〜幕間〜高原の夜に①
サバス高原の高級ホテルのラウンジにて、三人の男達が酒の入ったグラスを傾けていた。
木目調の壁に絵画が飾られたラウンジは豪華ながらも、橙色のランプはかなり控え目な明かりを投げかけており、しっとりとした落ち着いた雰囲気を醸し出している。
日が暮れてかなり経つからか客足はまばらで、ラウンジの隅にあるソファ席に陣取った彼らは近くに立つ給仕には聞こえないよう、抑えた声で会話をしていた。
金髪の男が、ブルーチーズとクルミの載るクラッカーをつまみ上げ、口の中に放り込む。
大きな革張りのソファに呑まれることのない、筋骨隆々としたその体躯は、このディーン王国の近衛騎士副団長の肩書きに恥じない。だが同時に背格好が王太子に良く似ているので、王宮内でも見間違える者がたまにいた。
この男は近衛騎士の副団長なのだが、王太子の身代わりをさせるために、わざとジュストが連れてきたのだ。
副団長は青い瞳を、隣に座るジュストに向けた。
「騎士団長、先ほどから窓の外をチラチラとご覧になっていますね。何か外に気になることでも?」
指摘されたジュストは瞳をサッと副団長に戻し、苦笑した。
「ガブリエル、さすが目ざといな。――昼間助けたレシュタット家の令嬢の部屋の明かりを見ていたんだ。部屋にいるらしいが、なぜかさっきから一定の時間ごとに、点いたり消えたりしている」
「ほぉ。何をなさってるんでしょうねぇ」
副団長ともう一人の赤毛の騎士が、揃って窓の外に視線を投げる。
ホテルはくの字型の建物だったため、ラウンジの外に向かいの居室の窓が見えるのだ。
レシュタット家の令嬢の部屋は、棟の最上階角に位置しているため、分かりやすい。このホテルの最高ランクの部屋に宿泊しているはずの令嬢の部屋の窓からは、あたたかいランプの光が窓から漏れ出ていた。
赤毛の近衛騎士はへらっと笑った。
「それにしても、怪我のせいで旅先の夜に部屋にいなくてはならないなんて。羽目を外せなくて気の毒ですね」
近衛騎士一の女好きであるウィルに言わせれば、どこぞの令嬢だろうと旅先では羽目を外してどこかのパーティにでも参加して、夜遊びをするものだ。
旅先で夜に部屋に篭っていなければならないなんて、ウィルには考えるだけで地獄だ。
人は遊んでこそ心身共に充実できるというのに。とりわけ恋の駆け引きは、心を潤わせる。
「いやぁ、それにしても歴史あるレシュタット家の長女にしては、相当間抜けなご令嬢でしたね。あのカリエとかいう侍女もおっちょこちょいそうでしたし」
「ウィル。少しは口を慎め。思ったことをなんでも口にするんじゃない。アレでも、レシュタット公爵家のご令嬢だぞ」
副団長がいかつい顔を向け、部下であるウィルに注意をする。
ウィルはまったく悪びれることなく、肩をすくめた。
「でも、副団長のことを本気で王太子殿下と勘違いしていたみたいですよ。あの驚いた様子といったら。面白かったな!」
くすくすと笑いながらジュストに同意を求めると、ジュストは小さく頷いた。
「これで私の家にスパイが潜りこんでいることが、はっきりした。二人とも、この旅行に付き合ってくれて、ありがとう。本当に助かった」
以前から、屋敷内部の何者かが、外部にアーヴィング家の情報を流していることは気がついていた。
今回ジュストはそれを逆手に取り、スパイの背後にいる黒幕を突き止めようと、あえて偽の情報を流したのだ。
黒幕の正体についても、ある程度察しはついていた。
ジュストは腰にぶらさがる剣に、そっと手を載せる。
(おそらく、この剣に不届きなことさせた者と、黒幕は同一人物だ)
思い出すだけで、あの感覚が蘇る。
新年の祈祷式の朝。ブーツに足を突っ込んだ時のグチャッとした感覚と、鼻をつく異臭が。
その前夜はおかしなことばかり続いた。
やたら蠱惑的な美女が悩殺ポーズをキメながら、しつこくジュストに絡んできたり、最近会ってなかった友人が急に強引に飲み屋に誘ってきたり。
挙げ句に夜道で強盗に襲われた。
さらには帰宅後に朝目覚めると、屋敷の馬が消えていた。馬丁は菓子でパンパンに膨らんだズボンのポケットを必死に押さえながら、口の周りを粉砂糖でベタベタにしたまま、「起きたら馬がいなくて、びっくりしました!」と抗弁した。
ブーツと剣に関しては、思い出したくもない。
こんな怖いもの知らずで性格の悪い真似をするのは、あの公爵夫人しかいない。
