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私、公爵令嬢のファナだった

 痛い。あちこちを打ちつけ、痛くてすぐには動けない。


「大丈夫ですかっ!?」


 若い女性の叫び声がする。下の部屋に住んでる人だろうか。突然天井が壊れて、さぞ驚いているだろう。

 どうにかゆっくりと起き上がると、呼吸が止まった。

 明るさはすっかり元に戻っていた。だが――。

 私の後ろにあるのは真紅の絨毯が敷かれた大きな階段で、足元は固く冷たい大理石の床だった。


「えっ、なに。ここ、どこ? ――おばあちゃん?」


 目を極限まで見開いて、辺りを見渡す。

 崩れ落ちたはずの、天井がない。というか、どう見てもここはうちが入居するボロアパートではない。

 しかも、妙に寒い。急に気温が下がったような……、いや、まるで真冬のように空気が冷たい。季節が突然、変わったみたいに。

 ダンダンと階段を踏み鳴らしながら、見覚えのない人が駆け降りてくる。

 輝く真っ直ぐな赤毛が目立つ、そばかすの散る若い女性だ。彼女は何か大変なことが起きた、と言った様子で血相を変えて下りてくると、私の両腕を支えながら立つのを手伝ってくれた。

 女性は黒いワンピースに白いエプロンをつけている。なんだかレストランのウェイトレスみたいだ。


「お嬢様、お怪我はありませんか? 急に階段の途中でふらつかれて、びっくりしました!」

「お嬢様? あの、あなたは…」


 あなたは誰か。

 そう尋ねようとして、はたと気がつく。


(この人を、知ってる)


 私は何を聞こうとしたのだろう。

 目の前にいるのは、――そう、私の侍女のカリエじゃないか。

 さっきまで明日の新年の祈祷式に着ていく衣装を一緒に選んでいたはず。盛大に開かれる明日の祈祷式は、母ばかりか父であるレシュタット公爵もとても張り切っていて――。


(いやだ、父である公爵? 祈祷式? 私、今何を馬鹿なこと考えて…)


 両手を広げて自分の掌を確かめる。

 毎日放課後に青果店で働き、すっかり荒れてガサガサしている私の手。

 その私の手が、見たこともないほど白くて滑らかではないか。

 視界に入った金色に驚き、肩から流れる自分の髪の毛を鷲掴みにする。

 あまりの事態に、髪の毛を目の前まで持ち上げる手が震えてしまう。

 茶色の私の髪の毛が、なぜ金色になっているのか、


「か、髪の色…、っていうか、何このゴテゴテしい服!」


 すごく裾が広がっていて、幾重にも重ねられた重たいドレスを着ている。おまけに靴のヒールが高すぎて、足もとが不安定だ。

 こんな殺人的に高いハイヒール履いていれば、階段で転んで当たり前じゃないの。


 困惑しつつ、異様にレースがついて重たいドレスの裾をたくし上げ、足首まで持ち上げる。


「お嬢様! はしたない真似をなさると、公爵様に叱られますよ!」


 カリエとやらが、大きな声で騒ぐ。単に足首を出しただけなのに。大げさじゃないの。

 階段の手すりの横には、等身大の鏡があった。凶器のように細くて高いヒールに転びそうになりながら、鏡に向かう。

 鏡の中で真っ青になってこちらを見返しているのは、金色のウェーブがかかった髪に灰色の瞳を持つ、華奢な女性だった。

 ビジューが縫い付けられたドレスの胸元から覗く肌は実にきめ細やかで、アリーラの三倍はあろうかという豊かな膨らみが、深い谷間を作っている。


「な、何なのこれ、うそ。胸デカッ! っていうか、誰これ。私…」


 すると鏡までついてきたカリエが、私を見て笑う。


「ファナお嬢様ったら。まるで今初めて鏡を見たようなことを仰いますねぇ」


 ――ファナ。ファナ!?

 それは、誰のことか。

 記憶がうねり、脳内に押し寄せる。まるで次々に引き出しが開けられていくように。


(そうだ。ちゃんと覚えてるじゃない……)


 私はこのディーン王国の北部にあるレシュタット城生まれで、二歳の時にここ王都に越してきたんだ。うちは王国最古の貴族の一つで、父は十八代目の公爵だ。

 そうだ。どうして一瞬分からなくなったのか。私は、間違いなくファナ・レシュタットなのに。


(いやいや、何言ってんの! 私はアリーラでしょう。――これって、まさかタイムスリップってやつ? ファナの中に、入っちゃった!?)


 信じがたいが、私の頭の中にファナの記憶がある。

 レシュタット公爵家の長女のファナ。

 弟のエルガーと二人だけのきょうだいで、父親はこの国きっての大貴族・レシュタット公爵で。

 父母はこのファナを王太子妃にさせようと、子どもの頃から死ぬほど手を尽くしてきて。


 鏡から目を離し、周囲の状況を確認する。

 壁には所狭しと絵画や装飾がされ、あちこちに花瓶が置かれている。天井は見上げるほど高く、この階段とホールだけを切り取ってもここが大きなお屋敷だとわかる。

 猛烈に震える声で、カリエとやらに尋ねる。


「かかかカ、カリエ。ちょっと確認したいんだけど。い、いまの国王陛下は、もしやジギスムント二世? 四世じゃなくて?」

「何を今更。もちろん、ジギスムント二世国王陛下です。っていうか、四世ってなんです?」


 ジギスムント四世は現代のディーン王国の国王で、同名二世が二百年前の国王だ。そう、ファナが婚約式の前夜に逃亡してポイ捨てした、イサーク王太子(後のイサーク王)の父親。


(ああ、どうしよう。これはまさか私、本当にタイムスリップして、二百年前のファナの中に入っちゃった!?)


 祖母はおかしなことを言っていた。ファナを説得しにいくだなんて、荒唐無稽なことを。

 ファナに会いに行きたがっていたのは、祖母なのに。それを止めようとした私が代わりに時を戻ってしまった、と言うことだろうか。

 しかも説得するどころか、本人になってしまっているなんて。


 アリーラとしての意識ははっきりしているが、頭の中を覗くと、ぼんやりとファナのこれまでの経験も頭の中に存在した。つまり私たちの記憶が、混ざってしまっていた。

 転げ落ちたらしき、階段の上を見上げる。

 この階段を上って、左に曲がってその突き当たりにあるのが、私――ファナの部屋だ。


「カリエ。私、部屋に……戻るわ」


 一人になりたかった。この困惑を、静かな所で誰にも邪魔されずに、処理したい。処理しきれない気がするけど。

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