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コンドルーの夜

 コンドルー伯爵邸で開かれた宴会は、盛況だった。

 料理人が分厚い塩の層でコーティングした窯焼きの魚を、皆の前で大きな木槌でカチ割ったり、プリンの上の砂糖をフランベしたり。

 終盤にはエラがバイオリンの演奏を披露してくれて、これがなかなかの腕前な上に、愛らしいことこの上ない。

 皆が狩りの話で持ちきりで、特に今日一番の大捕物だった王太子が雄鹿を追い詰めるエピソードは、繰り返し話題になっては、王太子を皆が褒めちぎった。

 気を良くした王太子はかなりの量の酒を仰ぎ、珍しくほろ酔いの気配だった。頰が赤く染まり、青い瞳がトロンとしている。

 宴会がお開きになる頃には足取りも覚束なくなっていて、寝室へと向かうのも千鳥足だった。

 体に触れるのが畏れ多くて、コンドルーの屋敷の者達は手を貸せずに手をこまねき、代わりに王太子が王宮から連れてきていた従者や侍女が、手を貸していた。王宮の侍女はいかにも非力そうで、小柄な侍女が肩で息をしながら一生懸命、王太子を支えていた。おかっぱ頭の髪の毛で顔がよく見えないが、侍女は顔を真っ赤にしていた。

 意外な王太子の姿に、正直なところがっかりしてしまう。

 最後まで酔っ払うことなく、夕食をきれいに食べたノアの方が、よほど威厳を感じる。




 その夜はくたくたに疲れてしまい、早く寝たかったが久しぶりに私に会ったエラが興奮し、私と同じ寝台で寝たのでかえって眠れなかった。

 ――狭い。寝返りが打てない。

 おまけに、薄い寝巻着でぴったりとくっついて寝るエラのおかげで、暑い……。

 無垢な寝顔を見つめながらも、苦笑が込み上げる。

 エラは気持ちよさそうに寝入っているが、こちらは寝苦しくて仕方がない。


「うぅぅ。せま……」


 耐えかねて寝台から起き上がり、水でも飲んでこようとガウンを羽織って廊下に出る。

 ランプは持っていなかったが、窓から差し込む月明かりのおかげで歩くには苦労しない。

 台所はどこだろうと歩いていると、サロンから廊下に明かりが漏れている。近寄って覗いてみれば、中のソファに足を組んで深く腰掛け、グラスを片手に物思いに沈んでいるのはノアだった。

