薔薇の迷路①
ジュストから手紙が届いたのは、コンドルー邸の狩猟から帰宅し、数日経った頃だった。
カリエに手渡されたそれを、私は受け取るなりすぐに開封した。
封筒の中に入っていたのは白いカードで、エンボス加工のされたリースの模様が美しくて、指でなぞってしまう。
カードは招待状で、私は再びアーヴィング家での晩餐に誘われていた。
カリエが返事を書くためのレターセットを出しながら、首をかしげる。
「どうなさいますか? 行かれますか?」
「そうね。セルマとパトリシアもいるかもしれないし」
カードを覗き込んだカリエが「でも、二人の名前は招待状に書かれていないけど」と呟く。
カードを見つめたまま、考え込む。
ジュストにはもう会いに行かないと決めたのはつい最近だ。このお誘いは、よく考えて答えるべきだ。
でも。
私には、一つどうしても引っかかっているものがあった。
コンドルーの狩りでノアに言われたことを思い出す。
(私が「王太子と結婚したら、不幸になる」って……。なんだか凄く確信があるみたいな言い方だった)
ノアはジュストとほとんど同じことを言っていたのだ。それがとても、引っかかる。
(政略結婚や、私の王太子妃としての気概のなさを彼らは言っていたんじゃないわ。二人は、何かを知っていて、私に忠告をしていたんじゃないかしら)
そう思えば思うほど、2人の不可解な発言に合点がいく。
あの一見完璧な王太子は、何かを隠している……?
そして身近にいる二人は、そのことで私が妃になるべきじゃない、なる器じゃないと暗に伝えてきているのかもしれない。
歴史の中に消えていった、ファナ。
突然、消息を絶った公爵家の令嬢。
ファナの身に起きたことと、王太子の秘密には関係がある。そんな気がしてならない。
であるなら、それが何なのかを、知りたい。
忠告の中身を理解せずに、このまま真っ直ぐに王太子妃の道を歩むのは、例え一族の未来のためであっても怖い。
ジュストにあの時の真意を、聞きたい。たとえ招待された晩餐会にジュストしかいなくても、いい。私が用があるのは、むしろジュストなんだから。
「今回は、絶対に行かなくちゃならないの」
言い訳がましく、カリエに説明を続ける。戸惑うようなカリエの表情が気になり、慌てて言い足す。
「だ、だってジャケットを返さなくちゃいけないでしょう?」
「ジャケット……ってなんのことですか?」
「サバス高原のホテルで借りたジャケットよ。洗い終わったまま、まだ返してなかったわ」
「ああ! そんなこともありましたね。すっかり忘れてました!」
「ジャケットを返したら、もうアーヴィング家には行かないわ。これが、最後だから」
そう私が念押しすると、カリエは少しの間何も言わなかった。ややあってから、カリエは気遣わしげに言った。
「お嬢様が直々に行かれなくても、ジャケットは私がお返しすることもできますよ?」
「それは、そうだろうけど……」
勘のいいカリエが、何の心配をしているのかを、私も分かっている。カリエは、私がどうしてしつこく仮面舞踏会に行ったのか、気づいていた。
でも私の中には、行かないという選択肢がもうなかった。
「そうね。でも、親切に貸してくれたものだから、失礼がないように自分で返さなくちゃいけないと思うの」
「お嬢様。なんて健気なことを……」
「一緒に食事をして、ジャケットをお返しして、それで本当の終わりよ。誘われてももう行かないわ」
そう、これが最後だ。
本当に、今度こそジュストと会うのを最後にしないと。
二度目のアーヴィング邸の訪問は、前回とは随分心境が違った。
瀟洒な屋敷が視界に入るなり、扉に手をかけ、馬車どめにたどり着くのを今か今かと待ち遠しくうずうず車窓を見てしまう。
馬車がとまるなり、ドアの向こうにジュストが既に迎えに来てくれているのが目に留まり、自分の顔に満面の笑みが広がるのを止められず、はしゃぐ幼な子のように車体から飛び降りてしまった。勢い余って、ヒールが馬車の踏み台に引っかかり、軽くよろめく。
「ようこそいらっしゃいました。――ファナ様、お怪我は?」
すかさずジュストが私に、右手を差し出してくる。
御者が扉を閉める音がして、一瞬私はまた扉を開けさせるべきかを迷った。車内には、返すつもりのジャケットが入れっぱなしだ。
(後で、取りに来ればいいか……)
手を伸ばしてジュストの大きな手に掴まり、乱れたスカートの裾を整える。ジュストの手は力強く、いつまでも掴まっていたい気持ちにさせる。
頭から落ちかけていた飾りを差し直すと、ようやくジュストの手を離す。
「夕食の前に、庭園の薔薇をご覧に入れましょう。迷路の薔薇がいま丁度見事なのです」
「迷路? 前に来た時は、なかったわ」
「西の庭園はご案内していませんでしたから」
「一度では案内しきれないくらい、すごく広いのね。まだ見切れていなかったのね!」
