サバス高原の罠①
和やかな晩餐会から、しばらく経った後。
アーヴィング伯爵家で働く従姉妹経由で、カリエが有用な情報を仕入れてきた。
なんと王太子がジュストを伴い、お忍びで高原のリゾート地に泊まりにいくらしい。
この情報を掴むなり、母であるレシュタット公爵夫人はキランと目を輝かせ、間髪容れずに私に命じた。
「今すぐ宿を取りなさい、カリエ」
カリエにそう命じる母の意図がわからず、私は固まった。
母は私の動揺を意に介することなく、続けて言った。
「ファナ、あなたもサバス高原に行って、殿下ともっとお近づきになるのよ」
私が王太子と会うために、わざわざサバス高原に?
困惑する私の隣で、カリエは母の命令を受けて力強く頷く。
「お任せ下さい。騎士団長の滞在予定のホテルも、どこなのか既に調べさせてあります!」
「上出来よ。さすが我が家の侍女ね。今月のあなたの給料は、二倍にしなくては」
「奥様、ありがとうございます!」
カリエが両足を揃えると、ピシッと敬礼をする。
こうして晩餐会からひと月後、私とカリエは母から「運命のサバス高原にせよ」との指令を受け、高原のリゾート地に向かった。
王都から馬車で四時間ほど行ったサバス高原は、風光明媚なところだった。
涼しい風が吹き、青々とした高原に色とりどりの小花が咲き乱れ、湖も点在している。
馬車の中から見えるのは、澄んだ湖の水面が風に吹かれてさざなみを立てている光景で、いつまでも眺めていられるほど飽きない。
美しい景色を見るたび、たとえ本来の時代に今身を置いていなくとも、生き伸びなければ、と痛感する。
到着したその日の夕食は、ホテルのレストランで頂いた。宿泊客はみなそうしているようで、レストランはかなり賑わっていた。
私とカリエは目ざとく王太子一行を発見すると、彼らに気づかれないように、少し離れた席に着いて様子を窺った。
王太子はジュストと、友人らしき男性と三人で来ていた。
もう一人も、同じ騎士なのだろう。筋骨隆々とした赤毛の男で、いかにも騎士らしい大柄な人物だ。
お忍びで来ているせいか、王太子の警備やおつきの人は、特にジュストと赤毛以外は見当たらない。素手で家を壊せそうなジュストが一人いれば、十分なのかもしれないが。
王太子は正体がバレると面倒だからか、ずっと帽子を目深にかぶって物静かにしていた。対照的に赤毛の騎士は、随分軽薄そうでヘラヘラとよく笑う男だった。おまけに料理を運んできた女性給仕にもペラペラと話しかけ、どう見てもナンパをしている。
(ジュストにはあんな友達もいるのね。意外)
切れ切れに聞こえてくる会話から、どうも明日は高原にトレッキングをしに行くらしい。
スープを飲み終えると、私は向かいに座るカリエに囁いた。
「私達も、トレッキングに行きましょう」
「合点承知!」
「考えてみたら、高原の風にそよぐ緑を背景に、殿下とばったり鉢合わせなんて、素敵な偶然じゃない?」
まるで小説の中の出会いみたいで、ロマンチックだ。
その後は一緒に高原散策を楽しめたりして……。
「余計なのが二人、くっついてますけどね。散策の時は、なんとか私がお邪魔虫…、じゃなかった赤毛と黒毛の近衛騎士の二人を、遠ざけますから」
「なんだかそれが一番難しそうだけれど……。よろしくね」
「アイアイサー、お任せを。トレッキング中に、遊歩道で運命的な再会を果たす作戦ですね。究極のラブストーリーみたいな筋書きです!」
「お母様が言うには、サバス高原の野花は、いま丁度見頃なんですって。明日はついでに高原の空気に癒されてきましょう」
花々が咲き乱れる美しい高原での、再会。花の香りを運ぶ爽やかな風に、ドレスのレースをなびかせながら。
舞台も演出も、なかなか素敵じゃないの。
きっと、これなら今度こそ王太子との距離を縮められる。なんとかまずは、「親しいお友達枠」に入れてもらいたい。
――そう思っていたけれど、私達の計画は出鼻を挫かれた。
王太子達三人は、物凄い勢いで高原を歩いたのだ。
高原の空気を楽しむ優雅なトレッキングとは程遠く、彼らは大きなリュックに水の入った瓶をなぜか何本も詰め、まるで戦地を突き進むような険しい表情で歩いた。
驚くほど大股で。
素晴らしいスピードで。
一切休憩なしで。
私とカリエは途中まで懸命に後を追ったが、距離は広がるばかり。
こちらは小さな鞄と水筒しか持っていないのに。
私は先を突き進む猛者のような三人の背中を見失うまいと睨みながら、カリエに言った。
「これじゃあ、リゾートに来たんじゃなくて、まるで訓練に来たみたいじゃない!」
「殿下と騎士達、歩くのが早すぎます!」
一緒に後を追うカリエは、汗だくだ。
もはや点にしか見えない彼らを、息も絶え絶えに必死に追う。
軍学校を卒業した王太子は、近衛騎士と引けを取らない体力があるようだ。
あの赤毛のチャラ男もヘラヘラしている割に、随分気骨があるらしい。
