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〜幕間〜高原の夜に②

 レシュタット家での夜会の夜。

 公爵家は総力をあげて王太子を狙っているようだったが、肝心の令嬢ファナは、妙な登場の仕方をした。

 ジュストは王国最強の騎士団を率いる立場上、どこに身を置こうと常に周囲への警戒は怠らない。

 公爵家の屋敷の中に招き入れられ、用心深く邸内を見回したその直後。

 ――ジュストは、妙なモノを発見した。


 玄関ホールから上へと伸びる豪奢な階段の手摺りの陰に、何者かが身を隠していた。

 屈んで手摺に隠れ、こちらの様子を窺っている。

 公爵邸に王太子を害する不届き者がいるとは思えないが、警戒するに越したことはない。


(あんな所に身を潜めているのは、何者だ?)


 携える剣の存在を意識しつつ、足を進めたその時。

 ――ジュストは、妙なものと遭遇した。


 手摺りの陰から素早く何者かが動いたかと思うと、それは階段の最上段に公然と姿を現した。目を疑うことに、それは満面の笑みを浮かべた令嬢だった。

 令嬢は階段の最上階に踊り出ると、数秒前までしゃがんで隠れていたことなど、一切感じさせない堂々とした登場をし、王太子に声をかけてきた。


「なんですかそれ! 面白いご令嬢ですね」


 副団長のガブリエルが大口を開けて笑う。


「だろう? しかも、あんなに堂々と登場した割に、呆れるほどダンスが下手だった。王太子殿下も苦笑なさっていたよ」

「それは想像できます。レシュタット公爵も、稀代のダンス下手ですからねぇ」


 運動神経が切れているのだろう。


「一緒に踊らないといけない殿下が、気の毒なほどだったな。私ならお断りだ。頭を下げて頼まれても、あの令嬢とは踊りたくない」


 ジュストがついに辛辣に公爵令嬢を批判すると、ガブリエルとウィルは揃って笑った。


「団長! 思ったことを何でも口にするもんじゃないっすよ!」

「ああ、そうだったな。――だがその後の月光花は見事だった」


 あの花が光を放って開花している(さま)を、初めて見た。

 天上の世界のランプのように優雅に美しく輝き、ひと時はあらゆる警戒を忘れた。

 そして、次の瞬間には……ジュストは、ファナという令嬢に見惚れていた。

 月光花の明かりの中を無邪気に歩くファナの笑顔に、不覚にも完全に目を奪われた。

 子どものように口を開いて喜び、光の中で目を輝かせ、ファナはクルクルと花々の間を動いた。


(あれは、まるで花の妖精だった)


 夢のように美しい月光花の咲き誇る花壇丸ごと、彼女の姿は貴重なものに見えた。


(いやいや、王太子を虎視眈々と狙う令嬢のすることだ。花の中で自分がどう見られるか、あれは全て計算ずくの行動だろう)