アーヴィング家に悪意を向けている黒幕は、十中八九、公爵家だろう。王太子と懇意にしていることを、妬まれているのだ。
そこで偽の王太子をエサに、嘘の情報を故意に流したところ、目論見通り情報は公爵家に流れた。
あの忌々しいレシュタット公爵家に。
ファナは果たせるかな、ノコノコと高原までやってきて、王太子と出会う機会を窺っていた。
トレッキングで思いっきりファナ達を振り回してやったのは、ある種の仕返しでもあった。
(とはいえ、随分長いこと必死についてきたな。あれだけ長距離を早く歩けば、もっと早々に根を上げると思ったが。根性だけはあるんだろう)
ジュストは吐き捨てた。
「……まったく。たいした令嬢だ」
「まぁ、あの手練れと名高い、レシュタット公爵夫人の一人娘ですからねぇ。そもそも、女というのは生まれつき女優なんです。芝居を打つのも、嘘をつくのも、呼吸するようにやってのけるんですよぉ」
ラウンジにいる女性客を物欲しげな眼差しで物色しつつ、ウィルが自分の発言にうんうんと何度も頷く。
一方のジュストは、ウィルの発言後半部分は聞き流していた。代わりに算段する。
(さて、内通者であることが判明した我が家の料理人を、どうしてやろうか。煮るなり焼くなりしなければ)
ジュストは慎重に考えた。
レシュタット公爵家はこの王国きっての名家だ。正面切って喧嘩は買えない。たとえ売られたとしても。
はっきりと釘を刺すのではなく、公爵家にはやんわりと忠告すべきかもしれない。
(いや。もしくはあの内通者――女調理人を、逆に利用してやるか? 敢えて偽の情報を流して、レシュタット家をこの先翻弄するのも、手かもしれない)
そう、晩餐会に招いたファナに、紫色のドレスを着させたように。
以前試しに屋敷内に流してみた「王太子の好きな色は紫」という情報は、ジュストのでっち上げだった。紫は王太子ではなく、ジュストが好きな色だ。もっとも、紫はドレスとしては珍しい色ではない。その後晩餐会にファナは紫のドレスを着てきたが、偶然かもしれなかった。
とはいえ、それも知らずにジュストの好きな色を着ているファナを見るのは、意外なほど愉快だった。
ジュストがあれこれ考える横で、ウィルは空になったグラスを振り、若い女性の給仕におかわりをもう一杯運んでくるよう、指示した。最後にニコリと笑ってウィンクをしてみせる。
貴族然とした整った容貌のウィルに色気のある微笑みを投げられた女性給仕が、照れて顔を赤らめる。
ウィルはグラスを受け取ると、代わりに流れるような仕草で給仕の手の中にチップのコインを押し付けた。
どさくさに紛れて彼女の手を軽く握り、その手の甲を長い人差し指で撫でてくすぐる。
給仕は茹でダコのように真っ赤になった。
呆れたジュストが片手を振り、給仕をサッサと下がらせる。
ウィルはお堅い上官に苦々しい視線を戻し、言った。
「それにしてもファナ・レシュタット嬢は間抜けではありますが容姿はなかなかで、目を引く令嬢でしたね。そばかす一つない色白の肌に、可愛らしい目で」
「あの令嬢には手を出すなよ」
すかさず釘を刺すジュストの声は普段以上に低音で、聞き慣れたウィルもいくらか緊張した。
「もしや、いやまさか、騎士団長が狙ってらっしゃるので……?」
レシュタット公爵家といえば、ディーン王国で一、二を競う古参貴族だ。
アーヴィング伯爵家とは釣り合わないが、近年の資産と勢いでは伯爵家が上回る。それにジュストのこの美貌だ。
ひょっとしたら勝算があるのかもしれない――ウィルはそう思った。
だがジュストはウィルの問いかけに対し、いかにも不愉快そうにその形の良い眉を顰めた。
「なぜそうなる。私があの令嬢を狙うはずがないだろう」
「まぁ、そうですよねぇ。団長の妹君の、恋のライバルですもんねぇ」
ジュストの妹にとって、王太子妃となるのは長年の悲願だ。新興貴族であるアーヴィング伯爵家にとっても、王家と強い繋がりができるのは、心強い。
「そもそも、気位とプライドばかり高い、レシュタット公爵夫妻に育てられた一人娘など、厄介なだけだ。それに――、あの令嬢は、だいぶ変わっているぞ」
ジュストは思い出した。
二ヶ月前に王太子に同行した公爵邸の夜会でのことを。公爵令嬢のファナとまともに面と向かって話をしたのは、あの夜が初めてだった。




