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第二王子のノア

 どうにか笑いを収めて目尻に浮かんだ涙を指先で拭い払うと、パトリシアが言う。


「ああ、楽しかった。次は、私も殿下のお相手を狙いに行ってくるわね」


 朗らかに言うパトリシアに、つい尋ねてしまう。


「あなたは、殿下をどう思ってる?」


 意外な質問だったのか、パトリシアはアイスブルーの瞳を瞬かせた。


「そうね。明るくて前向きで、そんなところを尊敬しているわ」


 そこまで言うと、パトリシアはじっくり考えながら言葉にするように、ゆっくりと言い足した。


「何より、殿下の隣に立てるということは、とても強い影響力を持てることになるわ。女ではたとえ貴族でもできない、大きなことができるようになる」

「大きなこと……。たとえば何をしたいの?」 


 尋ねてみると、パトリシアの目に活力が湧いていく。


「たくさんあるわ。まずね、私は女子のための学校を作りたいの」


 ガツン、と頭を殴られた思いがした。

 そうだ。アリーラの時代とは異なり、ファナの生きる時代には、まだ女子が通える学校がない。

 学校は王国の州内ににいくつかあるが、門戸は男子にのみ開かれている。

 何百年も閉ざされていたその門戸を、開けてくれたのはたしかイサーク国王の時代だ。


「ほかにも、職業訓練所を作りたいの。ディーン王国は他国に誇れる産業をもっと増やすべきだわ。もちろん、実現は難しいと分かっているけれど、王太子妃というのは一番成功させられる可能性を持つ女性よ」


