明 編曲:服部 公一)
なんか意味とかよく分からなかったけど、幼い私にも覚えやすいシンプルな音程に楽し気な歌詞で、面白かった。
両親の実家に向かう車のなかで、ハンドルを握る父と一緒によく大声で歌った。
小学校2年の時に小さな家を建て、借家からそこに引っ越してからだったと思う。
なけなしの給料で、ローンで買ったらしい「ダルメシアンわんこマーク」Victorの大きなステレオセットが客間にドカン、と据えられた。
どこで買ってくるのか、いつの間にか増えているレコードはクラシックが主だったが、カセットテープは演歌、民謡、童謡や唱歌、歌謡曲、太鼓などがずらり。ジャンル問わずだ。
家でも車でも、いつも何かしら音楽が流れていた。
父は夕飯が終わると良く、フルートを吹いてくれた。
部隊で音楽に携わっていたわけでもない、昔 何か手習いをしていたわけでもない。
どうやら、行きつけの質屋で一本のフルートに出逢い、憧れもあって入手してみた、そういうものだったんじゃなかろうかと思う。
でも私が覚えているのは、楽譜を見ながら上手に、楽しそうに吹いている父の姿だ。
少し息が混じったかすれたような音も「そういうものなんだな」と思って聴いて居た。
父のフルートが好きだった。楽しそうに吹く姿を見て、私もやっぱりやってみたくて仕方なかった。
父の手ほどきで一度ならず何度も、チャレンジしてみた事がある。
結果はいつも、どうしても「手が届かない!」
致命的だった。
身体の小さな私には、上の穴は何とか塞げても一番下の薬指、小指の穴を満足に押さえられないのだった。挑戦するたびに、ガッカリ悲しかった。
そのうち自分は歌を歌う愉しさを知って、フルートにはこだわらなくなっていった。
兄のほうは、父の影響でフルートを吹くようになった。
新品のフルートなんて高くてとても手が出せないから、少し新しめの中古のフルートを行きつけの質屋で買って貰ったのだった。
駅前の古びた小さな質屋に、毎週のように父は通っていた。そこに何かを預ける為ではなく、趣味のカメラや家電などの掘り出し物を見つけるのが何より楽しかったらしい。気付くとそんな品々を買ってきていた。
時折連れてって貰うと、狭い店内のガラスのショーケースやキャビネットの中、そして壁一面に、楽器、カメラ、家電製品、釣り用具、雑貨類、宝飾品、絵画などなど色んなものがびっしりと並べられてあった。
確かに、宝探しをしているような面白さがそこにはあったと思う。
そのフルートを持って、兄は近くの音楽教室に週一で通い始めた。
そして中学校では吹奏楽部に入り、1年生ながらフルートやピッコロの担当になった。
そんなころには夕食の後、テレビに面白いのが無かったりすると「やるか!」と言って、よく気まぐれ演奏会が始まった。
居間と寝室に使ってる6畳二間の奥側の和室が、臨時のステージだ。
ふすまを開け放って、2本の譜面たてを蛍光灯の下に据え、それぞれがケースからフルートを取り出して組み立てて試し吹きをし、合奏が始まる。
とはいえ二人とも そう沢山のレパートリーがあるわけじゃない。かろうじて二人が一緒に演奏できる曲は一緒に。そうでない曲は、父が一人で吹いた。
即興ステージの目玉は決まって、父の十八番「トロイメライ」だ。
柔らかな優しい旋律にフルートの温かな音色がとても心地よかった。幼い私も大好きな曲だった。
父の「トロイメライ」を一緒に聴いて育った兄も、徐々に吹けるようにようになっていった。
母と私は、黙ってそんな音色に耳だけ傾けていた。夕食の洗い物や、明日の朝食や弁当の支度をしながら。ちゃぶ台に宿題を広げながら。いつものように、聞き流すのだった。
実は母も音楽好きで、昔はコーラス部だったという。彼女の本気の歌声は聴いたことがなかったが、家事をしながらいつも口ずさんでいた唱歌は良く澄んだ優しい歌声。綺麗なメゾソプラノだった。
私は楽器はできなかったけど学校の音楽で習う合唱曲や唱歌が好きだったから、知ってる曲なら時にはフルートに合わせて歌ったりもした。
日々の暮らしは決して楽ではなかったけど、我が家はそんな風に家族して「音を楽しむ」暮らしをしていたんだな、って今は思う。
「なんちゃって音楽一家(笑)」ではあった。
私が中学2年の時だったと思う。
父は通勤途中に交通事故に逢った。(このことは別の機会に書きたいと思う)
右脚そして右手の薬指を複雑骨折し、傷が塞がった後も指が曲がらなくなってしまった。
達筆だった父だが、ちゃんと文字が書けるようになるまでにリハビリには長い時を要した。
それから再びフルートを吹く父の姿を見ることは、無かったように記憶している。
もう一度、聴きたかったな…。父のフルート。