伯爵家への招待
そして、我が家の夜会から一週間後。
私宛に、意外な人から晩餐会への招待状が届いたのだ。
差出人は驚くべきことに、ジュスト・アーヴィング近衛騎士団長だった。
どうやらジュストが彼の祖母に月光花の絵をあげたところ、祖母が私のことをいたく気に入り、家族の夕餉に私を誘うよう、ジュストに命じたらしかった。よほど月光花に思い入れがあるのだろう。
「どうしようかしら?」
私が驚いて首を傾げると、横から覗き込んだカリエが招待状の一文を指差した。
「ここを読んでください! 大変ですよ、晩餐会には王太子殿下もいらっしゃると書き添えてあります!」
「それは大チャンスね。さすが学友、といったところかしら」
「アーヴィング家には、ライバルのパトリシア様もいらっしゃいますから、ここは敵状偵察に行かれてはいかがです? それに、王太子殿下と親しくなれるチャンスでは?」
「でも本当かしら。アーヴィング家も王太子妃の座を狙っているのに、私と王太子を引き合わせてどうするのかしら」
「何かの罠だと、困りますね」
「そうねぇ」
封筒には二つ折りのカードのほかに、便箋が一枚入っていた。
何だろうと思って広げると、繊細な花の切り絵が上部に飾られ、縁に金箔が張られた美しい便箋だった。花の形はおそらく、月光花だ。なんて綺麗な便箋だろう。
思わず見入ってしまう。
便箋には実に丁寧で心のこもった言葉が書き連ねられており、意外にもそれはジュストの祖母からのメッセージだった。
そこには、アーヴィング家には月光花と深いゆかりがあること、そして自分にはそれ以上に月光花に強い思い入れがあり、久しぶりに孫から花の話が聞けて、大変嬉しかったことが綴られていた。
人柄が偲ばれるような美しい字に感動して、末尾に書かれた署名を指でなぞる。
「この方が私をはめようとするなんて、考えたくないわね……」
「まぁお嬢様! そんな手ぬるいことを。字でしたら我らが公爵夫人も負けてらっしゃいませんよ? 逆の立場で公爵夫人が書かれたものだったら、こんなのは間違いなく罠ですよ」
「そ、そうかしら。お母様って、貴女達の目にもそんな感じに見えてるのね……」
「奥様が公爵家に嫁いで来られる前の、コンドルー伯爵令嬢だった時は、コンドルーの『至宝』とも『参謀』とも『毒薬』とも呼ばれてましたからねぇ」
毒薬って、凄いあだ名だな……。
聞いてる顔が引き攣ってしまう。
するとカリエは私の肩にそっと手を置き、得意げに微笑んだ。
「ご心配なら、ここはこのカリエにお任せください。アーヴィング家には、レシュタット家のスパイがおりますから。私の従姉妹がアーヴィング家の調理場で働いてるんです」
母がアーヴィング家に潜入させているスパイとは、なんとカリエの従姉妹だったらしい。
カリエが得意満面で続ける。
「当日、本当に王太子殿下が来る予定なのか、調べさせておきます」
「カリエ。素晴らしいわ。貴女ほど有能な侍女は、ディーン王国広しと言えども、そうそういないと思う」
「お安い御用です。スパイは侍女の仕事の一つですから」
「それは初耳だわ」
思わず私が噴き出すと、カリエはテヘッと舌を出した。
「私、スパイ小説が大好きなんです。お任せを。もし本当に王太子様がいらっしゃるなら、殿下のお好みの色のドレスを着て、メロメロにしましょう!」
こうして手紙を受け取ってから更に二週間後。
私は王太子が好きだという紫色のドレスで完全武装をすると、母から「勝つまで帰るな」という謎の発破をかけられて、戦闘気分で馬車に乗り込んだ。
目的地のアーヴィング伯爵家には、私の運命を変えるかもしれない登場人物たちが、おそらく勢揃いしている。そう考えると、とてもドキドキした。
