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月光花を二人で

 ジュストは私の後について、廊下の奥――夜会が開かれているホールとは逆の方向に、一緒に歩き出した。


 早足でジュストを先導しながら、庭園に出る。

 夜の庭は冷たい風が吹いており、身が引きしまる。

 綺麗に刈りそろえられた芝生を歩き、庭園の中程にある花壇までジュストを連れて行く。

 黙っているのも気まずいので、歩きながらジュストにアーヴィング家の紋章についてあれこれと尋ねた。


「騎士団長様、アーヴィング伯爵家の紋章には、なぜ月光花が使われているんですか?」

「ジュストで結構です。レシュタット公爵家のご令嬢にそのようにご丁寧な話し方をされると、恐縮してしまいます」

「まぁ、そんな。それなら、私達お友達になりましょう! それなら気さくに話せます…話せるものね」

「友達、ですか」

「ええ。私のこともファナと呼んでちょうだい」


 ジュストは答えることはなく、代わりに控えめな笑みを披露してから、アーヴィング伯爵家の紋章の説明を始めた。「我が家の紋章について、ご説明申し上げます」なんて、距離を取った話し方で。


「伯爵家は二代目の当主が製薬業で大きな財をなしました。中でも月光花は麻酔薬として、非常に効果的だったようで、以来、アーヴィング家の紋章にデザインされております」

「麻酔薬として使えるの? あの甘い香りの花が?」


 少し驚いて聞き返すと、ジュストはややいたずらっぽく笑った。


「そう。しかも虫や鳥には、効かないのです。ですので、人間は絶対にあの香りに釣られて、かじりついてはいけません」


 ジュストも冗談を言ったりするらしい。意外だ。


「知らなかった! 今日お会いできて本当に良かったわ。危うくかじっちゃうところだったもの」


 冗談を交えてみれば、ジュストは軽やかな笑い声を立てて、品よく笑った。


(意外と気さくなのね)


 屋敷の庭園には油のランプが等間隔に設置されている。

 日がかなり落ちてきて、ぼんやりとしたランプの明かりだけを頼りに奥まで進んできたが、花壇の近くまでくると、ランプ以上にその一角は明るかった。

 その名の通り、月光花が白く輝いていたのだ。

 月光花の茎や葉は、ヒマワリに似ている。

 すっきりと真っ直ぐに伸びる一本の茎の先に、大輪の花が咲く。ただし、ヒマワリと違って月光花は純白で、花の形はユリに似ている。

 花壇に二十本ほど並び立つ月光花が、まるで幻想的なランプのように光を放っている。

 一番目の客が我が家に来る前に、開花は確認していたが、その時よりも外が暗いので、更に見応えがある。


(なんて綺麗なの。神話の世界に咲く花みたい。我ながら興奮しちゃう)


