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ウサギとヒョウの小競り合い

「来ていたのね!」


 声をかけながら、黒い衣装を纏うジュストの正面に立つ。

 だが彼を見上げた途端、急に不安に思って尋ねてみる。


「ええと……。もしかして今夜はどなたかと、一緒に来ているの?」

「いいえ。前回、ファナ様が来たそうにされていたので、もしやと思って足を運びました」


 どきんと心臓がはねる。

 つまり、それは……。


「わ、私の練習にまた付き合ってくれるために、わざわざ来てくれたの?」

「ええ。そうです。――今夜が最後ですよ」


 最後、という言葉に少しショックを受けながらも、約束したわけではないのに来てくれた喜びが勝る。


「その黒ヒョウの仮面、お似合いだわ」

「黒猫のつもりなのですが」

「ええっ!? そうだったの? でもヒョウの方がカッコいいのに」

「それなら、黒ヒョウだということにします」


 くすくすと私が笑うと、ジュストも笑った。

 二人で笑い合う時間の、なんと楽しいことか。

 本当に、今夜も勇気を出して思い切って来て良かった。

 私は自分のカチューシャの位置を直しながら、ジュストを見上げた。


「私はウサギにしたんだけど。どう? ……似合ってるかしら?」

「お似合いです。とても」


 ありがとう、と返事をしながらも、なんだか胸の中がモヤモヤとする。

 せっかく似合っているか勇気を出して聞いてみたのに、ジュストの返事が物足りなくて。

 単に似合ってるかどうかじゃなく、もう少し――、例えば「可愛い」とか「綺麗」というような、褒め言葉が欲しかった。

 だって私はジュストの黒ヒョウをさっき「カッコいい」と言ったのに。

 彼に、褒められたかったのに。


(社交辞令を言えない性格なのね。きっと)


 私が勝手にムッとしていると、ジュストは片膝を突いてこちらに手を差し出した。


「景気づけに、一曲いかがですか?」


 差し出された手を取り、仮面の奥のアイスブルーに見入る。その瞬間、私のちっぽけなモヤモヤは、どこかに吹っ飛んでいった。

 ダンスに誘われるというのは、何度経験しても心躍るものだ。


「もちろん、喜んで」


 動物の仮装で踊るのは、いつも以上にやりにくい。

 近くでくるくる回る夫人の、鳥の羽のついたドレスは広がりすぎて邪魔だし、隣にいるカップルの男性はあまりに愛らしいヒヨコの仮面と帽子を被っているために、ついチラチラと視線が引き寄せられてしまって、集中できない。

