王妃のお茶会
本格的に暑い、夏がやってきた。
外に出ると強い日差しに、ジリジリと肌を焼かれそうになる。
一年で一番暑い二ヶ月の間、国王は政務を夏の離宮に移す。そのため、王都にいる貴族達は、同じく避暑を兼ねて家族で離宮のあるロンドに向かうのだった。
レシュタット家もロンドに移動する貴族の一つだ。
アリーラの時代もロンドは有名な避暑地で、夏の間は観光客で賑わう。
(とはいえ、レシュタット家がロンドにまで家を所有していたとは、知らなかったわ)
ロンドは土地代が高く、小さな物件を買うだけでも大変だと言われる。
この時代のレシュタット家は本当に上流貴族なんだな、と痛感してしまう。
公爵夫妻は例年通りロンドに向かったが、熱を出した弟は直前で行けなくなり、私も同じく王都に残ることになった。なぜなら、王太子は万一のことを考えて国王と行動を共にはせず、王都にとどまるからだ。さらに、今年は王妃が主催するお茶会に私は招かれていた。
お茶会には私以外に二人の令嬢が招かれており、一人はパトリシアで、もう一人は侯爵家の一人娘だった。私たちは皆、以前のオペラに招かれた面々だった。
「つまり、お茶会に誘われた三人が、王太子妃の最終候補者ということよ!」
母は力説した。
二ヶ月も別邸に滞在するので、旅支度で忙しくなるかと思いきや、母は旅の仕度作業は全て使用人たちに任せきりにしたので、出発する寸前まで私のお茶会のアドバイスに余念がなかった。
「王妃様に気に入ってもらうことは、王太子妃になる絶対条件の一つよ。ファナ、覚えておきなさい」
母によれば、王妃は保守的な女性が好きなのだという。
いわゆる、三歩下がって大人しく従順に夫についていくような、そんな女性を息子の妻にと望んでいるらしい。
「三歩どころか、十歩でもいいわね。とにかく、王室の方々のいうことに、口答えしないこと。『王室のことは何もわからないから、何でも教えてください。ついていきます』という姿勢が大事なのよ」
うんうんと頷きながら、公爵邸の玄関まで母を送る。
母は父が待つ馬車に乗り込むと、扉が閉まる寸前に言った。
「お茶会、頑張りなさいよ!」
私は引き攣る笑顔で、大きく一度頷いた。
迎えた王妃主催のお茶会の日。
この日のドレスは、カリエと話し合って淡い緑色にした。
保守的な方というのは、はっきりした色――例えば赤や青などを嫌う、というのがカリエの見立てだった。
お茶会は王宮の庭園の一角で行われた。
だだっ広い、けれどよく整備された芝生の上に大きな純白の天幕が張られ、その中にテーブルセットが準備されていた。
天幕は花々で飾り付けられ、とても愛らしく仕上げられている。
夏の日差しはきつかったが、涼しい風が芝の上を吹きわたり、中にも吹き込む。
先に席についていた王妃に対し、慣例にならい最初に挨拶をしたのは、公爵家の私だった。
「王妃様、この度はお招きいただき、誠にありがとうございます。公爵家のファナと申します」
王妃は艶やかにほほ笑んだ。目元の皺は深く、年齢を感じさせるが美しい。
「こうして一緒にお茶ができるのを、とても楽しみにしていたわ。今日はどうぞ楽しんでいってね」
次に膝を深く折ったのは、侯爵令嬢のジャッドだ。
「敬愛する王妃様にお会いできて、光栄です」
「あなたの祖母は、私の大好きな女官よ。とても似ていて、親近感がわくわ」
ジャッドは感極まったのか、両手で胸を押さえた。その様子を王妃が満足げに見つめる。
最後に挨拶をしたのは、パトリシアだった。
「伯爵家のパトリシアと申します。本日お招きいただけたことは、伯爵家の誇りです」
「お噂はかねがね聞いているわ。優秀なご令嬢なのですってね。それに、ジュストにはいつも世話になっているわ。彼には何度も命を守ってもらったのよ」
ジュストを褒められ、パトリシアが嬉しそうに微笑む。なぜか、私まで誇らしく感じてしまう。
お茶会のお菓子は、さすがは王妃主催だと舌を巻いてしまうほど、おしゃれだった。
クッキーには色鮮やかな食用花の花びらで飾られ、マカロンは薄紅や黄色、緑と綺麗な色が出ており、その軽い口当たりとは裏腹にとても濃厚な味がした。
王妃は私達の趣味について、いろいろと尋ねてきた。
私やジャッドが読書や音楽鑑賞について話すと、王妃は優しく何度も頷いてくれた。
だがパトリシアははっきりとした口調で、意志の強そうな眼差しを向けたまま、言った。
「私の趣味は、父と共に伯爵領地を視察に行くことですわ」
王妃はこの日初めて眉を顰めた。
「まぁ。変わった趣味ね。本来、それは家の後継者の仕事だわ」
「はい。長兄が行くことも多いのですが、私も知っておくに越したことはありません」
「知らなくて良いものが、この世にはたくさんあるのよ。特に女にはね」
最後の一言に、私とジャッドは視線を下にして、おとなしく聞いていた。だがパトリシアは、黙っていなかった。
「父は私を兄たちと分け隔てなく育てましたもので、私は少々変わっているかもしれません。性別で制限せず、心の赴くまま、自由に知りたいことを教えてくれました」
