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ファナとたくましい家族達

 殺人的極細ヒールを履いた足をなんとか上げて、階段に足を掛ける。

 二階へと上る足が、色んな意味でどうしても震えてしまう。

 どうにか自分の部屋に戻ると、私はしばし立ち尽くした後で、物書き台の引き出しを開けた。

 ここに、ファナは日記を入れていたはず。

 震える手で取り出したのは、果たせるかな赤色の背表紙の日記帳だった。


(間違いない。これは、おばあちゃんが持っていた日記帳だ!)


 アパートにあったものよりずっと綺麗だが、表紙に書かれた模様も同じ。我が家に受け継がれ、祖母が見ていたもの。私は読んだこともなくて、中身を知らなかったけれど。

 でも、薄らとあるこの頭の中の記憶が確かなら、たしかにファナは去年一年間、ずっと日記をつけていた。

 弟のエルガーがくれた日記帳だから、とても気に入っていたのだ。

 急いで日記の中ほどを開いて、パラパラとめくる。


 日記を読むと、十七歳のファナは王太子妃になる気満々だった。

 王太子はファナの4歳年上で、その華やかさから「薔薇王子」と異名をつけてもらっていた。


(なーんだ、不細工じゃなかったの? 意外だわ)


 金色にキラキラ輝く髪に、丸みを帯びた人懐っこい青い瞳。社交的で陽気な王太子は、誰からも好かれた。

 王太子には弟が一人いたが、人見知りがちで内向的な性格の第二王子に比べて、王太子は大変人気があった。

 ある日のファナは、王太子と目が軽く合っただけで「ああ、私の運命の王子様。早くみんなの憧れである、あなたと結婚したいです」などと書いていた。


(じゃ、なんで後にポイ捨てしたのよ。ワケわかんないわ)


 王太子は全然不細工なんかじゃなかった。

 そして王太子は、妃の地位を狙うたくさんの女たちに囲まれていて、なかなかの激戦状態のようだ。

 特に王太子妃の座の争奪戦には、強敵の令嬢が一人いた。

 アーヴィング伯爵家の令嬢、パトリシアだ。

 伯爵家は貴族としては歴史が浅く、家格でいえば我がレシュタット公爵家に遥かに劣るが、大変な財産家だった。

 その上、王太子と太い人脈のパイプがあったのだ。

 パトリシアの兄の一人であるジュスト・アーヴィングが、幼少期から剣や学問を王太子と同じ師に学んだ仲であり、なおかつ軍学校でも同じクラスで学んだ友人なのだという。

 そして悔しいことに、ジュストとパトリシアは当代一の美男美女として、有名だった。

 パトリシアは黒髪の美女で、ファナと同い年らしい。カナリアのように澄んだ声の持ち主で歌が上手く、歌好きの王太子とも気が合うのだとか。

 ちなみに残念なことに、ファナは歌が下手だった。歌うと近くにいる侍女の具合が悪くなるほど、下手だった。アリーラも歌えば壊滅的だったから、血は争えないのだろう。


(レシュタット家の人って、二世紀前も音痴だったのね。ちょっと親近感を覚えるわ)


 レシュタット公爵家は王太子妃の座を争うにあたり、ファナよりパトリシアが優位になりそうなのが許せず、随分とアーヴィング家を敵視していた。

 しかしながら。

 後の時代から来た私は、すでに知っている。

 パトリシア・アーヴィング――この女性は歴史を紐解けば、実際この後、王太子の妃となる令嬢なのだ。

 つまり、ファナが失踪さえしなければ、パトリシアが王妃になることも、ない。

 ファナもとりあえず、どうやら現時点では王太子を落として妃になってやるという、意気込みに満ち溢れている。


(どういうことなの? この後一年で、どうして心がわりしちゃったのよ)


