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月光花をあなたに

 今晩の我が家の大広間は、盛大に飾り付けられていた。

 飾り台の上の花瓶は花々で溢れ、ランプというランプに明かりがつけられ、まるで昼間のように煌々と明るい。

 父が手配した王都でも人気の室内楽団が、優雅な音楽を奏でる。

 レシュタット家はディーン王国でも指折りの名門だと言われているので、一貴族が主催する夜会とはいえ、来てくれたのは王族や上級貴族といった、王宮夜会に負けず劣らずの豪華な顔ぶれだった。



 大広間にいると、招待客達から次々と休みなく話しかけられる。

 皆着飾っていて、特に女性の衣装や身につける宝石類は目を見張るほど素敵で、貴族の優雅な暮らしぶりに驚きが止まらない。


(凄いわ。なんて豪華なの。どう考えても、富が集中しすぎじゃない……?)


 かなり高齢のご婦人までが、ヒールの高い華奢な靴を履き、集まった人々に社交的な挨拶をしながらクルクルとよく動き回っている。

 私は夜会の熱量に圧倒されていたが、ファナの頭は覚えているのか、会う人々の情報は脳内の引き出しにあった。名前と地位を織り混ぜて挨拶を交わし、愛想のいい令嬢を演じる。

 パーティは自邸で開く場合、なかなか気苦労が多くて疲れる。

 人と話すことは好きだけれど、時間が経つにつれ、さすがに疲労を感じる。



 両親は猛烈な勢いで王太子に話しかけ、時折私に目配せをしていた。

 客を招待した家の娘として、ダンスの一曲目は、王太子と私が踊るのが暗黙の了解らしい。

 やがて指揮者が大きな声で挨拶をすると、管弦楽団がワルツの演奏をはじめた。

 王太子が私を見つめながら、こちらへ歩いてくる。

 いよいよ、ダンスの時間だ。緊張が頂点に達する。

 王太子は上品な仕草で片手を差し出すと、言った。


「ファナ。私と一曲目を踊ってほしい」

「ええ、勿論ですわ。喜んで」


 手を取り合うと、体を寄せて見つめ合う。

 アリーラとしての私は、ダンスを学校で少しだけ習ったことがある程度だが、一応どう動くべきなのかは知っていた。

 そもそもファナの体がダンスを覚えているだろう、と期待してステップを踏み出すが、そんな都合の良いことは起きなかった。

 多分、ファナもダンスが上手ではなかった。近くの人とぶつかりそうになったり、王太子の脛を蹴ってしまったり。

 良い雰囲気になるどころか、王太子の顔は引き攣っていくばかりだ。


(ま、まずい。なんでお貴族様の令嬢のくせに、ダンスが下手なのよ。(アリーラ)はもっと分からないし! レシュタット家の人間が音痴な上に運動音痴なのは、今も昔も変わらないのね!)


 一曲目が終わると、王太子はにこやかに微笑んだ。明らかにダンスから解放された安堵の笑みだ。

 するとすかさず周囲から、王太子にダンスの相手を頼むご婦人達が現れ、あっという間に彼を待つ列が出来上がった。ご婦人たちは厳密にいうと、自分が踊りたいのではなくて、連れてきた自分の娘とのダンスを頼んでいるのだ。

