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彼と彼女の現実

 農村は実りの季節を迎え、ディーン王国の各地で収穫祭が行われる秋。

 王宮でも、収穫を祝う大きなパーティが開かれる。

 秋の庭園会と呼ばれるこのパーティは、大広間ではなく広大な庭園で開催される。

 収穫祭に合わせて行われるため、王宮の農園でできた作物が料理に多く使われる。

 このパーティの一番の目玉は、ウサギを追うゲームが行われることだ。

 庭園内に一羽の白いウサギが放たれ、参加者達はそれを探すのだ。ウサギは首に鈴をつけており、その音を頼りに探すのだという。

 ウサギを捕まえることができた者は、豪華な景品や賞金がもらえるらしい。

 とはいえ、あまりに庭園が広大だし、景品目当てにウサギを必死に探す貴族達もいない。彼らはそのような品のないことは、しない。

 だから会場内で偶然ウサギを見つけたら、捕まえるというのが定石だった。


 この日、私も両親と秋の庭園会に招待されていた。

 空高くよく晴れた気持ちの良い、緑豊かな庭園にはたくさんのテーブルが出され、野菜や果物を使った料理が並べられている。

 とりわけ注目を集めたのは、大きな氷の器に盛られたフルーツポンチだった。子どもの背丈ほどある高脚の器は全て氷でできていて、まるでガラスにしか見えない。中に浮かぶフルーツを涼しげに美味しそうに見せていた。

 私は両親とやってくるなり、国王夫妻に挨拶をし、その足でジュストのもとへと向かった。

 ジュストは管弦楽団のそばに直立不動で立ち、警備を担っていた。

 王宮で騎士団として働くジュストは、ほとんどの夜会やパーティに仕事でしか参加しない。

 ジュストと会うのは、モンラン湖以来だ。

 私はどきどきしながらジュストに近づき、彼に話しかけた。


「ジュスト、先日は本当にありがとう。文字通り命拾いしたわ」

「私の方こそ、カリエからの知らせのおかげで王太后様をはじめ、沢山の方々を助けられて感謝しています」


 ジュストはなぜ私が船の沈没を予測したのかは、聞いてこなかった。

 私が自分から言うのを待っているのかもしれないが、私から真実を伝える気はなかった。

 私は丁寧にもう一度頭を下げると、ジュストから離れた。

 二人で話しているところを、あまり見られたくない。

 ジュストから離れると、すぐ近くで歓声が聞こえた。

 何事かと近寄ると、茂みの裏で若い令嬢が数人集まり、興奮した様子で捲し立てている。


「ウサギを見たのよ。白いウサギよ!」


 自分が捕まえる気はなかったが、すぐ近くで目撃情報が出ると、探し出したくなる。それは彼女たちも同じなのか、皆で茂みをかき分けている。

 私も釣られて庭園の木々が茂る奥の方へと進んでいく。

 綺麗に刈り揃えられた芝の上を歩きながら、キョロキョロとあたりを見回してウサギを探していると、ふと私の視線が一人の女性に止まった。

 紺色のワンピースに、白いエプロンという格好は、王宮で働く侍女の制服だ。その侍女に、見覚えがあった。

 ――どこかで見かけたことがある。

 金色のおかっぱ頭の侍女で、私とすれ違うと王宮の建物の方へ歩いていく。


(そうだわ。あの侍女はたしか、コンドルーでの狩りに来ていたわ)


 酔った王太子に肩を貸していた。それで覚えている。――いや、違う。他にもどこかで……それも最近、見かけた気がする。だから気になるのだ。

 王宮の侍女なのに、思い出そうとすると私の記憶はなぜかあのモンラン湖を辿り、頭の中に船の中の景色が蘇った。それも、下働きしかいない調理場の光景が。


(そんなはずはないけど。でも、あの船のどこで、あの子を見たかしら?)


 ぞわり、と悪寒が走る。

 ウサギを思い浮かべてうきうきしていた心が、急に冷えていく。

 そんなはずない。いや、でもそっくりだ。

 今すれ違った侍女は、調理場で一緒に働いていた黒髪のお団子頭の大人しい女性に似ていた。

 髪の色こそ違えど、そばかすの散る肌や顔の作りは彼女そのものに思える。

 ありえない。

 でも考えてみれば、船の中のあの子も随分私を避けていたし、妙な感じがあった。

 彼女は途中で下船したから、夜中の火事には遭遇しなかったはずだ。


(でも、そんなのおかしい。だって、王宮の侍女がなぜ船内に?)


 私のように変装までして、スパイごっこをなぜする必要がある?