 ジュストは我に返ると頭を激しく左右に振り、再び心に鎧を纏って警戒心を呼び起こした。


「そもそも、レシュタット家の娘など、我が家にとっては障害物でしかない」


 夜会の後でアーヴィング家の屋敷にファナを招待したのは、決して好意からではない。

 祖父との思い出が生きる支えの祖母が、ファナの話を聞いていたく感動してしまい、ジュストは渋々彼女を招いたに過ぎない。

 むしろレシュタット公爵家の令嬢など、王太子と妹のパトリシアが仲良くしているところを見て、戦意を失ってくれればいい。


「騎士団長の妹のライバルですもんね。でも今日、よくお助けになりましたね。女性嫌いの団長が、ロープで身を寄せ合って登ってこられたから、驚きました」

「身を寄せ合ってなどいない。引きずり上げただけだ」


 ジュストは女性が苦手だ。

 女性といえば、子どもの頃から彼を見ては黄色い声を上げてヒソヒソと騒ぐものだった。

 何か話しかければ真っ赤になってどこかに走り去るか、悲鳴を上げる。

 夜会に出て手を取って踊れば、粘っこい視線で見上げてきて、時には異様に胸を押しつけてくる。


「――だから、私は女性が苦手なんだ」

「ええ、ええ。存じ上げておりますとも。騎士団長は女性が苦手というか、もはや女嫌いといって良いレベルですって」

「王宮の住人には周知の事実です」


 ウィルと副団長が交互に頷く。

 ジュストだって、斜面の下で嫌々ながら救助のためにファナと自分を一本のロープで結びつけたのだ。

 それなのに、あの令嬢は。

 ジュスト以上にうろたえ、少しでも体を離そうと腕を浮かせていた。

 金色の髪に絡まる雑草のかけらを取ってあげようかと思っていたが、癪に触ったのでそのままにしてしまった。


「だが、近衛騎士団長としてあるまじきことに、彼女に私のせいで怪我を負わせてしまった。これはどんな言い訳もできない」


 ジュストは後悔を滲ませて、グラスの中身を口に流しこむ。

 今夜、既に何杯も飲み干していたが、ジュストは酒に強いのでその頰はわずかも赤らんではいない。

 何が気にかかるかというと、ジュストの踵が落下の勢いごとファナを直撃した瞬間、彼女が声一つあげなかったことだ。

 相当な痛みだったはず。

 だがファナはジュストに気づかせまいと、堪えたのだ。


「たぶん、彼女はその瞬間に唇を噛み締めていた。後から思えば、唇から血が滲んでいたんだ」


 ジュストの報告に、二人の騎士は絶句した。

 ヒビの入った指で足を動かし、ジュストに強引に引きずられるようにして斜面を上るのは、さぞ辛かっただろう。

 ジュストに気づかれるまでファナは、痛みに耐えたのだ。

 女性に怪我を負わせるなど、自分は騎士として恥ずべきことをした。

 ジュストは自責の念に駆られた。

 もっとも、ジュスト本人もレシュタット家のせいでとんでもない目に遭いかけたのだ。報復だと思えばいい。

 だが。

 あの月光花の中で微笑むファナが、時々瞼の裏にちらついてしまうのだ。



 ベロベロに酔ったウィルを担いで、副団長とラウンジを後にすると、ジュストは廊下の真ん中で立ち止まった。

 ジュストの部屋のドアの前に、ファナとカリエがいたのだ。

 ファナは病院で借りてきたのか、松葉杖をついている。

 なぜこんな所に?

 ウィルを副団長に預けて任せると、急いでファナのもとに駆けつける。

 ファナは不安げな瞳をパッと上げると、笑顔になった。


「こんばんは。あの、待ち伏せなんてしてごめんなさい。明日帰るとホテルの人から聞いて……今晩中に、あなたに借りた筆入れを返さなきゃと思って」


 ファナの言葉を受けたカリエが、両手で銀の筆入れをジュストに差し出す。

 筆入れのことなどすっかり忘れていたジュストは、数回瞳を瞬いた。


「――ああ、固定に使った筆入れですね。わざわざ返してくださるなど、思いもよりませんでした」


 手を伸ばして筆入れを受け取った瞬間、ジュストの指先がカリエの手に触れる。

 それはほんの一瞬だったが、ジュストはカリエの指の冷たさにハッとした。

 高原は朝晩、気温がグッと低下する。

 廊下はかなり冷えている。


「お二人とも。一体、いつからここで私を待たれていたんです?」

「少し前よ。夕方、病院から戻って、ずっと部屋にカリエといたの。今ジュストを訪ねてきたところだから、丁度あなたが帰ってきたところに出くわせて、幸運だわ」


 違う。

 きっと嘘だ。

 なぜそんな嘘をつく。

 ジュストは思わず心の中で反論し、黙り込んだ。

 公爵令嬢が泊まっている角の部屋の明かりがついたり消えたりしていた理由が、今やっと分かった。ファナとカリエはジュストを訪ねて何度も部屋を出たり入ったりしたのだ。


(明かりが消えていた間は、こうしてずっとここで私を待っていたのか……)


 廊下の明かりに照らされたファナの顔色は悪かった。

 まだ薄らと噛んだ傷が残る唇から上がる呼気は、寒さに白んでいる。

 よく見ればファナの腕は寒さに小刻みに震えているではないか。


(なぜ、こんないじらしいことを。一家で私を陥れようとしていたくせに)


「寒かったのではありませんか?」


 焦燥感から、やや粗暴な口調になる。

 一方のファナは、少し不安げに硬い笑みを浮かべた。

 ファナには、ジュストの硬い態度の理由が分からなかった。


(借りたものを返しに来ただけなのに。当たり前のことをしているつもりなのに、どうして?)


