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港の二人

 

 ジュストの船は王太后の船よりもずっと小さかったが、湖に飛び込んだ者達は残らず助けてもらうことができ、無事彼の船に乗り込んだ。

 助けられた人々を見渡すと、リンダが懸命に歩き回り、共に働いた調理人手伝いの女性達が揃っているかを確認するために、数を数えている。おそらく半分にも満たないその少なさに、数え終えたリンダが手すりにフラフラと歩み寄り、悔しげに水面を睨む。

 ジュストの船の甲板員たちは、私たちにタオルを配った。フカフカの触り心地に、受け取った誰もが微かに安堵の表情を浮かべ、タオルを体に巻き付ける。


(ジュストはタオルを船に、随分たくさん積んでいるのね。なんてありがたいの。本当に助かったわ)


 救助の手際の良さと準備のあまりの用意周到さに、流石はジュスト・アーヴィングだ、と皆が口々に彼を称える。

 船は一旦の救助を終えると、岸へと向かっていく。

 大きく傾いた王太后の船は、軋むような不気味な音を立て、黒い煙を上げながら遠ざかる私たちの前で、みるみる水の下に飲み込まれていった。

 その瞬間、気を張っていた足から力が抜けて、甲板に座り込んでしまう。


(止められなかった。調理場の出火を止めたのに!)


 どうして?

 風が吹き荒ぶ甲板の上で、私は手すりを掴んでなんとか立ち上がり、今や点となった船を睨んだ。

 一つの疑念が、頭の中に浮かんで消えない。

 作為的に動いたのに、歴史を変えられなかった……ということは、そもそも出火自体が作為の結果であり、私の一手だけでは事実を変えられなかったのではないか。

 つまり、誰かが意図的に階段に火を放ったのかもしれない。そう思うと、恐怖で体が震えた。

 この場合狙われたのは王太后かノアだろう。船から実際に逃げられなかった多くの人々は、下層に寝ていた下働きの者達だけれど。


「ジュスト・アーヴィング。あなたには、心から感謝いたします。私たちの命の恩人です」


 甲板の隅で震える声がした。

 王太后がノアに支えられ、膝を折ってジュストに挨拶をしている。

 頭を下げられたジュストは驚いて王太后を止めた。


「たまたま通りかかったのが幸いでした。私は単に、当たり前のことをしただけです」

「近衛騎士であるそなたにはいつも王宮の中で助けられているけれど、夜中の湖の上でも助けられるとは」


 私は二人の会話を聞きながら、髪の毛を下ろして顔を隠し、ジュストから見えない位置に行こうと甲板の奥に動いていった。

 船の上にはたくさん人がいたし、ジュストもテキパキと船員に指示を出していたので、彼と私が目を合わせる機会もなかったが、用心するに限る。

 船が岸に着くと、港は大騒ぎになっていた。

 あかりが煌々とつけられ、下船した王太后は出迎えた馬車に乗り込む。

 船から先に下りるのは高貴な人々で、私の下船の順番はほとんど最後のほうだった。

 私はリンダの後について船を降りようとしたが、甲板の上でたたらを踏んだ。下船した者達は皆、ジュストの船の到着を待っていた近衛騎士団に呼ばれて、一箇所に集められていたのだ。証言や取り調べをこれから行うのかもしれない。


(無理無理。騎士団が正式に調べたら、カリエだと偽って採用してもらったのが、バレちゃう)


 私が公爵令嬢だと発覚してしまえば、大変なことになる。

 リンダは素直に近衛騎士団に向かって歩いていくが、岸辺は野次馬も含めて人々でごった返していた。歩くだけで、周りにいる野次馬達と肩がぶつかる。

 私は目立たぬよう背を丸くして人混みに飛び込むと、「乗員達はこちらに」と呼びかけている近衛騎士団の声を無視し、群衆の中に身を隠すように体を小さくして、そのままどんどん港から離れていった。

 やっと建物の陰に入ると、ようやく胸を撫で下ろし、体に巻き付けていたタオルを緩めた。


(はやく、カリエの待つ宿に戻ろう)