「伯爵家では良いこともあるかもしれないけれど、忘れないでちょうだい。王妃に必要なのは、つましく王の隣に侍ることです」
「勿論ですわ! 王太子妃とは、王太子殿下のために尽くす第一の家臣であるべきですもの!」
ジャッドがハキハキと答え、王妃は同意を得られたことに満足そうに微笑んだ。
「素晴らしい心がけだわ。結婚前にどのような考えや趣味があっても、かまわない。けれど、妃となったらそれまでの自我やわがままは捨てて、王家のしきたりと習わしに従順でなければなりません」
王妃はまるで姑のお小言のように、そう言った。
私たちの返事は三者三様だった。
私は力無く「はい」と頷いたが、ジャッドはまるで敬礼でもしそうな勢いで、背筋を伸ばしてはきはきと答えた。
「勿論ですわ! 王妃様、勉強になりますぅ!」
パトリシアはただ控えめに、「王家の習わしには興味があります」とだけ答えた。
否定も賛成もしない言い方だったが、どちらにもとられぬよう、明確な意思表示を避けたのだろう。
王妃はティーカップの華奢な取っ手をつまみ、薄い唇に傾けて少しだけ飲むと、続けた。
「王家の役割とは、民達の前で理想的な家族像を見せることでもあるわ。王太子妃の仕事は王太子を愛し、民に愛されることです。それが一番大事であり、別のものを期待したり、求めてはなりません。王太子の愛は万民に向かっているのですから」
「まさに、わたくしの理想の王太子妃としてのあり方です!」
ジャッドが激しく胡麻を擦りながら首を縦に振る。
(民から愛されること? 王太子からの愛は、……求めるなと言いたいの?)
以前の私なら聞き流していたかもしれない。だが今となっては、ジュストとノアの忠告がより現実味を増して響いてくる。
つまりは王妃も息子が自身の妃以外の女性と関係を持っても、めくじらを立てる気はないということかもしれない。
王妃は言い切ったという気分なのか、自分の発言に満足そうに胸を反らしていた。王太子とノアによく似た青い瞳で、私達を順番に観察している。
それにしても、色々な牽制がビシバシと感じられて、もし王太子妃となっても、とてもじゃないが「素敵な義母」とは呼べなさそうだ。
達観できた者だけが、この王宮に飛び込めるのだろう。
お茶会の終わりに、私達三人が別れの挨拶をして、女官達の案内で王宮の出口に向かい始めると、私だけ一人の年嵩の女官に呼び止められた。
女官は長年王妃の側近として仕えている侯爵夫人で、母の友人の一人でもあるので、顔見知りだった。我が家にも何度か遊びにきたことがある。
彼女はにっこりと笑いながら、私を引き止めた。
「王妃様がもう一度、あなたにだけ会いたいのですって」
「私に?」
「おめでとう、ファナ。王妃様はあなたを一番、お気に召されたのよ」
侯爵夫人は私の腕を親しげにさすると、まだ王妃が来ていないことを確認してから、私に秘密を打ち明けるように囁いた。
「ジャッドは頭が足りなさそうで、王太子妃としての資質に欠けるわ。パトリシアは王太子の前に出てしまいそうで、王妃様のお好みではなかった。あなたは、完璧だったわ」
驚いて待つ私の前に、先ほど別れを告げたばかりの王妃が歩いてくる。
王妃は満面の笑みを浮かべて、ゆっくりと歩いてくると、私の正面に立った。すぐに胸に手を当て、膝を深く沈めて王妃に礼を取る。
顔を上げると、王妃は私の前に何やら布袋を差し出した。
華奢で白い王妃の手が、絹の艶やかな袋の中から、中身を取り出し、私に見せる。
それは紺色の小さな、本当に小さな手のひらに載るほどの大きさの靴だった。
「ファナ・レシュタット。これを私から、あなたに」
「これは、赤ちゃん用の靴ですか?」
「ええ。そうよ。私も陛下と婚約する前に、王太后様から頂いたのよ。赤ちゃんの靴を縫って、王太子の将来の妃に贈るのは、ディーン王家の習わしなの」
将来の妃?
緊張が頂点に達し、受け取る手が震える。
紺色の靴は明らかに男の子用で、王太子妃として「男児を生むこと」を期待してのことなのだろう。
ごくりと生唾を嚥下して口を開くが、喉がカラカラだ。さっきあんなにお茶をたくさん飲んだのに。
「私が、頂いてよろしいのでしょうか……」
「もちろんよ。受け取ってくれるわね?」
「ありがとうございます、王妃様」
王妃からの贈り物を突っ返すことかできる者など、いるはずもない。小さな靴を胸に抱き、深く頭を下げる。
王妃に気に入ってもらえたことは、光栄ではあった。
だが、王妃に選ばれてしまったことへの、恐怖も確かに感じた。
これで、王太子妃の座をめぐるレースで、優位に立ったことは間違いない。
(おばあちゃん……。私、やったわ。これでいいのよね?)
アリーラとしての私が、祖母に心の中で語りかける一方で、喜べない自分もいた。
歴史を変えることへの恐怖。
そして、王太子妃になったファナが、幸せになれないかもしれないことへの、恐怖。
何より、昨日まで私の近くにいた黒髪の騎士がーージュストが、一瞬にして手の届かないところまで遠ざかってしまったのを感じ、胸が激しく痛んだ。