 私はウサギ探しをやめ、侍女のあとをつけた。

 興奮で息が上がるが、茂みに隠れながら足音を立てないようにゆっくりと尾行する。

 侍女は王宮の建物づたいに横に進むと、小さな倉庫の前に出た。倉庫の前で一旦立ち止まったので、慌てて建物の陰に身を隠す。

 やがて侍女のカツカツという足音が遠ざかったため、再び顔を出して倉庫を見やると、侍女が見当たらない。

 どこに行ったのかと倉庫の角を覗き込むと、侍女は倉庫の裏の木の下にいた。 

 侍女は一人の男性と抱き合っていた。

 こんな所で逢引きをしているのか、と驚くより先に私は心臓を鷲掴みにされた思いがした。

 侍女を抱きしめているのは、誰あろうこの国の王太子・イサークだったのだ。

 目の前の光景が信じられなかった。

 その組み合わせも、相手の男も。

 気づかれまいと顔を引っ込め、けれどその場を動けない。

 私は倉庫の外壁にへばりつき、耳を大きくして裏にいる二人の会話を聞き入った。


「急に二人で会いたいなんて、どうしたの?」


 王太子の声が風に乗って聞こえる。私が聞いたことがないような、甘い声だ。

 そこに、甘えたような侍女の声が続く。


「ファナ様を見て、悲しくなってしまったの」


 私の名前の登場に、体に力が入って外壁に爪を立ててしまう。


「ファナを見て、どうして悲しくなったの?」


 いやだ、私の話をしないでほしい。

 この状況では聞きたくない。


「殿下がもうすぐファナ様と婚約されると思うと…」

「ファナとは婚約するけれど、私が愛しているのはお前だけだよ、サリア。私がファナに与えるのは、妃という地位だけだ」


 私は今、何を聞かされているのだろう。

 聞きたくはないけど、体は硬直してしまって動かない。

 ジュストとノアの忠告が、現実のものとして実感できてしまう。


「本当ですか? 殿下のお心にいるのは、私だけですか?」

「信じてくれ。だからお前は、結婚せずずっと私の侍女でいてくれ。この先もそばにいてほしい」

「――私にせめて……殿下の御子ができれば、寂しくないのに」

「仕方がない。もう何年も試したけれど、神は私たちに子を授けてくださらない」


 あまりの内容に、めまいのように目の前が暗くなる。

 胸の鈍痛をこらえようと、片手で胸元をきつく抑える。


()()()? 何を……) 


 いろんな可能性を考えて否定したかったけれど、二人の会話が示すのは一つだ。

 王太子は恋人である侍女と、長年そういう関係にあった、ということだ。

 王太子の侍女という立場上、これからも彼のそばに居続けるのだろう。

 もう一つの可能性に気づき、指先から冷えていく。

 歴史上、王太子はこの後妃との間に子が出来ず、王位はノアに継承される。

 もしかして、王太子は子供に恵まれない体質なのかもしれない。


「これからも、君だけだよサリア」

「殿下!」


 急に二人の会話がやみ、気になった私は首を伸ばしてつい覗いてしまった。

 するとサリアが両手で王太子にしがみつき、王太子は彼女を抱き寄せて二人で熱い口づけを交わしていた。

 サリアが王太子にしなだれかかるようにして彼を押し、立ち位置は先ほどと逆になり、王太子は私に背を向けていた。

 何度も顔を離しては、見つめ合ってまたキスを繰り返している。

 血の気が引く思いで見つめていると、ふとサリアと目が合ってしまった。首を引っ込めるゆとりもなく、固まっているとサリアは微かにその口角を上げた。


(今、笑った……?) 


 サリアは王太子を甘えたような上目遣いで見上げると、言った。


「殿下は、ファナ様には渡しません」


 ぎくりとした。

 これは明らかに、私へのメッセージだ。

 庭園ですれ違った時のことを、思い出す。

 あの時サリアはわざと私に後を追わせたのではないだろうか。王太子と自分の仲を見せつけ、私はお飾りに過ぎないのだと自覚させ、牽制するために。もしくは、単に私を傷つけるために。

 王太子は声に嬉しげな感情を乗せ、優しく答えた。


「お前の焼きもちは可愛いね。私にはお前だけだから、安心してくれ」


 それ以上はとても聞いていられなかった。

 心が砕けてしまう前に、無意識の防衛本能に突き動かされ、私はその場を離れ、人の少ない場所へ向かった。

 誰にも会いたくなかった。

 ただ私の中の二人――アリーラとファナが泣き叫び、葛藤していた。


 これは望んだ未来であり、過去のはずだ。

 王太子妃になることこそが、通るべき道だった。

 いや、違う。

 こんな結婚は、たとえ貴族とはいえ不幸すぎる。十九歳からの残りの人生の全てを、こんな結婚に捧げることが、苦しい。


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― 新着の感想 ―
[一言] サリアの悪女臭が… 私のレーダーにビンビンきます(`・ω・´)
[一言] パトリシアは、本当にこの状態でも大丈夫なのかしら。ヒロインと一緒の純真さが、消えそうで悲しい。
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