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薔薇の迷路②

 迷路の入り口にくると、ジュストは腰から下げた懐中時計を片手で持ち上げ、針の位置を確認した。


「ちなみにパトリシアはいつも十分ほどで、中から出られましたよ」

「分かったわ。十分ね。負けないように、頑張るわ」


 迷路に飛び込むと、密集した木々に左右を囲まれる。道なりに歩くと、すぐに左右両方に出る道が開ける。

 左に進むことを決めると、曲がってその先を急ぐ。

 実は迷路の中で同じ道を何度も通らず、出口に向かえるとある方法を、アリーラは以前本で読んで知っている。左右どちらかの片手を壁に当て、ずっとその壁に沿う方向に進めば良いのだ。そうすれば迷うことなく、必ず出口にたどりつける。


(十分あれば、たぶん余裕だわ)


 薔薇に包まれた迷路を歩くのは、心地良かった。


「あの薔薇の真紅の色が、一番綺麗だ」なんて風流な会話をするゆとりもあった。

 けれど、迷路は思ったほど単純ではなかった。いつまで経っても外に出る箇所にぶつからない。


「ええと、ジュスト。迷路に入ってから今、何分?」

「八分です」

「時間って経つのが速いわね。あと二分でパトリシアに負けるのね。なんだか、随分外から見るより大きくない? ずっと歩いてるじゃない」


 焦りを見せる私を、ジュストが余裕綽々(しゃくしゃく)といった雰囲気で見下ろしている。そのアイスブルーの目は、愉快そうだ。

 おかしい。

 本で読んだ秘策を使ってるのに、いっこうに外に出られない。焦りを感じて、進む足がどんどん速くなっていく。

 するとジュストが近くにある、大きな薔薇を指差した。


「ファナ様。あの薔薇に見覚えは?」


 はたと見上げ、まさかと大口を開いてしまう。


「うそ! あの薔薇、私がさっき一番綺麗だと言った真紅の薔薇じゃない!?」

「そうなんです。私たちは、この道を実は既に三回通っています」


 いやだ、三回も!?

 そんなの、おかしい。秘策を使ったはずなのに。


「それじゃ、私たち迷子になっていると言うこと? 嫌だ、このまま出られなくなったりしないわよね?」


 ジュストは笑っているだけで、答えてくれない。

 走るように先を進む。もう、本に書いてあったことなんて、信じない。全然秘策なんかじゃなかった。

 迷路の作りによっては、通用しない方法なのかもしれない。

 ジュストが淡々と言う。


「入ってから、十五分経ちました」

「ぱ、パトリシアに負けたわね」


 薔薇の花の大きさや位置を目印に、通る道を決める。行き止まりになるたびに引き返し、道が分かれる所では前回と違う方向を選んで進む。


「あら? 変だわ。さっきもこの行き止まりに来たのに……。気のせいかしら?」


 落ち着いて進もうと思っても、徐々に平静さを失っていくのを止められない。

 だがジュストはまるで焦る様子もなく、私と並んで歩いた。懐中時計に視線を落とし、呟く。


「ファナ様、三十分経過しました」

「ええと……ジュスト、一応聞いておくけれど、あなたは道を分かっているのよね?」

「分かっていません。迷路の中に最後に入ったのは、十年以上前なので」


 ちょっと待って。

 予想外の報告に、思わず立ち止まる。


「なんですって? じゃあなんで、そんなに平然としてるのよ。――おかしいわ。この先って、また行き止まりだわ。もうここしか、通ってない道はないはずなのに」


 四方八方を密な植物の壁に囲まれ、息苦しさすら感じる。

 周りを見たくて背を伸ばすが、植物の背が高くて少し背伸びしたくらいでは意味がない。

 焦って額に汗をかき出す私を見てから、ジュストは言った。


「もう出ますか?」

「出たいわ。もう無理。降参よ」


 するとジュストはおもむろに植物の中に手を突っ込んだ。肘あたりまで葉の中に入れると、何かを握ったのか、カチっと硬質な音がして、信じられないことに木々が割れ出す。

 どうやら下に滑車があり、ここの木がその上に載っているらしい。左に木々がずれ、急に横道が開ける。

 突然できた空間に、唖然とする。ジュストと開いた道を、交互にうろたえながら見つめる。


「な、何これ……、どうなってるの?」

「この道が開いていないと、ゴールに辿り着けない仕掛けなんです」

「なんですって。こんな仕掛けにはとても気付けないのに。そもそも、道を知っていたんじゃないの貴方!」


 怒って腕を強く押すと、ジュストは少しだけ申し訳なさげに笑った。


「からかってすみません。……この迷路は、昔父が母を初めて屋敷に呼んだ時に、作らせたのです。侍女たちに邪魔されずにできる限り長く二人きりで過ごせる場所を、作りたかったらしいですよ」

「伯爵様は、策士ね」


 言ってから、ふと思いつく。


(ジュストは――、もしかして自分の父親と同じことを考えて、私を迷路に誘った……とか?)


 いや、まさか。そんな自惚(うぬぼ)れたことを考えるなんて、どうかしてる。

 恥ずかしくて、ジュストの顔が見られない。

 ひたすら、出口目指して先を行く。

 そこからの道は単純だった。いくつかの角を間違えずに曲がると、やっと迷路の外に出られた。

 急に視界が開ける清々しさが、たまらない。


「とんだ迷路だったわ」


 迷路から出て開放感を味わって深呼吸していると、目の前には大きな木があった。横に大きく伸びる枝から、ブランコが下げられている。


「あのブランコもよく子供の頃に、乗ったの?」

「いいえ。あれはパトリシアが最近作ったものです。体を動かすのが好きで、よく漕いでますよ。乗ってみますか? 意外と大人になってから漕ぐと、思ったより怖くてハラハラしますよ」

「ブランコなんて、最後に漕いだのはいつかしら」


 ロープをしっかりと掴むと木の板にお尻を乗せ、足で地面を蹴る。最初は小さな動きが、徐々に大きな振れ幅になっていく。ふわりとドレスの裾が舞い上がり、全身で空気を切る感覚が気持ちいい。

 ジュストが背中を押してくれて、より高く上がる。一番高いところから降りてくる時には、お腹の中がふわりと浮き、爽快感と共に恐怖もある。


「大人になると、子供の頃に感じた楽しさとはまた、違うものがあるわね」


 やがてブランコが止まると、ジュストが私の正面に来た。目の前に立たれてしまって、降りられない。キョトンと見上げていると、彼はブランコの二本のロープを両手で掴んだ。なおさら、降りられない。


「ファナ様。今日はどうして来てくださったのですか?」

「パトリシアに会えるかと思ったのよ」

「いるとは、書いてありませんでした」

「み、見落としたのよ。セルマ様もいると思ったの」

「おりません」

「そうね」


 返事がひどく無感情になってしまう。これではまるで私はパトリシア達がいないことを、薄々察していたみたいじゃない。

 同じことを感じたのか、ジュストがさらに尋ねてくる。


「本当は私しかいないかもしれないと、分かっていたのでは?」

「で、でも。ええと……そうだとしても、あなたに借りたジャケットを返さないといけなかったから。サバス高原のホテルで、借りたやつよ」

「ジャケットは、どこに?」

「馬車の中よ。帰りに返すわね」


 ジュストは小さく笑った。


「あのジャケットは、差し上げると言ったのに……」


 それは私も覚えているけれど、何も言えなかった。



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