 なぜかジュストに、苛立たれている。


「あの……。松葉杖を使うのは結構体を使うから、……動いていたから寒くはないわ」

「ですが、震えてらっしゃる」


 ファナの瞳がパチパチと瞬き、今度は意識して腕に力を入れると、なんとか震えを止める。

 自分の部屋の前まできたウィルが、手を振って大きな声を出す。


「俺達はもう先に寝ますねぇ。それでは、騎士団長、お美しいレディ達。おやすみなさい」


 そう言うと副団長の肩を借りて、自分の部屋の中へと入っていく。

 扉が閉まって廊下に残されると、ジュストは呟いた。


「ウィルが失礼いたしました」

「いいえ。陽気で楽しい方ね。近衛騎士にもいろんな方がいるのね」

「どうかウィルは例外だと思って下さい」


 ファナはくすくすと笑いながら、松葉杖にかける手に力を入れ直し、その場を去ろうとカリエに目配せをした。その無邪気な可愛らしい笑い声に、ジュストは軽い苛立ちを覚える。

 心をくすぐるような、無垢な声だと思った。

 ジュストに騙されてノコノコとこのサバス高原まで連れ出されたのだとも知らずに、ファナは感謝に満ちた澄んだ瞳を向けているのだ。

 松葉杖を握る指先を、寒さで白くさせながら……。


(まったく。よりによってレシュタット家の令嬢に、なぜ私が罪悪感を覚えなければいけないんだ)


 ジュストは小さくため息をつくと、少し迷ってから自分が羽織っているジャケットを乱雑に脱いだ。

 そのままジャケットをファナに差し出す。


「部屋までこれを羽織ってください。お寒いでしょう」


 ファナは一瞬目を丸くした後、首を高速で左右に振った。


「またお借りするわけにはいきません。一階上の隣の棟に行くだけですし」

「差し上げます」


 表情を変えることなく、ジュストはジャケットを差し出すと、二人の会話にオロオロするカリエに手渡した。


「お休みなさい。それでは失礼します」


 ジュストはそう言うなり、随分と丁重に頭を下げ、ポケットから取り出した鍵で自室の扉を開けると唖然とする二人を置いて部屋に戻った。

 後ろ手で扉を閉めた後、数秒ほどその場に立ち止まり、廊下の外の物音に耳を傾ける。

 外からはファナの戸惑って揺れる声がした。


「困ったわ。また借り物ができてしまったわね。物を借りてばかりのしょうもない女だと思われたんじゃないかしら……」

「でも、くださると仰ってましたよ。ありがたく頂戴しましょうよ、お嬢様。モノに罪はありませんし」


 扉を挟んで聞こえてきた会話に、ジュストの眉間に皺が寄っていく。

 一体、何の話をしているのか。


「……なんとなく彼、不機嫌じゃなかった? でも、上着を貸してくれるなんて、優しいのね」

「意外な一面ですねぇ」

「ジュストって、実は良い人なのね」

「さぁお嬢様、大切なお体が冷えたら大変です。騎士団長の温もりが消えないうちに、はやく着ちゃってください! 手をお貸ししますから、杖を壁にかけて私に掴まって…」

「あっ、本当にまだ温かい。ジュストの温もりが……」


 ジュストの眉間の皺が更に深くなっていく。

 その場を逃げ出したいような、いやむしろ急いで飛び出してジャケットを取り返したいような。

 なんとも言えない、複雑な気持ちにさせられる。

 やがてコツコツと松葉杖が離れていく音が聞こえ、その場を離れていく。ジュストは側頭部を掌で押さえると、珍しく酔ったような不確かな足取りで部屋のベッドに雪崩れ込んだ。



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