 順番について話がついたらしく、王太子が次の令嬢と手を取り合う。

 その光景を指を咥えて見つめていると、肩を扇子で突かれた。

 振り返ると公爵夫人――母が、呆れ顔で捲し立てた。


「どうしたの、ファナ。さっきのダンスはいつも以上に酷かったわよ。あなたもお父様も、本当にダンスが下手ね。もう少しちゃんと練習をしなさい」

「ご、ごめんなさい」

「エルガーは部屋で読書ばかりしているし。あなたたちは私にちっとも似ていないんだから。私は夜会が大好きだというのに」


 溜め息をついてから首を左右に振ると、公爵夫人は扇子で口元を隠してから、こっそり私に言った。


「ファナ。今こそ、アレを使いなさいな」


 そうだ。

 私にはまだ、秘密兵器があった。

 母親に発破をかけられて、王太子の方へ歩き出す。

 切り札はダンスではなく月光花だ。二人の距離を縮めるために、レシュタット家が努力して咲かせたのだから。

 今夜見せない手はない。


 丁度管弦楽団の曲が終わったところだったので、王太子に向かって歩いていくと、私の進路を遮るように突然目の前にジュストが現れた。

 両手にグラスを持っていて、その内一つを私に差し出してくる。

 受け取らざるを得ない。

 引き攣る笑顔で、礼を言う。

 今のうちに王太子に話しかけたいから、はやくどいてほしいのに。

 ジュストは目の前に立ち、私がそれ以上歩くのを妨害したまま、言った。


「ファナ様、先程のお話ですが……今夜月光花が開花しているというのは、本当ですか?」


「ええ、もちろんです」と少々得意になって即答する。

 するとジュストは遠慮がちに聞いてきた。


「月光花は我が家の紋章ではありますが、私も実物の春咲きの花が開いているところは、見たことはないのです」

「まぁぁ。それはそれは…」

「ぜひ、見せて頂けませんか?」


 ええっと、それは困る。

 私は王太子に真っ先に、見せるつもりなのに。レシュタット家は彼のために屋敷をあげて、貴重な月光花を咲かせたんだから。ジュストのためじゃない。

 もっともらしく、やんわりと抵抗する。


「月光花が咲いている花壇は、ここから少し遠くて。何より、騎士団長をここから連れ出してしまうと、ダンスを待っているたくさんの女性達に恨まれてしまいますもの」

「ははは。帯剣した男と踊りたがる女性は、いないと思いますよ」


 思わず釣られてジュストの腰回りを凝視してしまう。

 彼は腰に剣をぶら下げていた。随分ご立派でゴチャゴチャした剣だ。

 柄にはこれでもかとふんだんに宝石が埋め込まれ、とりわけ中心部の赤い石は目立った。ルビーだろうか。

 鞘にも見事な彫刻が施されている。

 高そう。重そう。振るの大変そう。腰痛になりそう。

 とりあえず、一見しただけで高価な剣だと分かる。


「ご立派な剣を携えてらっしゃるのね」


 するとジュストの目がきらんと光った。


「ありがとうございます。これは近衛騎士団の剣です。団員は、出かける時は常に帯剣が義務付けられております」

「まぁ、大変。みなさん、仕事熱心なのですね」


 もしやこれが例の――母が接着剤で剣と鞘を張り付けさせた、近衛騎士団長の剣だろうか。その可能性に気がついてしまうと、怖くて目が離せない。


「この剣は、私の誇りです。この剣を携えることを夢見て、物心ついた時から剣の稽古に励んで参りましたので。一番大事な職業用具であると同時に、私の努力の結晶でもあります」


 話を聞く笑顔が、どうしても引き攣ってしまう。

 そんなに大事な、彼のキャリアの証そのもののようなご大層な剣に、母はなんてことをしでかしたのか。

 裏返りそうになる声を整え、何気なく相槌を打つ。


「それじゃ、きっと義務でなくても、常に携帯するでしょうね」

「ええ。出かける時に限らず、最近では自宅にいる間も携帯するようにしています」

「あら、自宅でも? なぜです?」

「――少し前に、不届きものが屋敷に侵入したようでして。剣に、あろうことかいたずらをされましてね」

「ま、ま〜。それは大変。とんでもないことですわね」


 するとジュストは何を思ったか、一歩踏み込んで私との間合いを詰めた。圧がすごい。

 美形圧なのか、帯剣した騎士圧か。

 強圧警報が、私の脳内に鳴り響く。

 冷たい色を帯びるアイスブルーの瞳がすぐ近くに迫り、私を見下ろす。


「この剣に、何をされたと思われます?」

「……ど、どんなことを?」


 いやだ、怖い。でも聞かざるを得ない。

 この件に関しては後ろめたさしかない私としては、なんとなく後ずさりたいのだが、かえって怪しまれるかもしれないので、なんとか踏みとどまる。

 ジュストはバリトンの低い声で、言った。


「――剣を、鞘に貼り付けられたのですよ。接着剤で」

「ま〜、大変。とんでもないことです」


 気まずすぎて相槌が思いつかない。さっきと同じリアクションをしてしまった。


「ええと、それで、どうやって接着剤を取りましたの? 今は糊の(あと)一つ見えませんけれど」

「仕方なく、剣を引いて抜きました。その日は大事な任務がありましたので」

「抜いた……?」


 やっぱり怪力だった。素手で家を壊せそう。


「ええ。鞘が割れてしまいましたので、修理しました。剣から糊を剥がすのも、実に骨折りでした」


 嫌だ嫌だ、公爵夫人ってば本当になんてことしたのよ。

 心から同情します、という表情を何とか作って私が話を聞いていると、ジュストは声を一段と低くして、言った。


「犯人は絶対に捕らえ、懲らしめてやるつもりです」

「あ、あら。もしかして、もう目星が……?」


 震えるんじゃない、私の声よ。


「目星はついているのですが。少々大物でして、対処に悩んでいましてね」


 嘘でしょ。嘘だと言って。

 もしくは、きっと見当違いの犯人を突き止めていて、公爵夫人がやったとはバレていないと信じたい。


「近衛騎士は、『男の子が一番なりたい職業』ですものね! その頂点たる騎士団長ともなれば、く、くだらない妬みを抱いてしまう人が、きっといるのでしょうね」


 だめだ。頭が真っ白になってしまってまともな相槌が思いつかない。

 公爵夫人(おかあさま)ったら、こんな怪力武道男を怒らせて、どうしてくれるのよ。

 菓子に釣られた馬丁はどうなった。

 金を握らせた実行犯の仕立て屋とやらは、大丈夫なのか。下手をこいたのだろうか。いやそれより何より、レシュタット家と私はどうなっちゃうのか。

 どうして何もしていない私が、こんなに気まずい思いをしなくちゃいけないのよ。


「声が震えていますよ。どうかなさいましたか?」

「いえ、ちょっと、急にワインが喉に引っかかって」


 するとジュストは私からワイングラスを取り上げ、近くを通った給仕に手渡して返した。

 お礼を言いながら、引き攣る。

 行動そのものは表面的には紳士的だけれど、ファナとしては怖すぎる。

 どうにかこの剣の話題から離れたい。差し出されたワイングラスなんて、無視すればよかった。可能ならば五分前の自分に、今すぐ戻りたい。

 不穏な話題をぶった斬る為に、私は勇気を総動員させて提案した。


「あ、あの。おそらく月光花を見られるのは、今夜が最初で最後ですので。やっぱりぜひご覧いただくべきですわね。庭園までぜひご案内させてください」


 なんとかして、機嫌を取りたい。

 このままだと、私の心臓がもたない。

 それに考えようによっては、出し惜しみするのはもったいない。春咲きの月光花はあまりにも貴重な花だ。

 せっかくだから、一人でも多くの人に見せたほうが苦労も報われる。王太子はダンスに疲れてきた頃にでも、後で誘えばいい。

 そうだ、そうしよう。

 ジュストは一転して、背筋がゾッとするほど美しい満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。――今夜こちらに来ることができて、本当に良かった」

「あら、ありがとう」


 もはや、自分が何のお礼を言ったのかわからない。剣の話題をやめてくれた、お礼だろうか。

 もはや私は、手のひらどころか背中まで、焦りで汗だくだ。


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