 背後には大きな窓があり、月明かりを浴びて白銀色に透けて輝く巻き毛と、少し暗い青い双眸は、彼を少し疲れて見せている。

 一人で飲んでいるようで、ノアは私が廊下にいることに気づくと、手の中のグラスから素早く視線を上げた。


「お邪魔してすみません。水を取りにきたんです」


 軽く膝を折り、そのままサロンを離れようとすると、ノアが片手を上げて私を引き留める。


「待って。丁度君の昼間の占いについて、考え事をしていたんだ。もっと話を聞かせてくれないか?」


 ノアが向かいのソファを指差して座るよう要求するので、辺りを見回して逡巡してしまう。

 途中でエラが目を覚ましたら、私がいないと騒ぐかも知れない。戸惑っていると、ノアは言い重ねた。


「少し話すだけだよ。知ってるかい?――北のスヴェン王国が、大掛かりな徴兵を始めたらしい」


 驚いて息を呑むと、私の反応が予想通りだったのか、ノアは力無く笑った。

 ソファに向かいながら、私はノアに尋ねた。


「それは、我が国ディーン王国を襲うために、兵力を集めているということですか?」

「だろうね。スヴェンとは有史以来、北部の領有権を争っているからね」


 ノアは空いているグラスに酒を注ぐと、私に手渡してきた。

 急速な喉の渇きを感じて、そのまま少し飲むとソファに座った。


「陛下もそれをご存じなのですか?」

「父上から聞いたからね。君は、我が国は北部を守れると思う?」

「分かりません……」

「以前もはぐらかしたな。もしかして、占いで何か知っているんじゃないのかい?」

「私の占いなんて、あてになりませんから」

「そんなことはない。今日は君のおかげで、命拾いしたよ。君は、俺の命の恩人だ」

「大袈裟です、殿下。殿下は足に大怪我を負っても、ちゃんと長生きされる予定が、」


 しまった、と慌てて口をつぐんでももう遅い。

 ノアは目を極限まで開いた。


「ご、ごめんなさい。変なこと言って。お忘れください!」

「それは本当に……占いなのか? 妙に詳しいな」

「占い、とは少し違いますけど。でも話せません」

「どうして?」

「それは……なんていうか、あまりに荒唐無稽な話になりますから」


 説明のしようがなくて頭をかいていると、ノアは身を乗り出して「どういうことか」と尚も尋ねてくる。


「どうやって、未来をみているんだ? 巷の占い師のようにカードか、水晶か? 教えてくれ」

「うう~ん。ちょっと色々複雑なんです。もう遅いですから、お休みになった方がいいですよ」

「ここまで聞いてしまったら、気になって眠れない。せっかく夜中に鉢合わせしたんだ。もっと話そう」


 ノアが立ち上がり、ソファの隣に座ってくる。彼は私の空いている方の手を取ると、上半身を傾けて私の頬にキスをした。


「もっと、君のことを聞かせてくれ。友達だろう?」


 人見知り王子として有名なノアのキスに、驚いてしまう。

 ノア自身も自分の行動に驚いたのか、慌てたようにパッと私の手を放す。


「ご、ごめん。キスなんてしたりして。友達だとしても、……急すぎたな」

「大丈夫です。でも、私の占いの話は、言っても絶対に信じませんから。教えられません」

「意外と強情だな。信じると誓うよ。君は何を知ってるんだ?」


 手の中のグラスを眺め、少しの間考えた。この調子だと、話すまで諦めてくれなそうだ。

 ノアに分かりやすく、なんて言えばいい?


「私、二百年後まで、未来を覗いてきたことがあるんです」


 ノアは固まっていた。

 青い瞳からは反応が窺えない。鳩が豆鉄砲を食ったようとは、こんな感じだろうか。


「正確に言うと、二百年後を生きていたことがあるんです。そこではアリーラ・レシュタットという女性になっていて、この国で過去に起きたことを、全部知ることができたんです」


 正確には逆で、アリーラがここに来ている。事実とは少し違うが、信じるか信じないかは、ノア次第だ。

 ノアは宙を見つめたまま言った。


「アリーラ・レシュタット……」

「信じられませんよね。馬鹿な妄想みたいですよね。わ、忘れてください!」


 恥ずかしくなって自分の顔を肘で隠してしまう。だが、ノアは真剣に言った。


「そんなことはない。アリーラ、話して。俺は君の話なら、なんでも信じるから。その女性は君の、ええとつまり来世の姿か何かかな?」

「そうかもしれません。とりあえず、私は占いというより、知ってきた、という方が正しいんです」


 こんな荒唐無稽なことを言ってるのに、ノアは笑い飛ばすことなく、真剣に聞いている。その上、「アリーラ」と何度も呟いている。読書家だからか、もしかして突飛な設定に慣れているのかもしれない。

