パーティの終わり
庭から戻って三十分ほど経った頃。
大広間で歓談していると、視界の片隅に目立つ男を発見した。ジュストだ。どうやら絵を描き終えたらしい。
大広間の入り口付近で、誰かとダンスをしている。
(やっぱり帯剣していても、引く手あまたなんじゃないの。相手は誰かしら。どこのレディと踊ってるの?)
人垣の向こうにいるのでよく見えず、首を振って背伸びをして、相手の女性を確認する。
ジュストと踊っているのは若い女性だった。
まもなくダンスが終わると、ジュストと女性の手が離れるや否や、すぐに中年のご婦人が彼に話しかけ、自分の後ろに控えめに立っている若い女性を紹介しだした。
おそらく、自分の娘を連れてきた貴婦人が、ダンスをする相手を娘のために探し、間を取り持っている。夜会ではこうして母親が娘のお相手を物色するものだが、ジュストもその標的にされたようだ。
さすがにそれを断るほど、無骨ではないらしい。
やがてジュストは母親の後ろで頬を赤く染め、初々しげに俯き加減になる若い女性の手を取り、踊り始めた。パッと顔を上げた女性のはにかむような微笑が、愛らしい。
ダンスが終わると、意外にもジュストは真っ直ぐに私の前まで歩いてきた。
飲み物を取りに行こうと歩きかけていた私は、改めて背筋を伸ばして彼と向き合う。
「ジュスト、満足のいく絵は描けた?」
「ええ。お陰様で祖母に思わぬ土産ができました。――こちらを、よろしければ貴女に」
ジュストは一枚の絵を差し出した。切り取った手帳の紙に描いたらしい。
なんだろうと受け取って広げると、それは月光花らしき花と、長い髪の女性の横顔を描いたものだった。ものすごく、上手だ。私のイヤリングの細部まで繊細に表現されていて、顔もよく似ている。近衛騎士団長と画家の兼業をしてみたらどうか。
「これはもしかして、私?」
「あまり似てないかもしれないが――、ご迷惑でしたら、捨ててしまってください」
「とんでもない! 大事にとっておくわ」
綺麗にかけていて、正直ちょっと嬉しい。しばらく見入ってしまう。
顔を上げて、近くにいるカリエを素早く呼ぶと、絵を手渡す。
絵のお礼をしなければ。何か、ジュストが気に入りそうなものを――。そう考えて、ハッとした。
(そうだ、この人確かザルだったわ。祈祷式の前日に、友達から樽いっぱいの酒を飲まされても、翌日ピンピンしていたらしいから)
まさか酒を上げるわけにはいかない。でも酒好きは大抵、ツマミになる味の濃い食べ物が大好きだという。
これだ。これなら間違いない。
「そうだわ。我が家は腕のいい菓子職人がいるのが、自慢なの。初めて我が家にいらしてくださったんだもの。1番のおすすめを、ぜひご紹介させて!」
「菓子を?」
予想もしない話題だったのか、目を丸くするジュストの目の前で大きく頷き、颯爽とホールの壁際に案内する。三つ並んだ長いテーブルの、一番真ん中の目立つ位置に菓子は置かれていた。
酒飲みのジュストは、きっと味が濃くてしょっぱい菓子が好きだ。
「レシュタット家のおすすめは、このチーズクッキーなの」
大皿に載った丸いクッキーを、ジャーンと指さす。
粗挽きの黒胡椒が混ぜられていて、薄い狐色の生地に黒い粒が見える。
ジュストは遠慮がちに一枚だけ、チーズクッキーを取った。形のいい唇で一口齧り、サクッという心地いい音が聞こえる。
「なるほど、美味しいですね。想像よりチーズの塩味が効いていて、しっかりした味です」
「そうなの。バターの芳醇さと、ガツンとしたチーズがいいでしょう?」
良かった。
あとで料理人に、伯爵家の色男を唸らせたことを、伝えなくちゃ。きっと喜んでくれる。
「酒のツマミにも、よく合いそうです」
「そうよね! そうなの! よく気づいてくれたわ。お気に召したなら、あとで樽いっぱいに詰めて、お帰りの際に差し上げるわ」
ジュストは少し困惑した様子で小さく笑った。
「貴女は、面白いかたですね」
「まぁそんな。そうかしら」
面白い女を目指しているんじゃない。
「大変光栄ですが、樽いっぱいに頂いた暁には、私の腹が樽のようになりそうです」
「あら、それなら缶いっぱいに持っていってちょうだい。お詫びに…」
「――お詫び?」
しまった、無意識に祈祷式前夜の嫌がらせのことを思い出して、変なことを口走ってしまった。
「い、いいえ。お詫び、じゃなくてお礼に!」
色々と手一杯の状況で、心臓に悪い……。
結局、月光花は母が狙ったほどは効果的に使うことができなかった。
予定では王太子と二人きりで眺め、彼に褒められることを狙ったのだが、実際には王太子は常にたくさんの人々の輪の中にいたので、二人きりになれなかったのだ。
王太子が帰る間際に彼を庭園に誘ったところ、取り巻きの貴族たちがゾロゾロとついてきてしまった。
とはいえ、王太子との交流を深める滑り出しは上々だった。
個人的な会話をそこそこして、ダンスも何度か踊り、丹精込めて育てた自慢の花も披露できた。王太子は月光花にとても感動してくれて、王宮に花を持ち帰ることまで熱望してくれた。
月光花を手折るのは少し抵抗があったけれど、元々は王太子のために咲かせた花だ。
リボンを使って綺麗に包ませ、帰り際に贈ると王太子は少年のように無邪気な笑顔を見せ、喜んでくれた。
王太子は明るく社交的で、彼が笑みを見せると誰もが釣られて元気な気持ちになるような、持って生まれた太陽のようなオーラがあった。
王者にふさわしい素質とは、こういうものなのだろう。
王太子の婚約者となり、歴史を変えて王室入りを果たせば、レシュタット家はどんなに繁栄することか。
けれど王太子は常に大勢の人に囲まれているので、彼の特別な女性になるのは公爵令嬢という立場をもってしても、思ったより簡単ではなさそうだ。
(でも、史実では一度はファナが王太子の婚約者に選ばれるはずなのよね)
きっとなんとかなる。
私は手探りで、ファナの人生をより良いものに変えようともがき始めていた。
実際にはレシュタット家の没落の序章が、私のせいでこの時すでに始まっているとは知るはずもなかった。