笑いながら歩くと、ジュストの腕に肩が触れてしまった。
「あら、ごめんなさい」と詫びると、ジュストが軽く首を左右に振る。
噴水の横を通ると、夕暮れ前のひときわ明るい日差しを浴びて、水の粒がとても綺麗だった。
「見て。小さな虹ができてる」
「本当ですね」
今度はジュストの腕が私の腕に当たり、彼が素早く詫びる。
屋敷の建物を通り過ごし、裏に広がる庭園を目指していると、ジュストが切り出す。
「先日、コンドルー伯爵領内で、王太子殿下が狩りをされたそうですね」
「あら、早速妹の敵情詮索かしら? どうなったか、気になる?」
「勿論です。レシュタット家がどれだけ殿下との間合いを詰められたのか、知りたいですね。殿下は、泊まられたのでしょう?」
肩がまたぶつかった。
どちらが近づき過ぎてぶつかったのか、よくわからない。歩きながら何度となく肩と腕が当たるので、私たちはいちいち謝罪するのをもうやめてしまった。
「殿下は、コンドルーのおもてなしを喜んでらしたわ。珍しく、夜には凄く酔ってらして」
「あなたが介抱されたのですか?」
尋ねてくるジュストの声は、少し硬い。
そのことに優越感を……レシュタットがアーヴィングより一歩先んじたことに多分、優越感を抱いた私は、少し答えをはぐらかした。
洗いざらい教えてやることはないんだから。
「ご想像にお任せするわ」
「それは……なかなかに、想像しにくいですね」
肩がまた触れ合う。
いや、もう私たちは身を寄せ合っているのかと疑問に思ってしまうくらい、何度もぶつかっていた。
「今日、パトリシアは王太子殿下とオペラに行っているんです」
「えっ、パトリシアはここにいないの? せっかくお喋りできると思ってたのに。会えるのを楽しみにしてたのよ」
「申し訳ありません。それより、殿下とパトリシアの逢瀬は気になりませんか?」
「そ、そうね。二人で今過ごしているなんて、気になるわ。ええと、セルマ様はいらっしゃるんでしょ?」
「いいえ。外出しております。今夜は私だけです」
予想外の事態に驚いたけれど、足は止まらない。
黙ってしまった私の代わりにジュストが呟く。
「二人がいないことを招待状に書かずに、申し訳ありません」
「いいえ。気にしないで。あなたがいれば、」
そこまで言ってはたと言葉が止まる。
(いやだ、なんてことを言おうとしたのよ。あなたさえいれば、良いなんて言うつもり? そんなの、まるで、愛の告白じゃない。バカバカ、私のバカ!)
「ファナ様?」
「え、ええと。あなたもやるわね。パトリシアと殿下の邪魔が入らないように、私をここに誘き寄せた感じかしら?」
「レシュタット家が狩場で二人きりの時間を作ったのなら、おあいこです」
二人きりの時間はなかったのだけれど。
やがて私たちは、木々の枝葉を刈りそろえて壁を作った、大きな緑の迷路にたどり着いた。
所々に薔薇の蔓が伸び、優雅に花が咲いている。
思わず駆け出し、迷路の外周を歩き回る。
「凄いわ! こんな立派な設備があるなんて。どこが入り口? 大きくて迷ってしまいそう! 子どもがいたら、きっと大喜びね!」
「ファナ様も、子どものようにはしゃいでおられる」
ジュストが楽しそうに微笑む。
薔薇は赤や黄、それの混ざった色など、実に色とりどりの花弁を見せている。
「父が作らせたものなのですが、私もパトリシアも、よくここで遊びました。時間を測って、どちらが早く出口につけるか、競争して遊んだものです」
「どっちが勝ってたの?」
「私ですよ、勿論」
間をおかずに答える口調にちょっと自尊心が透けて見えて、笑ってしまう。
「あなた達は、子供の頃から仲がいいのね。羨ましいわ」
「ファナ様はエルガー殿とあまり一緒に過ごされないのですか?」
「エルガーとは仲良しよ。過大な両親の期待に応えようと、色々と助け合ってきたの。でも、レシュタット家は、なんていうかこことは違うわ」
ジュストは黙って聞いていた。
私の話し方が曖昧すぎて伝わっていないことがわかるので、言い足す。
「セルマ様やパトリシアとあなたは、とっても暖かくて和やかだった。素敵なご家族だわ」
「ありがとうございます。ああ見えても、私とパトリシアはよく言い合いをするんですけどね」
「どちらが勝つの?」
尋ねると、ジュストは肩をすくめた。
「ご想像にお任せします」
さっき私が彼に言った台詞がそのまま返され、笑ってしまう。
「それこそ、想像しにくいわ!」
もしかすると、案外言い合いをして勝つのは、パトリシアのほうかもしれない。何も言わないジュストを見て、そう考えてしまう。
大きな緑の迷路の外周を回るうちに、迷路の入り口が見えてきた。
「私も入っていい?」
「迷われると大変ですので、一緒に入ります。子ども時代の私とパトリシアに、勝てるといいですね」
なんとも、不敵なことを言う。




