ダンスがあまりに下手なので
「もしかして、あの……私を探しに来てくれたの?」
「噴水の方に行かれるのが分かりましたので。この庭園では垣根を出た後、方角を見失う人が多いんですよ」
「まぁ、ありがとう……」
「随分と余裕のご様子ですね。ここで長く油を売っていると、他のご令嬢達に王太子殿下を取られてしまうのでは?」
「でも殿下とダンスの二巡目って回ってこなさそうなんだもの。ダンスの順番の列が長くて、ちっとも近寄れないのよ。割り込むと石が飛んできそうだし」
ジュストは小さく笑った。
「あなたは本当に正直なかたですね。仰る通り、殿下の周りに集うご令嬢は、皆笑顔なのに、殺気立ってますからね」
「あら、やっぱり分かる?」
「もちろんです。近衛騎士団長としては、殿下の身に危険がないか、神経を尖らせておりますから」
「さすがね。でも殿下に対する殺気じゃなくて、ご令嬢どうしに対する殺気だから、心配ご無用かしら」
「あなた方も大変ですね。ファナ様もこの際、滅多に出られない王宮夜会なのですから、他の方々と踊られては? 地方から来ている人も多くて、楽しい話が色々と聞けますよ」
思わず苦笑して、もじもじしてしまう。
「面白そうだけど、私、実を言うとダンスがあまり得意じゃないのよ」
するとジュストは、しれっと言った。
「二十七回、踏まれていましたね」
「えっ……。今なんて?」
騎士らしい見栄えする直立不動の姿勢で前方の闇を見つめていたジュストは、さっと目を動かして私を見下ろした。
「ファナ様は先ほど殿下の足を十五回踏み、十二回蹴飛ばしていました」
なんで見てたのよ。というか、数えないで……。
「う、嘘よ。パトリシアは二十五回と言っていたのに。二回、数えすぎているんじゃない?」
「間違いありません。二十七回です」
きっぱりと言い切られ、咄嗟に返す言葉もない。
「失礼ながらあまり得意ではない、という表現では少々お釣りがくるレベルのように拝見しました」
物凄く丁寧に、大変失礼なことを言われた。思わずムッとしてしまう。
「だ、だって……。この二ヶ月間、足を安静にするように言われて、思うようにダンスのレッスンが受けられなかったのよ」
この二ヶ月の問題とは思えないほど下手なくせに、つい反論してしまう。
ジュストは私を踏んで骨折させたことを思い出したのか、少し気まずそうに首をゆっくりと傾けた。
「それは申し訳ありません。――ただ、家のダンスレッスンと舞踏会場は、かなり勝手が違うでしょう」
「そうね、もっと場数を踏めばいいのかしら」
「未婚のご令嬢達はたいてい、王立舞踏ホールで経験値をあげますからね」
王立舞踏ホールは、王都にある大きなホールで、夜な夜な夜会が開かれているという。
参加料が高いため、基本的に貴族や裕福な人々しか来ていない。
未婚の令嬢達も参加し、素敵な出会いを求めるのだとか。過去には実際、背伸びした商人の娘が、お金をかき集めて一度だけ王立舞踏ホールの舞踏会に出て、そこで出会って恋に落ちた裕福な貴族の男性と結婚したこともある。
ちなみに公爵家のファナは母が王太子一本釣りしか考えてないため、一度も行かせてもらったことはない。公爵夫人は、ファナに変な虫がつくことを恐れ、徹底的に遊びを禁じた。
その割に、公爵夫人は頻繁に王立舞踏ホールで一夜の恋人探しに勤しんでいるようだったが。
「でも、母にバレたら大変なことになりそうだわ」
「仮面舞踏会の日も設定されていますから。こっそり出かけて仮面をつけていれば、誰かなどバレませんよ。設定日の週末を狙えば良いのでは?」
「仮面舞踏会なんて、素敵ね。でも、一人で行くにはなかなかの勇気がいるわね」
「私があなたの立場なら、あのダンスの腕前で王太子殿下と踊る方が、勇気がいりますがね」
な、なんですって。
もう、失礼すぎて呆れちゃう。
「私だって、次は二十七回も踏まないわ」
「おや、お認めに? 二回増えましたね。やはりご自覚がおありでしたか」
「あ、あなたのほうこそ、王立舞踏ホールの舞踏会によくいくの?」
「よくではありませんが、」
「超がつくほどの堅物だと聞いていたけれど、結構夜遊びしているのね。意外だわ」
公爵夫人の放った百戦錬磨の高級娼婦の手管に、まったく靡かなかったくせに。おかしいじゃないの。真面目だと思っていたのに、がっかりだ。
するとジュストは眉を顰めた。
「付き合いで数回、行っただけですよ。超堅物だなど、一体どこの誰から聞かれたのです?」
「いや、あの、その。どこかの誰かよ」としどろもどろに答える。そこは突っ込まないでほしい。
「それに私はファナ様と違って、ダンスは苦手ではありませんから。別に場数を踏む必要もないのです」
「じ、上手なの? パトリシアも上手かったものね。でもそれなら、提案してくれたのはあなただし、じゃあ仮面舞踏会に一緒に行ってもらえない?」
思いついて試しに頼んでみると、ジュストは眉根を寄せて腕を組んだ。まぁ、ちっとも嬉しくなさそうだ。
冷たい北海の海のような、アイスブルーの瞳にじっと見下ろされて気遅れしてしまう。
「妹のライバルが、王太子を射止める手伝いなんて、やっぱりするはずがないわよね」
「ファナ様。その点はご安心ください。殿下を射止めるのは、間違いなくパトリシアですので」
違うのよ。
婚約者に選ばれるのは、私なの。
それが、れっきとした史実であって。