背負っている異様に重そうなリュックは、体を鍛えるために敢えて重くして負荷をかけているのだろう。
きっと、岩も詰めているに違いない。
「ジュストってば、だてに近衛騎士団長はつとめてないのね……。色んな意味で、勝てる自信がなくなりそう……」
「お嬢様ぁ、私もう足が痛くて限界ですぅ。スパイ失格で、ごめんなさい!」
私達はついに立ち止まった。
長い時間歩き続けたために、背中と腰が軋み、ふくらはぎはパンパンだし、足も痛い。
「気にしないで。私も、同じくこれ以上は後を追えないわ……」
仕方ない。
追いつくのは諦め、高原の出口で待つほかない。
私とカリエは断腸の思いで、出口に引き返した。
こうして私とカリエは、王太子たち三人の猛者が帰ってくるのを、遊歩道の出口に設置されたベンチに座って、今か今かと待ち構えた。
ブーツを履いてきたけれど、高原での慣れない競歩に足が悲鳴を上げている。靴擦れをしたのか、爪先が特に痛い。
全然美しい再会場面なんて作れなかった。こんなはずじゃ、なかったのに。
カリエとおしゃべりをして、三人が戻ってくるのを待つ。
幸い、景色は素晴らしくて見飽きない。ベンチの置かれた場所は高台になっていて、見晴らしがいいのだ。すぐ隣は斜面になっていて危ないからか、等間隔に杭が打たれてロープが張られている。
一時間ほど待っただろうか。
ついに遊歩道の出口に、ジュストを先頭に王太子とチャラ騎士が姿を現した。
彼ら三人が現れると、私は待ってましたとばかりに意気込んで、ベンチから勢いよく立った。飛び跳ねる勢いで、王太子の前に陣取る。
「ま、まぁ、殿下! いらしていたんですね! こんな所で会うなんて、なんという偶然でしょう」
今しも彼の存在に気がついた、という純粋な驚きを装い、すぐに笑顔を披露する。
偶然の出会いの演出だ。
すると王太子が被っていた帽子のツバをあげ、彼の顔がはっきりと見えた。金色の髪に、青い瞳。
思わぬ場所での偶然の出会いに彼も驚いたのか、目を見開いて動揺している。その顔は見知った顔より少し細面で、目が少し細くて。
(あれ――? 王太子……じゃない?)
目を皿のようにして、目の前に立つ人物をたっぷり十秒間は見つめる。
ジュストたちと目の前にいるのは、王太子によく似ているけれど、すぐ近くでよく見れば別人だった。
驚愕のあまり私とカリエが喘いでいると、ジュストがゆっくりと歩み寄ってくる。
「ファナ様? なぜこちらに……?」
今、それを聞かないでほしい。
なぜなら私も、何をしにわざわざここまで来たのか、たった今分からなくなったからだ。
「こ、ここ高原の空気を吸いに、昨日から滞在してるの。ジュスト、あなたも来ていたなんて、驚いたわ」
「本当に、驚きです。私達は体を鍛えに来たのです。こちらにおります二人とも、近衛騎士団員でして」
ジュストが自分の友人をちらりと見る。
「ふ、二人とも、近衛騎士……?」
震える声でおうむ返しに尋ねると、ジュストは背筋がヒヤッとするほど冷たいアイスブルーの瞳で、私を見つめて頷いた。
「この者は王太子殿下に少し似ておりまして。王宮でも、よく間違われるんですよ。――ファナ様も今、見間違いを?」
見間違い、というよりサバス高原に来るという情報を仕入れていたから、すっかり王太子だと思い込んでいた。疑いすらしなかった。
「え、ええ。背格好も、良く似ているから……」
王太子じゃなかった。激似だけど、まさかの近衛騎士団員。どうりで素晴らしい体力の持ち主だったはずだ。ここにいる三人とも、素手で家を壊せるんだろう。
(王太子は、来ていなかったということ? 嘘でしょ……。こんなの、骨折り損のくたびれもうけじゃないの)
あまりのショックに、今更ながら全身が疲労を覚える。気力で踏ん張っていた足が、震え出してしまう。
懸命に動揺を隠して、初対面の二人の近衛騎士団員に挨拶をせねばと、彼らに向き直る。
二人に向かって控えめな笑みを見せ、スカートの裾をつまんで膝を折った直後。左足の爪先がビリッと痛み、よろめいた。
「いっ、痛っ!!」
痛みに後ろへ数歩後ずさると、今度は何やら地面の小石を踏んでしまい、ずるりと体が滑る。
「あ、あぶな…」
カリエの声と、ジュストの顔が視界から消えたのは同時だった。
ジュストは咄嗟に私に手を伸ばしてくれたが、掴む間もない。私の体は後方に倒れると、膝丈の位置に張られていた後ろのロープに引っかかり、支えを失ってつまずくとロープの向こう側に倒れた。
直後、そのまま転倒して全身を地面に打ちつけ、立ち上がる間もなく、私の体は小石を巻き込んで坂を転がり落ち始める。視界がグルグルと回り、咄嗟に何が起きたのか理解できない。
カリエと三人が叫ぶ声が聞こえる。
(な、なに!?)
ベンチの横は斜面になっており、私はそこを滑り落ちていた。
きつい角度を落ちると、すぐに緩い坂に変わった。茂みの中をゴロゴロと転がり、最後に木の幹に打ちつけられてようやく落下が止まる。