 自室のテーブルに日記を置いて、椅子に腰掛けて食い入るようにファナの日々を読んでいると、カリエが部屋に入ってきた。

 ティーカップを載せたトレイを抱えている。


「一応お医者様に連絡しましたから、もう少ししたら到着されると思います。階段から落ちてお怪我がないか、診てもらいましょうね」

「え、ええ。どこも痛くないから、心配ないと思うのだけど」


 むしろ問題なのは、中身の方で。二百年後から体を乗っ取っちゃいました、なんてとても言えない。


「お嬢様は将来王太子妃になられる方ですから。万が一があれば、大変です」

「そ、そうね……」


 決定事項のように言われてしまった。

 カリエが明るい声で言う。


「今日の紅茶のお供は、マシュマロです」

「あら、素敵!」


 カチャリとテーブルに置かれた白く優美な皿には、カラフルなマシュマロが載っていた。

 ファナはこの駄菓子のような菓子が、大好物だった。

 口に含むとしゅんわりと溶け、優しい甘さと香りが広がっていく。

 この甘みを無糖の紅茶の渋味で追わせるのが、最高の組み合わせだと思っている。

 そしてカリエが淹れる紅茶は、絶品だった。

 同じ茶葉を使っても、淹れる人の腕次第で化けるものだ。


「カリエの淹れてくれたお茶は、最高ね。カリエもマシュマロを、ひとつどうぞ!」


 テーブルの隣に控えるカリエに、皿を突き出す。するとカリエはにっこりと嬉しげに笑い、ピンク色のマシュマロをつまんで口に入れた。


「ありがとうございます。美味しいです!」


 幸せそうに自分の頰を撫でるその姿に、こちらまで嬉しくなる。

 日記を読みながら頭の中の記憶を辿り、やはり今私はファナ・レシュタットなのだと改めて確認して密かに愕然として顔を上げると、マシュマロはかなり減っていた。

 目を合わせるとカリエがモグモグと動かす顎を、はたと止めて顔を赤らめる。

 一つどころか、かなりたくさん食べたようだ。

 おかしくて思わず吹き出してしまう。


「カリエ、マシュマロを台所からもっと持ってきて。一緒に食べましょう」


 提案すると、カリエはパッと笑顔を浮かべた。


「はいっ! 仰る通りに! お嬢様、大好きですっ!!」


 言い終えるなり、踵を返して部屋を飛び出していく。

 カリエの天真爛漫さが、この状況では救いだ。

 カリエがいなくなると、日記帳を両手に握りしめ、唇を噛んだ。


(状況を整理しなくちゃ)


 信じられないけれど、私は二百年前を生きるファナに潜り込んでしまった。

 祖母が貧困の中に残していく私を思って、人生最後の一大博打に出た結果なのだろう。

 我が家の運気は、ファナのせいでどん底に落ちたのだから。

「アホのファナが、王太子様と婚約破棄さえしていなければ」

 これは代々、我が家の皆の口癖だった。

 祖母はレシュタット家が本来享受するはずだった栄華を、取り戻そうとしたのだ。

 今は年が明けたばかりで、一月生まれのファナは、もうすぐ十八歳になる。行方不明になるのは、十九歳の時のはず。


(どうする、アリーラ? ううん、おばあちゃん、私どうしたらいいいの?)


 心の中で問いかける。

 この先、アリーラはたった一人になる。その上借金まみれの孤独な人生か、はたまた輝かしい未来か。

 後者を私に託すため、祖母は命がけで時を巻き戻したのだ。

 果たして、これからの私の選択次第で、レシュタット家の歴史は変わるのだろうか?

 史実では王太子――イサークには子どもが生まれず、後に王統は彼の弟である第二王子とその子孫に引き継がれていく。

 ファナが王太子妃となっても、子どもができなければ王国の歴史自体はそう変わらないだろう。

 我が家の歴史を変えても、許されるだろうか。

 ファナが王太子に予定通り、嫁いでいれば。

 私も、母や祖母も、その前の世代の苦難を無くしてあげられるかもしれない。祖母の病気が進む前に、もっとはやく医者に見せられるだろう。

 あるいは、行動一つでもしかしたら未来が変わって、私が生まれなくなるかもしれない。過去をいじり、予測不可能な方向に未来が転がるのも恐ろしい。


(でも……)


 カリエがいなくなって、部屋の中は静かだった。もしも現代に戻ったら、祖母のいない完全なる静けさの中にある生活が、続くのだ。

 そんなの、耐えきれない。

 未来を変えれば、母も健康で生きていて、もしかしたら今も祖母と母と三人で暮らしているかもしれない。


(母さんに、また会える!?)


