何故か篠崎さんから嫌われている斎藤君
大学の学食で、明らかに暗い顔をしている男生徒がいた。斎藤君だ。原因は大体分かっている。彼はテニスサークルに所属しているのだけど、同じくテニスサークルに所属している篠崎さんから嫌われてしまっているのだ。
「――ねぇ、鈴谷さん。あっちの席にしても良い?」
そう一緒に食事に来ていた鈴谷さんに言うと、彼女の返事も聞かずにわたしは斎藤君の近くの席に向かった。鈴谷さんは何も言わなかったけど、特に不満そうにしている素振りはなかった。
彼を心配している訳じゃない。不謹慎なのは百も承知だけど、好奇心を刺激されてしまったのだ。わたしは噂話に耳聡い。だから彼が悩みを抱えているだろう事も知っていた。
「ヤッホー、斎藤君」
わたしの姿を見ると、彼は「なんだ、小牧さんか」と言った。“なんだとはなんだ”と少し思ったけど、まぁ、彼としてはわたしどころではないのだろう。
「聞いたよ~。篠崎さんとペアになったのでしょう?」
「楽しそうに言わないでよ」と、それを聞いて迷惑そうに彼は言った。
テニスサークルでペアと言えばピンと来る人も多いのじゃないかと思うけど、男女混合ダブルスだ。ただ彼の所属するテニスサークルはガチなサークルではなく、その目的はテニスそのものと言うよりも、男女で仲良く遊びたい的な一部の陰キャ層が聞いたなら、嫉妬でひと炎上きそうな内容なのである。そして、その不届きな男女混合ダブルスで、よりによって彼は自分を明らかに嫌っている女生徒と一緒になってしまったのだ。苦悩するのも無理はない。
「篠崎さん、絶対に九条あたりを選ぶと思っていたのだけどなぁ……」
斎藤君は頭を抱えた。
九条というのは、中々にイケメンの男生徒でテニスサークル内部でも女生徒達に人気がある。篠崎さんは女生徒達の中心的な存在でそれなりに発言権がある。だから、その権力を利用して、自分のお気に入りの男生徒を選ぶものだと皆は思っていたのだそうだ。ところが彼女が選んだのは何故か「あまり好きじゃない」と公言している斎藤君だった訳である。
――嫌がらせでもするつもりでいるのじゃないの?
と、だから大学内で噂になっているのだ。
「私はそういう男女関係の話には疎いのだけど」
軽く事情を説明すると、鈴谷さんはそう口を開いた。
「斎藤君もそれなりにモテるタイプに思えるわ。それなのに嫌われているの?」
確かに斎藤君は可愛い顔立ちをしている。それに優しくて、家事が好きらしい。家事を女性に押し付けないのはポイントが高い。一緒にいて和むタイプだし。
ただ、少なくとも彼の所属しているテニスサークルではあまり人気がない。それは恐らくは女生徒達の中心になっている篠崎さんが彼を嫌っているからだろう。女生徒達は篠崎さんに合わせているのだ。
それから少し考えると、鈴谷さんは腑に落ちないといった様子で、
「嫌われる切っ掛けは?」
と、斎藤君に尋ねた。彼は首を横に振る。
「分からないよ。テニスサークルに入った初めの頃は、むしろ仲が良かったくらいなのに」
わたしは「そうねー。初めの頃は、女の子達に囲まれていたものね、斎藤君」とそれを聞いてからかった。
鈴谷さんはやはり少し考えてからまた口を開く。
「そうね。女の子達って、そういうところがあるわよね。皆で人気のある男性をつくり上げるというか。その反対もあるけど。私にはよく分からないけど」
「ああ、鈴谷さんには分からないかもね。佐野君はそんなタイプじゃないし」
“佐野君”というのは、彼女に明らかに惚れている男生徒のことだ。
わたしがそうからかうと、彼女は真面目な表情で「そういう話ではなくてね」と何か考えがあるような口調で言った。
それを聞いて“あれ? これは何かに勘付いたのかな?”と、わたしは思う。
実は鈴谷さんは妙に鋭いところがあって、ちょっとした謎を解いてしまったりするのだ。
「一夫多妻制が認められている社会って案外多いって話は知っている? 一夫多妻制の動物は、雄の方が体が大きい傾向にあるのだけど、だから人間もかつては一夫多妻制だったのじゃないかとも言われている。仮にそれが生物として人間が持つ特性の現れなのだとすれば、雄にばかりその性質が残っていると考えるのはおかしい。雌にだって…… つまり女性にだって、一夫多妻制に適した性質があるのかもしれない」
それから彼女は饒舌にそれだけの事を語った。
「ああ。だから、一人の男性がやたらにモテたりもするって話?」
「そう」と答えてから、彼女は斎藤君に目を向けた。彼はその視線に不思議そうにしていた。
「……でも、それって今の人間社会の常識には適合しない性質なのよね。仮にその篠崎さんという人が、それをちゃんと分かっている人だったなら、特に心配する必要はないかもしれないわよ」
それから鈴谷さんは、何故か彼にそんなアドバイスをした。「……うん」と、困惑した様子で彼は返す。
きっと何の事だか分かっていない。もっとも、わたしも何の事なのか分かっていなかったのだけど。
……だけど、その彼女のアドバイスは正しかったのだった。
斎藤君と篠崎さんが一緒に歩いている。しかも手を繋いだりなんかしながら、仲睦まじい様子で。
そう。
彼と彼女は男女混合ダブルスのペアになってしばらくが経つと、いつの間にか付き合い始めていたのだった。
わたしと鈴谷さんはまた一緒に学食に居て、そんな光景を眺めていた。人目も憚らず、あのリア充ども、などとわたしは思う。
何があって、篠崎さんは心変わりをしたのだろう?
わたしは不思議に思っていた。きっと皆も同じだと思う。
しかし、鈴谷さんは「――違うと思うわよ」などと言うのだった。
「何が?」とわたし。
「きっと、ずっと篠崎さんは斎藤君を好きだったのよ」
「は? どうして?」
篠崎さんは斎藤君の悪口をよく言っていたのだ。それは絶対におかしい。しかし、それから彼女はこのように続けるのだった。
「篠崎さんは、自分の影響力を自覚していたのじゃないの? そして、斎藤君を狙っているライバルはたくさんいた。だからまずはライバルを減らす為に、斎藤君の人気を下げようと悪口を言ったのじゃない?」
わたしはそれを聞いて驚いてしまった。
自分が斎藤君を好きだと言うとライバルが増えてしまう。彼が自分を選んでくれるとは限らない。ならば、自分だけが彼を好きな状態にすれば良い。自分が嫌いと言えば、周囲に同調する傾向が強い女生徒達ならば、そうなる可能性は充分にあった……
「なるほどー……
でも、ちょっと性格に難がありそうな気がするわね、それ」
わたしは独り言を漏らすように思わずそう言ってしまった。
関心がなさそうに「ま、お互いがそれで良いのなら、他人が口出しするような事じゃないわよ」と鈴谷さんは答えた。
それはもちろんそうなのだけど。
なんだかなぁ…… と、わたしは少し呆れていた。