アーヴィング伯爵邸に到着したのは、赤銅色の夕焼けが美しい時刻だった。
ベージュの外壁の伯爵邸は、夕陽色に染まり堂々と聳えていた。
馬車から降り立つと、私は思わず唸った。
「お、大きいじゃないの。さすがは製薬業で巨万の富を築いただけあるわ」
前庭は綺麗に刈り込まれた芝が、きめ細やかな絨毯のよう。
均等に配置された木々も抜かりなく葉や枝が整えられている。
私の住む公爵邸も王都の貴族の屋敷としては、相当立派な部類だったが、アーヴィング邸はそれを軽々と超えていた。
大きいだけでなく、随所に繊細な彫刻や美しいデザインの塔や出窓があり、見応えがある。
(大丈夫。私も負けていないはず。とびきりめかしこんできたんだから)
ドレスは王太子が好きだという、紫色を選んだ。
さらに胸元を飾るダイヤのネックレスに触れ、存在を確認する。
私が今日晩餐会に出かけることを知った母が、つけてくれたものだ。
「いい? ファナ。パトリシアをしっかり牽制して、王太子殿下にもっと自分を印象付けてきなさい」
耳を飾るのは、母が貸してくれた、我が家の家宝のサファイヤのイヤリングだ。
新興貴族の豪邸に気圧されまいと胸を張って堂々と進むと、噴水の陰から出迎えがやってきた。
ジュストそのひとだ。
夕陽を浴びて黄金色に輝く噴水の水飛沫を背景に、目眩がするほど完璧な美が、そこにはあった。
「今晩は、お招きくださりありがとうございます」
胸に手を当て、片膝を軽く曲げ、もう片方の足を後ろへ滑らせるように引く。なるべく優雅に見えるよう、気をつけて。
ジュストは朗らかに言った。
「呼びつけたりして、申し訳ありません。月光花の話をしたら、祖母が貴女にとても会いたがってしまいまして」
「いいえ、とんでもない。お招き頂けてとても光栄だわ」
「ようこそ、アーヴィング家へ。王太子殿下は少し前に到着されてます。サロンで今、私の祖母や妹とお茶をしています」
少し遅れをとってしまった。
母がイヤリングを変えたりしなければ、もしかして私も今頃既にサロンで王太子様と距離を縮めていたかもしれない。
ジュストが屋敷の正面玄関に向かって歩き出し、その隣に並んで私も進みだす。
ファナの脳内情報によれば、貴族の晩餐会は、だいたい流れが決まっているのだという。
まずは招待主が、客を連れて屋敷の中を案内するのだ。その後、最後に食堂へ行き、家族と顔を合わせると食事会の始まりとなる。
晩餐が終わると、次に待つのは庭園を見下ろすバルコニーでの締めくくりのワインだ。
この辺りで四時間くらいが目安で、カリエはその時間を目安に迎えに来てくれることになっている。
(さぁ、勝負の四時間よ)
気合を入れて、アーヴィング邸の扉の中に入っていった私だが、中を案内してもらうにつれて、その豪華さに気合はいつの間にか消し飛んでいた。
伯爵邸はどこもかしこも、完璧だった。
かけっこができそうなほど廊下は広く、飾り棚を彩る花は、一本たりとも枯れていない。
大広間は目が回るほど大きく、攻撃的なほど豪奢な額に入れられた鏡が、壁の端から端までを埋めており、異次元空間に迷い込んだかと思うほど、広間を広大に見せる効果を与えている。
使用人達も教育が行き届いており、廊下のはるか先の位置で私とジュストに気がつくと、壁際に寄って頭を下げ、私たちが通り過ぎるまでそうして待機を保った。
「とても広くて、迷子になってしまいそう」
思わず呟くと、ジュストは苦笑した。
「実はほとんど行かない棟もあります。私もいまだに、全容を把握しきれていません」
「おうちの中で、かくれんぼをしたら永遠に終わらなそうね!」
軽く冗談を言ってみると、ジュストは声を立てて笑ってくれた。
屋敷の主要な部分の案内が終わると、私たちは食堂に向かった。
