20話
「ふわぁ~あ、眠たい……おはよ」
翌朝、女の人の声で起こされたのは人生で初めてだった。いや、よく耳をすませば鳥の声も聞こえた。
目を開けると二段ベッドの上段に腰を掛けて衣紗菜は、部屋の窓から外を眺めていた。
「……うーん。おはよう」
「おはよう、はベッドの中で言うことじゃないよ。……はぁあ。昨日、初対面であんなに言い争ったのにさ、自分で言うのも何だけど呑気なものよね……ほら起きて」
俺は無理やりたたき起こされてまだボーっとしている頭を起こすために部屋の電気とテレビをつけた。視線の先の画面には俺が生まれる前からある朝の情報番組のじゃんけんをする企画が放送されている。
「ちょっ。せっかく朝日が差してるのに電気要らないでしょ」
「吞気だぁ?んなもん当たりめーだろう。国の規模で喧嘩してるような時代に、個人間の言い合いなんて流行んないよ。――第一、口が出るだけなら全然仲良しだと思うぜ?手とか銃弾が出ないだけマシだよ」
俺の言っていることが分からなかったのか、それとも意外だったのか、衣紗菜は一瞬だけ面食らったように考え込んでから続けた。
「へぇ、そう。割り切ってるのね……。……あとさ、名前、穂村…あろう、だよね?……まあどうだっていいや。アンタって、割り切ってるだけじゃなく締まらないとか、自分勝手…じゃなくてマイペースとか言われたことない?」
彼女は下段ベッドの横の机の上に置いた、『近接格闘~マーシャルアーツ~応用編』という本に書いた俺の名前に目線を下ろしながら、そう俺に失礼な言葉を吐いた。てかコイツ、さも言いかけたようにふるまったがハッキリ自分勝手だとか言ったよな?
「なんだとぉ。お前危なかったな。俺が完全にベッドから出てたら、相手が女でも関係なく殴ってたからな。近接格闘術のグラ…なんちゃらレベルを舐めるなよ」
「完全に起きてない状態でそこまでまくしたてられるのはすごいけど、さっき手が出ないだけマシとか言っときながら殴ってたとか説得力がガタ落ちよ?あとアンタが言いたいのってもしかしてグラデュエートレベル?舐めないでほしいのはこっちの方よ。あたしもアンタと同じ訓練校出身だし、何ならアンタの上のエキスパート、専門家レベルまで近接格闘の資格は取ってるんだから」
「なぁ違うじゃん、可愛い幼なじみのオチャメじゃん」
「きっしょ!訓練校でもほとんど関わったことないクセに調子乗んな!」
今思えば、コイツはこの頃はいつも俺に対する当たりが一般人よりひどかったんだよな。そんなに俺と一緒の部屋はストレスだったのだろうか。…考えるのはやめよう。
「まあいいや。要するに、格闘術が俺のレベルでも足りるように、いや、それどころかこんなもん、学んでて馬鹿らしいくらいにお前に思わせてやればいいだけの話だろ?」
「……はぁ?それで危険な目遭ってたら意味無いじゃん。あほらし。――アンタみたいなやつでも、死んだら寝覚め悪いから」
「だろうなあ。でも、誰かが犠牲にならなきゃいけないんなら、俺は自分勝手に助ける気がする」
「ちょ、アンタ。それって…!?」
人間って、案外なんとなくで言ったことを忘れずに守ってるもんだな。
「流石に100%本気じゃないさ。ただ、こう言っとけば意外と、逃げ延びちゃうんじゃないかって思ったんだ」
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今度は見慣れない部屋のベッドから再び起き上がり、そこでようやく夢から覚めたと自覚した。
「……ん、……ロウさん?あぁ、アロウさん!?起きましたの?はぁ……良かった……。先生!アロウさん、意識戻りましたわ!」
俺は、罪が重いからこそ、こうして何度も幸せを与えられ、そして奪われる運命をたどっているのではないか……そう時々思うことがある。普通の楽しい生活を望むだけでも俺は幸せに感じられる。だから、割とすぐに手に入る……そして、自分のせいで失う。