 大きくため息をつきながら、狭い路地に入って行こうと早歩きで角を曲がった瞬間。

 同じく建物の角を曲がってきた人物と、正面衝突をしてしまった。

 鼻が相手の胸に当たり、一瞬目がチカチカするほど、鼻を強打してしまう。


「イタタ…。ごめんなさい、私ちょっと急いでいて…」


 鼻を押さえながら見上げ、硬直する。

 バサリ、と私の体からタオルが落ちるが拾うゆとりはない。

 私の目の前で仁王立ちしているのは、ジュストだった。

 ジュストは両腰に手を当て、私を見下ろしていた。


「そんなに急いで、どこに?」

「あ、の」


 どんな言い訳も出てこない。頭が回らないし、何より顔を隠すのに必死で、私は急いで俯いた。ジュストは建物と建物に挟まれた狭い路地で、体を反転させると私を壁際に追い込むようににじり寄った。

 つられて後ずさると背中が壁に当たり、濡れた服がじっとりとまとわりつく。

 ワンピースの裾からは、汗のようにボタボタと水が垂れて地面の石畳にシミを作っているが、私の体は氷のように冷えていく。


「お前は私の船に乗っていたはずだ。王太后の船から救助されたくせに、コソコソとどこへ行こうと?」

「決して怪しいものではありません。でも、巻き込まれたくなくて。助けていただいて、本当に感謝してます。この偶然に、感謝いたします」


 頭を下げてこの場を離れようと、体の向きを変える。

 するとジュストがドン! と私の顔の左右に両手を突いた。突然のことに、ビクリと体が震えてしまう。


「私から、逃げようとしたな?」


 顔を隠そうとカーテンのように両方の頬に下ろした私の赤く染めた髪に、ジュストの手が伸びる。

 心臓の音が聞こえるのではないかとどくどくと打つ中、ジュストは私の右側のほおを隠していた髪に触れ、そっと私の耳にかけた。


「あ、あ…あの」

「馬鹿なことを。私がたまたま、偶然にも夜中に船で王太后の船のそばまで航行したと思っているのか?」

「ち、違うんですか?」


 今度はジュストの手が左側に伸ばされ、左の髪の毛をかき上げて耳にかける。

 薄暗い路地裏とはいえ、すぐ近くから見下ろされて、俯くしかない。


 ジュストの手が私の頬に触れ、反射的にびくりと震えてしまう。

 彼は街中では、こんなに気安く女性に触れるんだろうか。

 混乱していると、ジュストの手はやがて私の頭に回され、ゆっくりと優しく撫で始めた。


「……カリエから、あなたが危ない真似をしようとしていると、聞いていたんです」

「カリエが!?」


 しまった。

 カリエなんて知らない、と言うべきだったのに。


「万一の時は助けてほしい、と。侍女をあまり困らせるものではありません」

「ご、ごめんなさい」


 謝ってしまっている時点で、もう何も誤魔化せていない。


「あなたが甲板にいるのを見た時……、あなたを、失うかと思いました。――生きた心地がしませんでした」

「ジュスト。いつから、私が私だと気が付いたの?」

「あなたが煙に巻かれて甲板に立っているのを、見た瞬間にわかりましたよ。分からないはずがありません」

「こんなに、変装しているのに」

「あなたの顔の形も、細い手首も、華奢な背中も、表情のひとつひとつを、全て覚えておりますから」


 その言葉全てが、私の心を震わせる。

 私もそうなのだと、あなたの憂いを帯びた目元も、暗い髪色も、清潔に整った髪型も、鍛え上げられた騎士らしい体格も、全部が私を惹きつけてやまないのだと伝えてしまいたい。

 ……でも、それだけは出来ない。 

 お互い別の道を歩む事が、お互いのためなのだ。

 唇をかたく結んで黙っていると、ジュストが私に向かってかがみ、私の濡れた額にキスをした。


「あなたを失うことが、こんなにも辛いとは」

「ジュスト……」

「私には、耐えられそうにありません。―― 失うことも、手放すことも」


 その震えるようなセリフにも、私は答えるわけにはいかず、ただ黙っているしかない。


「カリエがあなたを港で探していましたよ。今呼んできますから、ここで待っていてください」


 ジュストは溜め息混じりにそうつぶやくと、私を置いて再び港の方へ戻っていった。

 一人残された私は、熱い額にそっと手を触れた。



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