食堂は大宴会でも開けそうなほど広く、天井も高かった。
食堂では王太子と二人の女性が待っていた。
白髪の老婦人と、黒髪の女性だ。
黒髪の女性はジュストに目鼻立ちが良く似ており、すぐに誰なのかピンと来た。おそらく、彼の妹のパトリシアだろう。血は争えないのか、惹き込まれそうなほどの美女だ。
同じアイスブルーの瞳だけれど、パトリシアの方が少し色が濃く、気が強そうに見える。
パトリシアは王太子の近くに座っていて、彼の腕に軽く触れていた。私たちが来たことに気づくと、皆ソファから立ち上がって距離が出来たが、パトリシアが随分と親しげに話しかけていたのを、私は見逃さなかった。
(家柄は公爵家の方がずっと上だけど、これはかなり私に不利なのでは……)
意気込んできたけれど、パトリシアが綺麗すぎて挫けそう。
初めて会う彼女を、じろじろ見てしまいそうになるのをこらえる。
「王太子殿下、またお会いできて光栄です」
「僕も君に会えて嬉しいよ。ジュストが君を招こうと考えていると聞いてね。図々しいけれど、僕も混ぜてもらったんだ」
王太子のほうから私に会いたがっていたと聞き、社交辞令かもしれないけれど、嬉しくなる。私って単純だ。
ジュストの妹の隣にいた老婦人は、杖をついてゆっくりと歩いてくると、私の両手をそっと取った。その温かさに、緊張がそっとほぐれる。
この女性がジュストの祖母に違いない。
招待状に添えられていた心のこもった手紙を思い出し、無意識に笑みが溢れた。
薄いブルーの瞳がとても綺麗で、年齢を重ねても人目を引く綺麗な老婦人だ。若い頃は、さぞかし世の男性を惹きつけたに違いない。
「よくいらして下さいました。初めまして。ジュストの祖母のセルマ・アーヴィングです。セルマおばあちゃんと呼んで頂戴」
呼べるわけない。
だがこちらの緊張をほぐすために、親しみを込めた挨拶をしてくれた気遣いに、膝を折る。
「ファナ・レシュタットと申します。お招きくださり、ありがとうございます」
顔を上げると、ジュストの妹と目が合う。彼女は優雅に微笑んだ。意外にも嫌味のない、綺麗な笑顔だ。
妹が口を開く前に、ジュストが彼女の肩に軽く触れ、私に言う。
「私の妹だ」
「パトリシアと申します。よろしくお願いいたします」
声まで澄んで明るく、美しい。なんだか非の打ち所がない。
ジュストの父である伯爵は仕事で嫡男と外しており、母は既に他界していた。
少人数での和やかな晩餐にホッとしつつ席に着く。
テーブルの上にたたまれて置かれているえんじ色のナプキンは角に刺繍がされており、その花には見覚えがあった。
あっ、と声を上げて正面に座るセルマを見る。
「この刺繍は、もしかして月光花ですか?」
セルマはにっこりと微笑んだ。
「わかってくれると思ったわ。そうなの。私の大好きな花よ」
「僕も先日レシュタット邸で初めて月光花を見ましてね。とても見応えのある花でした」
王太子がそう言うと、セルマは悪戯っぽく眉を上げて目を光らせた。
「羨ましいこと。知っていれば、公爵邸に忍び込んででも見に行ったのに」
お茶目な一言に、皆で笑ってしまう。
「次にまた咲くことがあれば、ぜひ呼んでね。さもないと、門によじのぼってでも、見に行ってしまうわ。お婆ちゃんだけれど、まだそれくらいの体力はあるつもりよ」
失礼ながら門を登る姿を想像してしまい、皆でまた笑ってしまう。
パトリシアが私に言う。
「祖母は本気ですわ、ファナ様。その時は残念ながら、私たちにも止められません!」
パトリシアと目が合うと、そのいたずらっぽい笑顔に笑いを誘われ、二人で大きな声で笑ってしまった。
笑われたセルマがウフフ、と笑って肩をすくめ、その様子がまた実に愛らしい。




