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1. 記憶のバックアップ

「記憶というものは長い時間かかって形成されるものだと考えられています。その人の経験が積み重ねられて出来たものですからね。三十年生きたなら三十年分の蓄積があり、八十年生きたなら八十年分の重みがある。そういうものだと思われています。でも、よく考えてみてください。それはある時点での脳の状態に過ぎないのです。ニューロンとそれをつないでいるシナプスの物理的な状態にすぎないのです。それとまったく同じ状態を再現すれば、その人の記憶がそこにあるということになります。それが三十年かけて構築されたものか八十年かけて構築されたものかは関係ありません」

担当者は丁寧に説明してくれていた。『トゥルーメモリー社は新しい形の生命保険を提案します』という触れ込みだった。小さな子供を抱えている身としてはちょっと気になっていた。生命保険に入っていれば、もしもの場合にも残された家族に保険金が支給される。子供が成人するまでの間、経済的に困窮しないよう配慮しておくのは当然だ。でもそれだけでは足りないような気がする。

「脳が保持している情報はすべて現在のものであって、個々の体験に日時というタイムスタンプがつけられているとしても、それもまた現在の情報ということですね?」

「その通りです。そして当社が独自に開発したシステムによってニューロンレベルで脳の状態を細かくスキャンすることが可能になりました。これを逐次シリコンディスクに保存することであなたの記憶の完全なバックアップを取ることができます」

羊や牛のクローンが作られたのは、もうずっと前のことになる。羊と人間で生体的機能がそれほど違っている訳ではないから人間のクローンを作るのもそんなに難しいことではないだろう。だが、人間のクローンを作ること何かメリットがあるだろうか? クローンは元の人間と全く同じ遺伝子を持っている。だが同じ遺伝子を持つから同じ人間という訳ではない。人が人であるためには記憶が必要になる。だからクローンを作っても同じ人間を作ることにはならない。ずっと長い間、そう考えられて来た。だが先ほど聞いた通り、記憶のバックアップが取れるというのなら事情は違って来る。

「バックアップをするからには復元も可能でなければ意味がありません」

説明はさらに続いた。

「バックアップした記憶をスキャンしながら、それと全く同じ構造を作り出すために、微弱な電流を流してシナプスの接続を生化学的に強化する方法が確立されました。これによりバックアップされた記憶を真っ新な脳に定着させることができます。そうすると同じ遺伝子を持つクローンに同じ記憶を持たせることができます。あなたがもし不慮の事故で命を落とされたとしても、あなたのコピーが生き続けます。もちろん生命保険に入っていれば遺族の方々が経済的に困窮しない額のお金は受け取ることができるでしょう。でも残されたお子様にとっては親の不在の方がもっと大きな損失であると私共は考えています。あなたの髪の毛一本と記憶のバックアップをいただければ、その憂いがなくなるのです。これが私共の言う新しい保険の形なのです」

来月に海外の営業拠点に異動することになっていた。期間は三年ということだったので、妻と子供たちを残して単身で行くことにしていた。赴任先が特に政情不安定な国という訳ではなかったが、数年前から世界の秩序は不安定になり始めていた。邦人が殺害されるケースもしばしば発生していた。危険に遭う確率がまったくゼロという訳ではなかった。そうしたこともあって私はこの契約にとても興味を惹かれていた。

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