思わず不敵な笑みを浮かべてしまう。
「随分、自信があるのね。でも殿下の妃になるのは、私よ」
「残念ですが、私はそうは思いません」
パトリシアの兄として、自信があるのだろう。
現在の貴族の令嬢の中で、最も魅力的なのは自分の妹だ、と思っているのに違いない。ジュストったら、随分とシスコンなようだ。
たしかに彼女はとても魅力的だけど。正直、私も好きだもの。
「そんなに妹が選ばれることに自信があるのなら、私のダンス磨きに少しくらい、お付き合いしてくれないかしら?」
再度尋ねてみると、ジュストはしばし黙りこみ、迷っているようだった。そこへダメ押しの一言を入れる。
「ねぇ、ジュスト。お願い。初めての場所だから、知り合いがいると心強いの。私とダンスをして……」
頭を下げると、ジュストはやれやれといった雰囲気で肩を落とした。
溜め息とともに、ジュストはようやく返事をしてくれた。
「仕方ありませんね。私でよければ、練習台になりましょう。……これは、怪我をさせてしまったお詫びです」
「いいの? 下手くそな私の、ダンスの練習の相手になってくれるのね? あ、あの……足をたくさん踏んでも、怒らない?」
ジュストは意外にも小さく笑った。
「勿論です。ファナ様になら思い切り踏まれても、ヒビ一つ入らないはずですので。蹴られても構いません」
「なんだか、かえって悪いわ。と言いつつも、遠慮なく早速待ち合わせを決めさせてもらってもいいかしら。それじゃ、来週末にでも、王立舞踏ホールに行ってくれる? 私も行ってみるから」
「分かりました。何色のドレスを着られますか? 仮面を着けていると、本当に誰か分からないんですよ」
それは願ったり叶ったり。
万が一、ジュストと私のことがあらぬ噂にでもなったら困る。
「ジュストは何色が好き?」
「紫色です」
あれっと思考が止まりかける。
紫と言えば、王太子が好きな色も紫ではなかったか。
カリエがアーヴィング家の屋敷にいるスパイの料理人から、聞き出した王太子の色の好みのはず。
(まぁ、偶然よね)
「それじゃ、紫のドレスを着て、ルビーのイヤリングをつけていくわ」
公爵家のワードローブ全てが記憶にあるわけではないが、公爵家なんだからルビーもあるだろう。
ジュストは何気なく聞いてきた。
「ファナ様はルビーがお好きなのですか?」
「いいえ、そういうわけじゃないんだけど。ただ、あなたの剣に嵌ってる石だから、なんとなく揃えてみたつもり」
気遣える女、ファナ。
ちょっと照れながら言ってみると、ジュストはぎこちない様子で自分の腰元の剣に触れた。
「まさかそういう理由とは。あなたには色々と驚かされます」
「そう? 私の周りで今一番私をびっくりさせてくれるのは、あなたなんだけど」
素直に文句を言うと、ジュストは「それではお互い様ですね」と笑った。意外にも、打算のない無邪気な笑顔に、しばらくの間目が離せなかった。
ホールに戻ると、相変わらず王太子はダンスの途中だった。
誰と踊るときも、キラキラと目を輝かせて、優しい笑顔を見せている。
どうやったら彼の「特別」になれるのだろう。ライバルが多過ぎて、見ていると自信がみるみる萎えていく。
ふー、と息を吐くと、肩を叩かれた。
「切ない溜め息を吐くね。兄上が、恋しい?」
隣にやってきたのは、第二王子のノアだった。
「噴水に隠れていて、あの後陛下に怒られませんでしたか?」
「怒られたよ。レディ達とダンスしろと命じられたから、お相手を頼むよ」
颯爽と手を差し出される。
「でも、私とてもダンスが下手なんです」
「一曲すませたら、さっさと噴水にトンズラしたいんだ。本の続きが、俺を待っている。頼むよ」
そういう事情なら、仕方ない。
苦笑しつつも手を取り、ホールの真ん中に二人で歩いていく。
途中でチラリと王太子を見てみるが、私を気にする様子はない。ちょっぴり焼き餅を焼いてくれないかと期待したのだが。
ダンスが始まると、ノアは私に囁いた。
「兄上が、気になる? 兄上は皆に平等にお優しいからね。それこそ、侍女にすら心を砕かれる。あ、イテッ。――正直、だからこそ兄上の一番になるのはきっと難しい」
「どういう意味ですか?」
「妃として兄上の愛を独り占めするのは、なかなかに大変かもね。痛っ、君今、ヒールで俺の小指を踏んだよ。ヒールは勘弁して。それ、凶器だから」
「ごめんなさい」
「兄上には、あまり夢を見ないほうがいいよ。妃の座を狙うなら、ぜひ覚えておいてくれ」
随分な言いようだ。
さっきも感じたが、ノアは王太子のことがあまり好きではないみたいだ。
言葉の端々に、トゲトゲした悪意を感じる。
ダンスが終わると、宣言通りノアは私から離れて人々の間を縫うように素早く動き、姿をくらませた。
きっと庭園に出たのだろう。
その後、私は同い年くらいの令嬢たちの輪に加わり、お喋りに混ざった。
みんなの恋愛話や、貴族の男性のなかで誰が一番素敵かといった話で、ああでもない、こうでもないと盛り上がる。
いつの時代も、年頃の女の子たちが夢中になるテーマというのは、変わらない。
意外にも憧れの男性として、ジュストの名を挙げる令嬢達が一定数いた。怪力騎士団長も、どうやらモテるようで、彼の名が挙がるたびにムッとしてしまう。
みんな、ジュストが実は時折平気で毒を吐いたり、シスコンなことを知らないからよ。――そう心の中で反論する。




