再びの聖大教会
馬車を乗り継いで、聖大教会へと向かう。
聖大教会は、あの頃とはすっかり様変わりしていた。
建て直しがされていて、石造りだった建物が、木造になっていたのだ。
木造の教会というのは、珍しい。モダンな方向を目指したのか、寒色系でまとめられていて、お洒落な雰囲気を醸し出している。
残念ながら、私が二百年前に見た面影はもうない。あまりにも外観が変わり過ぎていて、拍子抜けしてしまう。
中に入ると建物全体が木材でできているため、床も板が敷かれていて、歩くと靴底がカタンカタン、と柔らかな音を立て、耳に心地よく響く。
中には何十本もの長椅子が整然と並べられている。
あの時にノアと見た、美しい海のようなステンドグラスはもうなかった。だが代わりに紫を基調とした星空のようなステンドグラスがあり、ひきも切らずに見物人達が中を訪れている。
私は教会内部を入念に見物しながら一周すると、肩を落としつつ、長椅子の一つにそっと腰掛けた。
(特に変わったものは、なさそうだわ……)
ノアは、何か石碑なり彫刻なりを聖大教会の中に残してくれているのかもしれないと期待したけれど、残念ながら何もなさそうだ。
教会が改築されたのだから、無理もない。
二百年の年月は、長かった。何もかもが変わったのだ。
(私があの時に見たものは、何も残っていないのね)
――かつてここで新年の祈祷式が行われ、ジュストを見て目を剥く公爵夫人と令嬢がいた。
戴冠式を行った勇猛王がいた。
だが、彼らはもういない。
(そもそも、今となってはあの日々が夢みたいに感じるわ)
あのファナは、私しか知らない。
あの人間関係も。
当時抱いた自分の気持ちまでも、幻のように感じてしまう。
静謐な教会の中で、私は長くて一瞬だった不思議な出来事を、久しぶりに振り返った。
区切りをつけようと、ファナの中に入ってしまってからの出来事を辿る。頭の中の日記に、折り目をつけるように。
駆け去った日々を振り返り、その後で思い出の教会の内部に視線を走らせる。そのすっかり変わってしまった光景に、現実を痛感させられる。
(終わったんだわ。あの不思議な出来事は、もう全部終わった)
外套の下に潜り込んでいるネックレスを取り出し、指でそっと撫でる。
(あなたが私を忘れてしまっても、私はあなたを忘れないわ。ノア)
一人で長椅子に腰掛けて振り返っていると、気がつけばかなりの時間が経っていた。顔を上げると、ステンドグラスからは西日が差している。
昼過ぎにここに到着したのに。随分長いこと、物思いに沈んでいたようだ。
(帰ろうか。もう立ち上がって、帰ろう)
見渡せば、教会の中に残っているのは私一人だった。
置いてけぼりじゃないか。
物音ひとつしない静寂が、私に思い知らせてくる。あの日々はもう過ぎ去った過去なのだと。
深いため息をつく。
わたしだけ過去の中にとどまっているべきじゃない。
これからは、自分自身の人生を歩んでいかなければ。
両足に力を込めて立ち上がると、出口に向かって歩き出す。
あと少しで正面扉に着こうかという矢先、外側から扉が大きく開かれた。
差し込む夕陽の眩しさに、目をすがめてしまう。
逆光でよく見えないが、扉を開いたのはひとりの男性だった。
金色の髪が夕焼けを反射して、輝いている。
何度も瞬きをして、不意に現れた目の前の人物を確かめる。
その姿形には、見覚えがあった。まさかと思いつつ、思わず呟く。
「ノア殿下……?」
男性がさらに数歩近づいてきて、その顔がはっきり見える。
ありえない、と思うのにやはりノアによく似ている。
(でも、目の色が違う。ノアは青色だったけれど、この人はオリーブ色だわ)
不思議なことに、男性も私を、目を見開いて食い入るように見ている。ただし、私の顔ではなくて、私の胸を。
(な、なんで、胸? 私の胸なんて全然大きくないし、見応えもないでしょうに……)
釣られて自分の胸に視線を落とすと、あっと気がつく。男性は正確に言うと、私のネックレスを凝視していた。胸元にぶら下がる、青い石を花形にした、ノアがくれたネックレスだ。
男性は私が怪訝な顔をしていることに気づくと、ハッと顔を上げた。ごくりと喉を鳴らした後、私に声をかけてくる。
「きみ、……おかしなことを聞くようだけど、もしかしてアリーラ・レシュタットさん?」
「ええ、そうですけど」
どうして私の名前を?
