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〜幕間〜アーヴィング兄妹

 伯爵家では、パトリシアが兄ジュストの帰宅を待っていた。

 一昨日、パトリシアは王太子とオペラを観に行ったが、あまりに疲れて帰宅後はすぐに寝てしまった。翌日はジュストの夜勤の日だったため、ここ二日ほど二人はすれ違っていたのだ。


「お兄様に、今日こそは確認しなくちゃ」


 馬の蹄の音が聞こえると、パトリシアは急いで自室を出た。ドレスの裾を踏まぬよう、左手でしっかりと裾をたくしあげ、右手は階段の手すりに滑らせる。

 パトリシアには兄を問い詰めたいことがあった。

 パトリシアがオペラの翌日に少し朝寝坊をして起きてくると、廊下の掃き掃除をしている侍女たちが「昨日ジュスト様に珍しく女性の来客があった」などと噂をしていたのだ。

 どういうことかすぐに問い詰めたが、仕える家の人のことをペラペラと話すのは、告げ口をするようで気が引けるのか、侍女達はしまった、という表情で固まった。彼女達はなかなか口を割ってくれなかったが、懇意にしている侍女の一人がようやく昨夜、パトリシアが留守の間に見聞きしたことを話してくれたのだ。


 侍女によれば、ジュストが女性と二人で会っていたのだという。

「とても親密な雰囲気で、お似合いのお二人でした」との報告にパトリシアは大変驚いた。

 兄に恋人がいるという話は、今まで聞いたことがなかったし、親しくしている異性の友人の話も聞いたことがない。少々心配していたところなので、本来なら喜ぶべきところなのだが、胸騒ぎがする。

 パトリシアには、その女性に心当たりがあったのだ。


「あの鼻持ちならないレシュタット家の一人娘は、どうだった?」

「レシュタット家の令嬢は、王太子殿下のことを何と言っていた?」

「ファナ様とは、私の話をすることがあるか?」


 兄は最近、ファナのことばかり聞いてくるようになった。

 以前はレシュタット家を嫌っていたはずの兄が、月光花を見せてもらったのを皮切りに、次第に態度を変化させていた。当初はパトリシアのライバルとして、ファナの情報を集めたがっていたはずが、近頃はどうもファナの話を聞くことに執心している気がする。

 侍女から「ジュスト様がお珍しいことに、お部屋に菓子缶を飾っている」と聞いた時、更に疑惑が深まった。

 その缶には覚えがあった。


(あの缶は、レシュタット家から持ち帰ったものだわ。たしか、チーズのクッキーが入っていたはず)


 ジュストは一度だけレシュタット家に行ったことがあった。レシュタット家の夜会に王太子が出席する際、ジュストも護衛として同行したのだ。あの缶は、その夜にジュストが持ち帰ったものだ。

 中味のクッキーを食べ終えると、しばらくの間缶は台所に放置されていた。その後、調理人達が小物入れとして勝手に使っていたらしいが、やがてジュストが部屋に持ち帰ったらしい。

 ジュストは缶を捨てず、大切に飾っていたのだ。


 もう一つ、どう考えてもおかしなことがあった。

 最近、ジュストが屋敷の調理人と頻繁に何やら話し込んでいるのだ。

 相手が女性なので、まさかあの兄としたことが、使用人とわりない仲にでもなっているのだろうか、と気になって聞き耳を立てていると、ジュストはどうやらその調理人からレシュタット家の情報を聞き出しているようだった。


「もう少し、教えてほしい。――それで、ファナはコンドルーで王太子殿下と二人きりになったのか?」


 パトリシアの位置からは、調理人の声が良く聞こえない。だが調理人は何かを答え、ジュストが何度か満足げに頷くと、調理人に紙幣を渡していた。

 その後もジュストは調理人にたびたびファナの話を聞いているようだった。


(どうしてそんなことをするの? お兄様は、まさか……)