 けれど、硬くならずに思い切ってジュストに身を預けて舞うほうが、彼に躓かなくて済むのだ、と私も悟るようになった。


「私、ダンスのコツが分かった気がするわ。相手を信頼することなのね」


 そう言うと、ジュストは目を逸らし、どこか悲しげに微笑んだ。


「ファナ様は、私のことを信頼してくださるのですか?」

「ええ、勿論。私の下手くそなダンスに付き合ってくれてるんだし」

「私はあなたのライバルの兄ですよ?」

「パトリシアはライバルだけど、好きだわ。それとこれとは別よ。私たちは正々堂々と戦ってるんだから」


 ジュストは黙り込んでしまった。

 ステップに集中しているのだろうか。

 私の発言が的外れだったのかと、心配になったころ。ジュストは口を開き、ぽつりと呟いた。


「あなたは、殿下には似合わない」

「た、たしかにパトリシアの方が色々と私より上を行ってるのは、認めるわ。でも、まだ分からないし、私の方が有利な点もあるわ」

「ファナ様が有利なのは、公爵家の令嬢という点のみにおいてです。その一点にしがみつかれている」


 私の背に回されたジュストの手に急に力が入り、乱暴に彼に引き寄せられ、その拍子に彼の足を踏みそうになる。

 ……なんだか、今日のジュストは、優しくない。


「何よ、失礼ね。ハッキリものを言い過ぎじゃないの? そりゃあ、あなたの妹の方が美人だし、スタイルも良いわよ! 頭も良いし、歌もダンスもお喋りも上手いし…」

「パトリシアの方が、王太子妃となったらどうすべきかを、心得ています。ですがあなたは、違います」

「本当に妹が大好きなのね! あなたには誇らしい妹でも、私に負ける時は負けるのよ」


 見てなさいよ。

 何が起きるのかは、二百年後から来た私は、知っているんだから。

 私は絶対に、王太子との婚約発表に参加する。トンズラなんてしない。


「ジュスト。あなたは仲良しの友人として、殿下の気持ちを分かっているのかもしれないけど…」

「仲良し、というのは語弊がありますね。私と殿下の仲は、言うなれば腐れ縁のようなものです。剣の師が同じで、子供の頃から何度も訓練の相手をさせられましたので」


 ジュストは私の決意をよそに、挑発的な笑みを浮かべた。


「あなたも、殿下のひととなりをもっと知れば、分かりますよ。自分には似合わない、と」

「どういう意味?」


 それは単なる嫌味ではなく、意味深な言い回しに聞こえた。

 ダンスが終わり、周りの人々は互いに膝を軽く折って挨拶を交わしている。その後で、もうすぐ次の曲が始まるため、相手を変えるために周囲の男女が忙しなく動く。

 だが私たちは向かい合って棒立ちになったままだった。


「ねえジュスト、それはどういう意味なの?」

「あなたは、殿下を選ばれればきっと不幸になる」

「それは脅しのつもり? でもお生憎様。殿下を選ばない方が、不幸になると知っているからこそ、絶対に諦めないわ」


 ジュストは黙ったまま、ただ肩をすくめた。


「あなたにどんな事情があれ、殿下とあなたは似合わない」

「何よ。今夜のあなたは、仮面舞踏会なのに優しくないわ。前回と違うのね」


 今夜のジュストはどうしてか、ずいぶん苛立っているようだ。ダンスの動きは相変わらず優雅だったけれど、曲は終わったのに私の背に回した腕には力が入ったままだ。


「ジュスト、背中が痛いわ」


 訴えてみるとジュストは私をまだ引き寄せていたことに今さら気づいたのか、ハッと目を見開いてから私から離れた。


「何か食べて、少し休みましょう」


 私たちは会場の中心部から端に動くと、疲れを癒そうと飲み物に手を伸ばした。

 体を動かすので、意外にお腹も空くのだ。

 美味しそうな食べ物に目移りしながら、皿に軽食を取っていく。

 サンドイッチや肉入りのパイを食べると、今度は甘いものが食べたくなって、タルトやフルーツに手を伸ばす。

 甘さとしょっぱさの無限ループに突入だ。

 ふと顔を上げると、ジュストがそばにいない。どうやら甘いものに食らいつきすぎて、彼から離れてしまったらしい。

 軽く首を巡らせてジュストを発見し、そちらに向かおうと一歩踏み出した時。

 ジュストの背後から一人の少女が顔を出し、彼に話しかけた。例のお付きを四人も連れた、蝶の少女だ。

 ジュストと少女はその後、二言三言言葉を交わすと、彼は手にしていた皿を給仕に返し、少女に向き合った。そのまま深々と膝を折り、頭を下げる。

 少女の愛らしい薄紅色の唇が、嬉しげに弧を描く。

 まさか、と見守っていると、ジュストは少女に向かって手を差し出し、華やかな笑顔を浮かべる少女がその手を取る。

 二人は並んで会場の中心部へと歩き出した。

 私は少女の側頭部でヒラヒラと揺れる蝶の髪飾りを見つめながら、虚しくため息をついた。


(なんだぁ。ジュストは今日は他の人とも、踊るつもりなのね。なんだかガッカリ……)


 ダンスを始めてしまった二人には近づけず、皿を持ったまま、私は壁際に寄るしかない。


(あの子、動きが凄く綺麗だなぁ……)


 ジュストの動きも、さっきまでとは随分違う。

 二人ともとても洗練されたダンスを披露している。ジュストも相手が下手くそな私ではなく、踊りやすいのだろう。

 二人の動きを見ながら、良いところを勉強せねばと足や肩の使い方を注視する。

 まるでドレスが体の一部であるかのように、裾の動きまでうまく使って、綺麗に見せているその技術に感心してしまう。

 二人は踊り始めてからずっと会話をしていた。どちらかといえば寡黙なジュストが、珍しい。よほど気が合うのだろうか。

 手に持つ皿が、妙に重く感じる。

 可愛いタルトを取ったのに、なんだかさっきまであった食欲が、すっかり減退してしまった。食べる気が湧かない。

 誰かと踊るジュストが、眩しくて遠い。


(歴史上の伯爵家のジュストは、どんな人物だったんだろう? アリーラの時代に戻って、彼のことを今すぐ、調べたい……。彼は、誰と結婚したんだろう?)


 そう、ジュストもいつか結婚するのだ。当たり前のことだし、そんなのは彼の人生であって、どうしようが自由なのに、いつか彼の特別で唯一になる女性が、彼の隣に立ち、妻として共に人生を歩むのだと思うと、胸が塞がれたように痛む。


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