不審に思っていると、男性は一瞬絶句した後で、喘ぐように言った。
「信じられない……! こんなことが、本当に?」
「あの、どうして私の名前をご存じなんですか? どこかで、お会いしましたか?」
男性は何度も瞬きをしてから、震える手で自分の外套の下から一枚の折りたたまれた紙を出した。変色しかけて角が破れた、かなり古そうな紙だ。
それを広げると、私に見せてくる。
男性の持つ紙には黒いインクで、ひとりの女性の絵が描かれていた。長い髪にドレスを着た、若い女性の。いや、それより何より――。
「君がしているネックレス、これと同じものだよね?」
女性は首元にネックレスをしていた。そしてネックレスに私は見覚えがあった。菱形の五つの石を花形に配置していて、私が今胸元につけているものとほとんど変わらないのだ。
それぞれの花びらの先に、露のように透明な小さな石が付いている細かな点まで、同じだ。
ネックレスの下には、大きなはっきりとした字で、「アリーラ・レシュタット」と書かれている。
私は胸元のネックレスに触れながら、話した。
「このネックレスは、二百年前の私の先祖から受け継いだものです」
「二百年、か。この絵に描かれたネックレスはもともと、アルデマン公爵家に伝わるものだったらしいけど」
「ええ。ええ! そうだった。アルデマン。そう聞いているわ。確かに昔、そう聞いた。――あの、あなたは?」
不審に思って尋ねると、男性は怪しい者じゃない、と説明するように慌てて手のひらをこちらに向けて、ヒラヒラと振った。
「俺は、ヨハネス・ハリファックスだよ。ブラハ大学の学生だよ」
ブラハ大学は私の大学の提携校だ。
私の大学と同じくらいの難易度だが、裕福な家庭の子女が多いと聞く。
「私はエアラン大学の二年生です。たまにブラハ大学の子を、うちのキャンパスでも見かけます」
「参ったな。そんな近いところにいたなんて。俺は、四年生だよ。ほとんどボート部の練習に明け暮れてるから、自分の大学のキャンパスにすらいないんだけどね」
途端に互いの緊張感が、緩んだ。
ささやかな笑顔をぎこちなく浮かべ、ヨハネスが言う。
「アリーラ……って呼んでいいかな。君は、どうして今日ここに?」
「ある人と、約束したからです。ハリファックスさんこそ、どうして?」
「ヨハネスでいいよ。俺は、先祖の遺言があって。なんていうか、信じられないかもしれないけど、今日この日に、そのネックレスをしたアリーラ・レシュタットという女性が現れるから、必ず迎えに行け、って不思議な遺言を遺した先祖がいてね」
ドクン、ドクンと胸が激しく鼓動する。
「あなたのご先祖って……」
「俺の九代前の先祖は、この国の国王……、ノア勇猛王なんだ。ノア国王の次男が、ハリファックス公爵になって、我が家に代々この妙な遺言が受け継がれてきて」
ハリファックス公爵家の名は、聞いたことがある。現代では落ちぶれた貴族も多い中、不動産業を成功させた裕福な貴族の一つだ。
感慨深い思いがこみ上げる。
「あなたは、あのノア殿下…国王の、子孫なんですね……」
「正直、おかしな遺言だとみんな思ってきたけど。勇猛王の遺言を蔑ろにするわけにもいかないからね。勇猛王は二つ遺言を残して、代々ハリファックス家がそれを受け継いできたんだ」
「二つ?」
もう一つの遺言については、今話す気はないのか、ヨハネスは黙って頷いた。
それにしても。
まさか、まさか。
ノアが言っていたお土産って……。
「――お土産って、物じゃなかったのね」
つい呟くと、ヨハネスはオリーブの瞳を瞬いた。目の色は違うが、その形や配置をはじめ、端整な顔立ちがノアによく似ている。