 兄は、ファナに好意を寄せ始めている。

 そう考えたパトリシアは、大きく深呼吸して心の準備をすると、侍女に聞いた。


「私やお祖母様がいない間に、お兄様がお招きしたのは、誰?」

「あの……、レシュタット公爵家のファナ様です」


 パトリシアは額をおさえ、目を閉じた。

 予想していたとは言え、衝撃だった。

 パトリシアはファナが好きだ。ライバルではあるが、友人でもあるし、共にいることがとても楽しい。

 だがファナはレシュタット家が彼女の誕生時から、未来の王妃にしようと総力をあげて育ててきた一人娘だ。

 家族に隠すようにファナを招いたことが発覚すれば、レシュタット家の怒りを買ってしまう。

 パトリシアが玄関ホールに辿り着いたのと、ジュストが屋敷の中に入ってきたのはほぼ同時だった。

 ジュストはパトリシアと目が合うと、軽く眉を上げた。妹がわざわざ玄関まで出てくることは、滅多になかったからだ。


「お兄様、お帰りなさい」

「ただいま。珍しいな、ここまで迎えに出てくれるなんて」

「お話があって、待っていたの。ねぇお兄様、私がオペラに行った日に、ファナを晩餐に招待したんですってね」


 玄関ホールの隅に置かれた猫足の椅子に腰掛けて、ブーツから室内靴に履き替えながらジュストは「ああ、そうだよ」と答える。その様子には少しも悪びれるところはなく、いつもの冷静な兄だ。

 ジュストが立ち上がって廊下を進むと、パトリシアは後をついていく。


「どうしてファナを、よりによって私やお祖母様が留守の日に呼んだの?」

「たまたまだよ。私も彼女から聞きたいことがたくさんあったからね」

「庭園の迷路にファナと入ったそうね」


 咎める口調で指摘するも、ジュストは居間に向かう歩調を緩めない。帰宅後はいつも居間で水を飲むのだ。


「それが何か?」

「迷路からなかなか出てこなかった、と聞いたわ」


 ベラベラと話したおしゃべりな侍女は誰だ、と不快に感じつつ、ジュストが暑さからシャツの一番上のボタンを開ける。


「ファナ様が迷ってしまったのだから、仕方がない」

「迷ったのではなくて、迷わせたのでは? 道を一箇所塞ぐと、出口がなくなるのは私も知っているわ」


 ジュストは答えず、居間に入ると執事に水を所望する。

 兄が答えないことに、パトリシアは失望した。

 予想通りだ。兄は、道を塞いでファナを出られなくしたのだ。

 勤務で疲れたジュストは、居間のソファにやや乱雑に体を沈めた。

 背もたれに寄りかかると、怠そうにパトリシアを見上げる。


「悪いが、夜勤明けで疲れているんだ。手早く済ませてくれ」

「なら単刀直入に聞くわね。お兄様は、ファナが好きになってしまったのでは?」

「まさか」

「嫌いな子とわざわざ二人きりにならないでしょ? しかも家族の目を避けるように招いたりしないわ。それにあの迷路の中に入れば、侍女たちからも見られずに済むわ」


 一気に問い詰めると、ジュストは投げやりなため息をついてから答えた。


「そうだね。二人きりだから、言いたいことをなんでも言えたよ。ファナ様に、王太子妃には相応しくないから、諦めるよう伝えたよ」

「どうして…」

「もちろん、ファナ様を王太子殿下から遠ざけるために。お前は喜ぶと思ったがな」

「ファナに、他には何て言ったの? 本当は迷路の中で、愛を囁いたのではなくて? ……お父様とお母様のように」


 ジュストは肘掛けにもたれると、涼しい表情のまま答えた。


「それに近いことは、言ったよ」

「なんですって……!」

「彼女は公爵家の箱入り娘だからね。遊びも何一つ、知らない。誘い出して少し抱き寄せれば、簡単に(なび)くような、うぶな令嬢だ」

「そんな言い方ないわ。なんてことを」


 パトリシアはジュストが女性を誘ったり、ましてや抱きよせるところなど見たことがなかった。

 それもまるで、気持ちがないのにファナに気のあるフリをして近づいているような話ぶりだ。

 加えてパトリシアは友人を貶された不快さを覚え、自分に落ち着くよう言い聞かせる。

 呼吸を整えてから、口を開く。


「お兄様は、ファナを好きでもないのに、王太子妃の座の争奪戦から落とすために、誘惑しているということ?」

「もちろん。むしろそれ以外に何がある?」


 パトリシアは困惑した。

 涼しげな兄の表情からは、どこに真意があるのか窺えない。

 いずれにせよ。


「そんな卑怯な真似は、いけないわ」

「卑怯? 私は卑怯か」


 ジュストは顔を歪めて、新年の事件を思い出した。


(夜道に人を襲わせ、屋敷中の馬を脱走させるのと、どちらが卑怯なのか)