 パトリシアは力強く語った。

 王太子自身に惹かれているのではない、彼の地位が与える力が欲しいのだ、とパトリシアは言い切ったのだ。

 ためらいもなく言えるのは、パトリシアが本気だからだろう。

 目的の違いに驚いていると、パトリシアは首を傾げて言った。


「あなたは? あなたも王太子妃になりたいんでしょう?」

「私は――。殿下は私には無いものをたくさんお持ちだからこそ、惹かれているの」

「あら。お兄様が仰っていた通り、やはり私たちはライバルなのね。でもライバルだからって、友達になってはいけない法則はないわ」

「それもそうね」

「それじゃ、私も頑張って殿下と踊ってくるわ」


 くすくすと笑いながらパトリシアがホールの真ん中に戻っていくと、私は目線だけでパトリシアの兄、ジュストを探した。

 あちこちにかなりの数の近衛騎士団が配置されているからには、彼も今夜は仕事中だろう。

 招待客としてホールでお気楽に踊るのではなく、周辺警備に当たっているはずだ。

 そう思って視線を巡らせながら、ホール内を縦断する。

 ホールから広大な庭園へと続くバルコニーに出たところで、あっと声を上げる。

 バルコニーを降りた庭園の芝の上に、近衛騎士団の軍服をまとった男が、直立不動で控えていたのだ。

 バルコニーにもテーブルと椅子が出され、給仕が行き交い賑やかだ。

 目の前に料理があり、そこかしこで男女が楽しげに過ごしているというのに、その音だけを聴いてじっと外で警戒しなければならないなんて、気の毒だ。

 私はテーブルの上に積み重ねられている小さなサンドイッチやクラッカーを皿に取り分けると、バルコニーを降りた。

 そうしてキリッと立つジュストに話しかける。


「今夜も仕事なのね。さすがに今夜は踊らないの?」

「踊りません。私が警備の責任者ですので。――足は治られたのですか?」

「そうよ。お陰様で。最初の処置が良かったと、お医者様に褒められたわ」


 ジュストを軽く褒めたが、彼はぎこちなく目線を下に向けた。


「踏んでしまった私の責任です。痛みは残りませんでしたか?」

「大丈夫。さっきパトリシアとも端っこで踊っちゃったくらい」

「パトリシアと? ここからは見えませんでした」


 意外そうにそう言うと、ジュストは私の皿の上に視線を落とした。すぐに皿を差し出し、聞いてみる。


「あなたも、食べる? どれも小さいけれど一つ一つが凄く美味しいの」


 するとジュストは少し呆れたように沈黙してから、呟いた。


「あなたは、変わってらっしゃる。任務中ですので、菓子をつまんだりはできません」 

「でも、今なら誰も見てないわよ。小さいのを一つつまむなら、大丈夫じゃない?」

「できません」

「そう? 残念だわ」

「あなたは、本当に……変わってらっしゃる」


 皿の上の菓子をつまみあげ、庭園を眺めながら食べ始める。庭園に配置されたランプのお陰で、少し先にある温室や洒落た刈り込みの大木が見える。

 白い大きな女神像は夜空の下にぼんやりと輝き、どこか艶かしい。王宮は王都のど真ん中にあるのに、庭園は広大すぎて全容が見えない。奥の方はランプの明かりが届かず、夜の闇に包まれている。 

 どうやら噴水もあるようで、木々の上を上がる水飛沫が見える。かなり大掛かりな噴水なのだろう。


(二百年前の王宮の庭園って、どんななのかしら?)


「綺麗ね。庭園も見に行っていいのかしら?」

「大丈夫ですよ。ですが奥の方には行かれないで下さいね。ここは広いので、迷われる方が多いのです」

「ひょっとして迷子探しも、近衛騎士団の仕事の一つなの?」

「時と場合によります」

「えっ、それはどういうこと?」


 最後に残ったゼリーを食べながら尋ねると、ジュストは面倒そうに答えた。


「近衛騎士団は、王族の警備と身辺警護が最優先です」


 きっと例え迷子になっても王族じゃないお前は探さないぞ、と私に遠回しに言っているのだろう。

 私は給仕に皿を返すと、念のため彼に言った。


「私は迷わないから、大丈夫よ」


 ジュストは肩を小さくすくめると、視線を前に戻し、私との会話を切り上げた。

 私はバルコニーを離れると、庭園の芝の上を歩き始めた。

 庭園の芝はよく手入れがされ、雑草ひとつない。踏み締めるとまるで絨毯のように緑の芝が密集して生えている。

 ランプに導かれるように、私は喧騒を離れて噴水をめざした。


「さすがに月光花はないわね」


 庭園は色とりどりでかつ豊富な種類の花々が取り揃えられていたが、月光花は見当たらない。

 枝葉がウサギやネコの形に刈られた木々もあり、可愛らしくて自然と笑みが溢れる。

 いよいよ噴水に近づいたのか、微かに水音がする。音を追っていくと、小さな白い花をつける垣根があり、そこを回ると大きな噴水があった。

 豪快に上がる水飛沫を見つめながら、近づいていく。

 楕円形の台座の上に、伝説の海の王と彼を囲む人魚たちの像が置かれ、何本もの水柱が上がっている。

 噴水に見惚れていた私は、あっと呟いて立ち止まった。

 噴水の縁には手持ちランプが置かれ、そのすぐそばに一人の男性がいるのだ。


(誰かしら? こんなところに……)


 男性は噴水の縁に跨るように腰掛け、膝には一冊の本が置かれている。

 片足は靴を脱いで裾を膝あたりまで捲り上げ、なんと噴水に突っ込んでいた。

 男性は私の接近に気がつき、本から顔を上げた。

 金色の巻き毛は少し伸ばされ、後ろの低い位置で束ねられている。同い年くらいと思われたが、濃い青色の瞳はどこか厭世的な暗さがあり、思わず足を止めてしまう。

 話しかけるべきか迷っていると、向こうから口を開いた。


「こんなところまで来るご令嬢がいるとは。意外だな。君もパーティから逃げてきたのかな?」


 噴水には男が持つ本のほかに、二冊の本が積み上げられていた。思わずくすりと笑ってしまう。


「もしかして、夜会の間中ここでその本を読まれるおつもりですか?」

「もちろん」


 思わず噴き出してしまう。


「もちろん、なんですね。まさか、と仰るかと思っていましたけど」

「予想を覆してすまないね。一冊貸そうか? 君も読む?」


「いえ、結構です」と慌てて手を左右に振ると、男も笑った。


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