 ノアは酒をもう一杯喉に流し込むと、大真面目な顔で尋ねてきた。


「ピムカ銀行と、崖くずれと……あとはマーメイドなんとかっていう、珍妙なスカートが流行るんだよな。後は、どんなことがこの先起きるんだ?」

「これ以上は教えられません。未来を知ってしまうのは、良いことばかりではないでしょうし」


 未来を教えることをきっぱりと拒絶すると、ノアは肩をすくめた。


「なるほどね。で、レシュタット公爵家は相変わらず繁盛してた?」


 うっ、と言葉に詰まってしまう。

 そここそが、問題だった。

 なんと答えるべきか考え込んでいる間も、ノアはじっと私を見つめてくる。

 私は慎重に言葉を選びながら、答えた。


「レシュタット公爵家は、公爵領を失って……、ただのレシュタットになりました。屋敷も土地も、何もかも失ったんです」

「まさか! レシュタット家が没落などするはずがない」

「でも、アリーラはレシュタットの子孫でした。かつての一族の栄光は、そのカケラも残っていません」


 よほど信じられないのか、ノアは口元を押さえ、眉をひそめて下の方を見た。

 しばらくした後で、彼はどうしても聞きたい、と言った様子で話し出した。


「これだけ念押しさせてくれ。……俺は、長生きするんだよな?」

「そこは、気になるところなんですね。意外です」


 思わず笑ってしまうと、ノアも照れたように笑う。


「殿下は、長生きされます。ご安心ください」

「確かかな?」

「このアリーラが、保証します」


 私が返事をすると、ノアは右肘を曲げて握り拳を作った。


「そうと分かれば、頑張る気力が湧くよ。アリーラ、心強いよ。ありがとう」


 ふとノアは真剣な目つきに戻った。青い目を、ひたと私に向けてくる。


「ちょっと思いついたんだけど。――アリーラ。俺のこと、ノアって呼んでみて」

「どうしてです? そんな失礼なこと、できません」

「俺は親以外から名前を呼び捨てにされたことがないんだ。どんな気分になるのか、聞いてみたい」


 思わぬ願望に面食らう。

 王子には一般人には予想もしない感情があるようだ。


「本当によろしいんですか? 呼び捨てにして無礼だと、怒りません?」

「怒らないよ。俺が頼んでるのに。ほら、アリーラ。俺を友達らしく、呼んでみて」


 朗らかに言うノアに背を押され、それならばと苦笑してしまう。

 咳払いをし、背筋を伸ばしてから恭しく口にする。


「ノア、あなたって面白い人ね。思っていた人と、随分違うわ」


 するとノアは破顔一笑した。


「いいね。なんだかこそばゆいな。思っていた俺と、今の実際の俺は、どっちとより仲良くできそう?」

「もちろん、今の殿下のほうが、仲よ…」

「アリーラ、違うよ」と文句を言いながらノアが私の肘を小突く。


「今のノアの方が、ずっと仲良くなれると思うわ」

「いいね、俺もアリーラが好きだよ。君のこと、知れば知るほど好きになる」

「ありがとう、ノア」

「もっと頼むよ」


 酔っぱらっているのか、随分とノアが体を寄せてくる。

 ノアは片腕をソファの背もたれの上に回し、ほとんど私の肩を抱き寄せていた。

 私とばったりここで会う前に、一人でかなり飲んでいたのだろう。彼の呼気からは、アルコールの香りが強く漂っている。

 ならばと、ちょっとおどけたセリフを言ってみせる。


「ノア、今度二人で飲みに行こうぜ~。酔っ払ったら、帰り道に担いでやるよ!」


 ノアが爆笑する。


「アリーラ。君は最高だな。……友達って、自由でいいな」


 よほど酔っているのか、ノアが空いていた片手で私の右手を取り、指を深く絡めてくる。もう一方の腕は肩に回されているので、凄く距離が近い。

 さすがにどきどきしつつも、この先一生自由にはおそらくなれないノアの身の上に、同情を禁じ得ない。


「殿下は楽しいかたですね」

「そうか? 自慢にもならんが、兄上と比べて陰気でつまらない、と評判だぞ」


 あまりに正直な物言いに、思わず笑ってしまうとノアは呆れたように首を傾げた。


「笑うところじゃ、ないんだけどな。フォローを期待した俺が、未熟だったか」

「殿下の正直なところは、何よりの長所だと思います!」

「そうかな。じゃあ、もっと正直になるよ。正直に言うと、君が兄上の妃候補なのが、すごく悔しい」

「えっ……」

「なぜなら兄上は絶対に君を幸せにできないからね。たとえ妃に選ばれたとしても、兄が君を愛することは、ないんだよ」


 どうして。

 前にジュストも同じようなことを言っていた。


「なぜそう言い切れるの? たとえ政略結婚だとしても、一緒にいれば愛情が生まれることもあるでしょう?」

「そうだね。嫌なことを言ったね、ごめん。俺が嫌いになった?」

「いいえ。アリーラの突飛な話を信じてくれて、殿下は誠実なかたです。お友達になれて、光栄です」


 正直な気持ちを話したつもりだが、ノアは急に目を逸らして俯いてしまった。ややあってから、彼は絞り出すようにささやいた。


「いや、やっぱり……、兄上が羨ましい」

「はい?」


 ノアは私の手を離すと、何かを振り切るように首を左右に振った。


「いや、なんでもないよ。――あまり遅くなると、侍女が心配するだろう?」 

「そうですね。エラが起きると困るので、もう行きますね。お酒ご馳走様でした。グラスは台所に戻してきます」

「俺はもう少し、ここで飲んでいくよ」


 まだ飲み足りなさそうなノアを置いて、グラスを持ってソファから立ち上がる。


「おやすみなさいませ。――長生きしてくださいね」


 あなたは、この先国王になるのだから。

 





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― 新着の感想 ―
[良い点] ノア…!かっこいい…!!
[一言] ヒロイン「私」は普段は「アリーラ」だけど、「ファナ」の家族には純粋に「ファナ」として接しているように感じます。上手く言えないですけど、読んでいて時々ヒロインの一人称が「ファナ」だと思っちゃう…
[一言] ヒロイン「私」の中にある「アリーラ」と「ファナ」の境界線が曖昧に感じます。それが、「このまま史実をなぞるのか」、「公爵家の未来を変えるのか」どちらか分からなくなってるようで面白くて好きです。…
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