「……あ、起きましたか?アロウさん、分かりますか?でも今は安静になさって下さい。大丈夫です。他の患者さんもいるので、何かあれば看護婦を呼んで下さい」
やっと意識が現実に向くと、フレイヤの後ろで医者の人が奥の方を向いて部屋を出ていくところだった。医者がいなくなるのを見送ってから落ち着き、フレイヤは俺の方を向いた。
「アロウさん、大丈夫ですの?」
「うん、大丈夫……ではなかったかな。あいつら、ツララ目的だったから今頃連れていっちゃっただろうし……。それより、ここは……?俺は海に投げ出されて、フレイヤが助けてくれたのか?さんきゅーな。でも行かなくちゃあな……。いって」
「無理しないでくださいな。ここは街で一番大きい病院ですわ。アロウさん、服も乾かして傷に入った海水も取り除いたのですけれど、どうしても内臓や肋骨の損傷が激しいとお医者様が……」
「いいよ。どうせ、元々お前がいなかったら今は地獄なんだし。……俺が生きた結果として出会った人が危険な状態になるなら、責任取らなきゃな」
そう言いながらベッドから降りようと足を置き、同時に腹に走った痛みに思わず手を当ててしまう。
「だからぁ!本当に止めてください!一週間寝たきりでもしょうがないとお医者様も言ってましたわ!」
「大丈夫だから。これは俺の勘だけど、たぶん下痢だ。医者だって間違えるさ……」
すると、先ほど医者が閉めた扉が開いた。
「やめておけ、怒りに任せて報復をすることもよく分かるが……それが一番後悔するってことも、どうか分かってほしい。大丈夫だったか?……兄弟、済まない。立場上国に動かれると身動きがとりづらいとはいえ、ツララちゃんや兄弟が危険な状況の中手を出すことができなかった。だが、今回の件は俺も覚悟を決めて多少表向きに暴力を振るおうと思っている」
部屋に入ってきたジョーは、口の両端の吊り下がった荘厳な面立ちのまま続けた。
「……言い訳みたいになるが、この街で暴れられる大きな組織となると本当に限られる。俺の部下が働き手を失うのだけは避けたかったんだ。何度も言うがツララちゃんだけは絶対に俺が取り戻す。……兄弟に許せとは言えない」
「ギルガリアさん。……ほら、ワタクシだけじゃなくてみんなこう思っていますの。アロウさんはもう、本当に限界だと思いますわ」
ジョーにフレイヤといい、不器用な俺がケガをするなんてここに来てからでもたくさんあったことだろうに、毎回こんなふうに心配してくれる。だけど、こういうしんみりした空気、あんま好きじゃないなあ。
「ジョー、分かってるさ。お前の事情も、後悔も、よく知ってる」
俺の周りはいつも不思議なくらい優しい人ばかりだ。……ツララもそうだ。
みんながみんな優しくて良い人ばかりなもんだから、まるで俺が悪役のように感じられるこんな環境を、ずっと守っていたいんだと思う。
「でも、一つだけ反対だ。鎌かけ女と鮫には分かんないだろうがな、人って……少なくとも俺は、やりたいことは後悔するまで諦められないんだぜ?」
俺がそう言うと、部屋に充満していた緊張が、少しだけ軽くなった気がした。
「全く……今度は余裕を持って勝ってくださいまし?その為の作戦ならワタクシも手伝えるかもしれませんし」
「かッ。兄弟がそう言っちゃなぁ……。人狼の処刑は過去の文献でも基本捕縛後五日以降に行われている。王都まで着くのにここから約半日だから、出発までに万全になるように、せいぜい筋トレでもしていてくれ」
ジョーはその大きい口を顔の端まで持ってきて、少しにやけた表情でそんなことを言って出ていった……
「さすがにそれはキツイ……ゴボッ」
「あぁっ!アロウさんがやばそうな声で咳を!」
「そういえば、心なしか空気がさっきより軽くなったよなぁ。よかったよかった」
「あぁ、今さっきワタクシが魔法で部屋の換気をしましたわ。迷惑にはなってないでしょう?」
「……」(冗談で言ったつもりだったんだけどなぁ)
「……?どうしましたの?」
「いや、ちょっとしたカルチャーショック」