 隣を歩くジュストも、驚きで掠れた声を上げる。


「美しいですね。なんて見事な……。これが、月光花の月の光なんですね」


 よほど感激したのか、ジュストは駆け寄って近くで観察を始めている。見せ甲斐があるじゃないの。

 見せておいてなんだけど、正直、私もこんなに幻想的な花はそうないと思う。今まで、図鑑でしか見たことがなかった。でも本物は図鑑よりも美しい。


「ぜひ、何本かお屋敷にお持ち帰って」

「いえ、月光花は土から抜くと、光らなくなると聞いております。――その代わり、今スケッチしても宜しいでしょうか?」

「ええ、もちろん」


 ジュストは胸ポケットから小さな手帳を取り出すと、小さな鉛筆でスケッチを始めた。

 花壇の前に立ちながら、アイスブルーの瞳が花と手帳を往復する。その目はとても真剣だった。

 こんな風に月光花に食いついてくれると、私も咲かせるために頑張った努力が報われる気がする。

 ジュストは鉛筆を走らせながら、言った。


「私の祖母が、月光花を大好きなんです。祖母はハンカチや寝具にも、この花を刺繍しています」

「おばあさまは、月光花をご覧になったことがあるのかしら?」

「子どもの頃に、一度だけあるそうです。祖母と祖父は幼馴染なのですが、その思い出の花なのだとか」

「あら、素敵ね! ご夫婦に思い出の花があるなんて、羨ましいわ」

「ですので、この絵をぜひ見せたい。きっと懐かしんで喜んでくれます」


 これは意外な発言だった。

 ジュストは家族思いのようだ。かなり熱心にスケッチをしているのを見つめながら、私は机から離れて花壇の隣に立った。

 白く輝く花を手に取り、そのおしべ中心に顔を近づけ、香りを楽しむ。


「甘い香りだわ。バラに蜂蜜を垂らしたみたいな」


 王太子のために必死に栽培した花だけれど、こうして夜の闇に咲く月光花は本当に圧巻で、鑑賞するだけで自己満足に浸れる。

 夜空に輝く月のように光を放つ花々が、この世のものとは思えぬほど美しく、つい花壇の中に足を踏み入れる。

 茎を踏んでしまわぬよう、慎重に進み月光花の束の真ん中まで行った。

 まるで光の中にいて、体が浮いているみたいな錯覚を受ける。


「綺麗。夜空に浮かんでいるみたい」


 思わず笑みが漏れ、ワクワクしながら両手を広げて幻想的な空間を楽しむ。

 気がつくとジュストは花壇の前に来ていた。

 彼は私の足元を指差した。


「靴が土で真っ黒になってしまっていますよ」


 はっと見下ろしてみれば、確かにサテン生地の靴が土まみれになっている。

 でもだからといって、すぐに花壇から出る気にはならなかった。


「平気よ。靴は洗えばいいし、取り換えればいいわ。でも月光花が咲くのは、今だけだもの」


 一度植えておけば、大した世話もなしに毎年花を咲かせる植物もある。

 だが、咲くのが一度限りの花も、少なくない。

 例えばひまわりはタネから植えて、毎日世話をして、三ヶ月もあれば人の背丈より大きくなる。

 だがそれでいてあの元気の象徴のような大輪の花が咲くのは、せいぜい二週間ほどだ。

 黄色の花弁は見る間に萎れ、真っ直ぐに伸びていた茎は老人のように曲がり、首を垂れて茶色く変色した後で種ができていく。

 あとはただ、枯れ木のように立ち尽くすだけなのだ。

 だから、花の一番美しい時を、見逃したくない。もう少しこの美しさを堪能したい。

 そう伝えると、ジュストは感心したように何度も頷いてくれた。

 月光花を正面から覗き込み、目を閉じると白く柔らかな輝きが目に残る。

 私は絵を描く手を止めているジュストに、声をかけた。


「すごいわ。瞼の裏まで明るい。やってみて!」


 片手に手帳と鉛筆を取りまとめると、ジュストは私の言う通りに花をそっと引き寄せ、目を閉じた。形の良い口元が、薄らと微笑を浮かべる。


「本当ですね。ランプとは違って、熱のない不思議な光です」


 思わず一歩踏み出し、ジュストに近寄る。

 月光花の明かりを浴びるジュストが、まるで教会に飾られる絵画の一つのように神々しい。

 再び目を開けたジュストは、思わぬ近さに私がいたからか、驚いて一瞬目を大きく見開く。

 接近し過ぎたことが恥ずかしくなってしまい、慌てて花壇の花の中に再び飛び込む。

 よく見れば花によって光の強さが少しずつ違うことに気がつき、私はジュストがスケッチをする傍らで、一番輝く個体探しに夢中になった。


「見てジュスト。この花が一番大きくて、強い光を放ってる」

「ああ、本当ですね。とても明るい」

「月光花っていう名前は、月みたいに明るいからかしら? それとも月に届くほど明るいから?」

「祖母からは、満月の夜にしか開花しないから、だと聞きましたよ」

「そうなの!? それ、初めて聞いたわ……。知っていれば、開花日をもう少し早めに予測できたのね」

「ご存じなかったんですね」


 今さら焦る私を、ジュストがからかうように笑う。

 悔しくてムッとすると、彼はさらに楽しげに笑った。

 ひとしきり花々の明かりを堪能した後で、私が花壇を出るとジュストが絵の続きを描きながら、言った。


「ところで、なぜ月光花を植えたのですか?」


 ぎくりと一瞬答えに詰まってしまう。

 どんな話をしても、作り話に聞こえてしまう気がする。それなら正直に話した方が、いいだろう。

 私は軽く咳払いをしてから、答えた。


「それはあの……、もちろん、花好きの王太子様に見て頂きたいからです」


 そんな回答は想像していなかったのか、かすかに目を見開いた後で、ジュストは小さく噴き出した。


「なるほど。ファナ様は、随分と正直なかたですね……」


 ジュストは私から目を離し、首の後ろを掻いた。

 お互いの間のぎこちない空気が、妙に恥ずかしい。

 なんだか、自分の言動があまりに小賢しく思えてきた。

 ジュストを案内したのに、今の言い方は失礼だっただろうか。


「あ、あの。私、大広間に戻りますね。お好きなだけ、絵を描いていてくださいな」


 王太子に見せるつもりが、先にジュストに見せてしまった。これがバレたらあの野心たくましい母親に怒られるかもしれない。

 あまり長く大広間を外すと、両親にも大目玉を食らってしまう。

 そろそろ戻らねば。

 何かもの言いたげなジュストを置いて、私は背を向けると俯いたまま駆け出した。


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― 新着の感想 ―
[一言] 想像以上のお母様の妨害に対するジュストが超人で笑いました。 今後の展開が楽しみです!
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