 考えるだけで動揺が押さえられず、涙が出そうになる。

 祖母と母と、もう一度食卓を囲みたい。

 せめてもう少し、マシな未来がほしい。


(もう貧乏はいや。どうせおばあちゃんまで失って、天涯孤独になってしまうくらいなら! 今、レシュタット家の歴史を変えるチャンスを逃す手はないかもしれない……)


 それに、一族の間で長年謎だった、ファナ失踪の真実を見届けたい。何が起きたのか知り、あわよくば手を加えられるなら、未来を変えてみたい。

 祖母の代わりに。


「おばあちゃん、私……やってみようかな。レシュタットの運命を、変えてみせるね」


 貧困から抜け出すために。

 おばあちゃんを、病院に連れていくために。

 私は(ファナ)自身に、言い聞かせる。


「ファナ・レシュタット。あなたにトンズラなんて絶対にさせない。()()()は、王太子と結婚するのよ」


 そしてレシュタットの繁栄を、未来に繋げる。

 私は我が家の運命を、どん底から救うキーパーソンになる機会を得たのだ。

 赤い日記帳を握って強い決意を抱いていると、扉が廊下からノックされた。

 扉が開くと、入ってきたのは着飾った派手な中年女性だった。

 ファナの母、つまり公爵夫人である。


(香水の香りが、すごくキツいのね。でも、かなりの美人だわ……)


「ファナ、階段から落ちたと聞いたわ! 怪我はない!?」

「大丈夫よ、母さん」 

「か、かーさん……?」


 公爵夫人の顔が、引きつる。

 しまった。公爵令嬢のファナは、母親を「母さん」なんて呼んだりしない。


「……じゃなくて、お、お母様。数段ほど転がり落ちただけだから」


 母は私の椅子に駆け寄ると、大仰に胸を撫で下ろした。


「ああ、良かったわ。明日は新年の祈祷式が聖大教会で執り行われる、大切な日よ。集まる王侯貴族の目にあなたの美しさを刻みつけなければ。何しろ、王太子殿下もいらっしゃるんだから!」


 そう、年始は祝い事が多く、明日は特に大きな行事があるのだ。

 新年の国家の一大イベントである、祈祷式。王家は毎年新年に主要な貴族を招き、王都にある聖大教会で祈祷式を行なっていた


「今があなたにとって大事な時期なのよ。気をつけなさい。その綺麗な肌にはかすり傷ひとつ、付けてはダメよ」

「はい、お母様。気をつけるわ」


 母は向かいの席に座ると、こっそり秘密を打ち明けるように私に顔を寄せ、目をキランと輝かせた。


「実はね、明日はあなたのライバルのアーヴィング伯爵家に身の程をわきまえさせてやる、とっておきの秘策があるのよ」


 なんだろう。

 どういう話をしているのか分からず、目を瞬いてしまう。


「お母様。秘策って、何?」


 母は一層楽しげに顔を綻ばせた。


「前々から私が密かに練っていた計画を、実行したのよ。明日、祈祷式ではあの生意気なアーヴィング家の面々が、大恥をかいて真っ青になる、とても楽しい光景が見られるわよ」

「お、お母様……。アーヴィング家に、何をしたの?」

「あなたの宿敵パトリシアの兄のジュストに、盛大な嫌がらせを計画したの。ふふふ。祈祷式の警備責任者は、近衛騎士団長のジュストでしょう? 彼に今夜発動する、罠をしかけてやったのよ。しかも何重にもね!」

「罠って、どんな?」


 母は巨大な貴石が載る指輪をたくさんはめた手と手を合わせ、微笑んだ。


「ジュストを今夜、あちこちで足止めする罠よ。娼婦に飲み屋に、夜盗に。ジュストを逃がさないための人手を、総動員しているの。彼はこれで明日、近衛騎士団長のくせに大遅刻をして、陛下から大目玉をくらうこと間違いなしよ」

「じ、冗談でしょう、お母様」

「あなたも、ライバルが消えて嬉しいでしょう?」


 公爵夫人は本気(ガチ)だった。


 レシュタット公爵家では両親を挙げて、ファナを王太子妃にするため、あの手この手と陰謀をめぐらせていた。

 挙国一致ならぬ、挙家一致でレシュタットから王太子妃を輩出することを、最大の目標にしていたのだ。

 特にファナの母はそんじょそこらの母親とは、違った。公爵家をより高みにのしあげるため、そして国母の母という、最高の名誉を手に入れるため、あくなき向上心に突き動かされ、母は行動する公爵夫人だった。

 これくらい強くたくましくないと、名家の奥方は務まらないのだろう。悪女ファナの母、ここにあり。


(たぶん貴族ってこうして汚いことをして、地位を守ってきたものなのね……)


 遠い目で感傷に浸ってしまう。


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