 あの日、教会に王侯貴族が集まった新年の祈祷式でのこと。

 先に到着しているジュストを見て、公爵家の面々が目玉を剥き出していたことを、よく覚えている。

 ファナは驚愕を全身で表したあと、公爵夫人と何やらヒソヒソと話していた。

 一連の悪事は、公爵家皆の知る計画のもとに実行されたのだ。ファナも含めて。

 馬は高価だ。

 ほとんどの馬を逃がされ、懸命に探したが大半がまだ見つかっていない。

 ジュストはとりわけ可愛がっていた愛馬をいまだ発見できず、つらい思いをしている。


「ファナ様は、お前が思うほど単純じゃない。ファナ様は、いつも何か隠し事をしているような雰囲気がある。箱入り娘とはいえ、用心するに越したことはない」


 パトリシアもそれは感じていた。

 うまく言い表せないが、ファナは周囲の人に明かさない裏がある気がした。何か、大きな秘密を抱えているような。

 パトリシアは少しの間の沈黙の後、兄を試す質問を投げることにした。


「じゃあ、あの缶を私に頂戴。お兄様が部屋に置いている缶を。ファナから貰ったものなんでしょう?」


 数回、ゆっくりとジュストが瞬きをした。

 やがて彼は表情ひとつ変えず、答えた。


「……考えておく」


 缶をあげることくらい、考えなくてもすぐに出来るはずだ。


(もしかしてお兄様は、ご自分の本心に気づいていないの? それとも、自分をも騙しているの?)


 パトリシアは溜め息をついた。


「お兄様は、もし私が王太子様に選ばれたら、ファナをどうするおつもりなの?」

「ファナ様の敗北が確定した時点で、すみやかに彼女から離れるだけだよ」

「そんなの、やめて。どれだけファナが傷つくか!」

「だがファナ様は妃になれば、もっと傷つく。違うか?」


 ジュストに射抜くような目で見上げられ、パトリシアは息を呑んだ。

 兄が何を言わんとしているかは、わかる。

 王太子には、既に相思相愛の恋人がいる。彼は自分の妃を立場上、執務の延長として娶るだけだ。

 王太子と付き合いの長いジュストは、彼が華やかな容貌とは裏腹に、非常に低温な心の持ち主だと知っている。

 パトリシアはドクンと嫌な音を立てた胸を、ぎゅっと押さえた。


(そうね。ひた隠しにする裏の顔があるのは、王太子だわ……)


 パトリシアはある光景を思い出した。

 五年ほど前。

 軍学校で共に剣の腕を競っていた王太子は、友人として伯爵家を訪れていた。

 二人は庭園で剣を交わし、剣の練習をしていた。

 その日、ジュストは何気なく王太子の隙をつき、勝利をもぎ取ってしまった。

 すると王太子は突然、目の色を変えて剣をジュストに投げつけた。

 ジュストは間一髪、それを避けたが、剣は背後に置かれていた大きな陶の壺を破り、その後も後方に滑ってくるくると回転した。

 音の大きさから、王太子がいかに渾身の力で投げたのかが分かり、パトリシアはゾッとした。

 剣を避け損ねていたら、大怪我は免れなかった。

 だが王太子はすぐに優しい華やかな笑顔を浮かべ、目の前で驚いているジュストに言った。


「ははは。冗談だよ、びっくりしたかい? 君なら、避けられるのは分かっていたからね」


 王太子の持つ残酷な一面を知っているからこそ、結婚によって彼が変わってくれるとは思えない。

 御伽噺の主人公にはなれないのだ。パトリシアはちゃんとわかっているからこそ、ファナに不安を抱いた。結婚生活は長いのだ。


(結婚がゴールでは、その先の人生で必ず潰れてしまう。あなたは大丈夫なの、ファナ?)


 心配だった。そしてもちろん、自分の心を騙してまで、彼女に惹かれてしまっている兄のことも。



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