(2)ふんわりとして、お口の中で溶けていく
ここからの三話は、一話分として書いた感じです。
ちょっぴり短めに区切った方が良いのかなとのお試しですね。
一話目で期待させて、二話目で普通になったとか言われてしまいそうと思いつつ……。
オスタミク子爵三女ニーナルアは、学園の守衛に連れられてやって来た妹のリンラシアを寮の部屋へ迎え入れて、笑えばいいのか嘆けばいいのか、とても複雑な感情に襲われていた。
「ニーナお姉ちゃん! これがミルドル領のプリコットでしょ、こっちはモモルの森のリンタスの実よ。――あ、こら! も~、妖精魔法で妖精空間に物を仕舞えるのは便利でいいけど、倉庫扱いには出来ないね。装備は良くても、食べ物は妖精に囓られちゃうわ」
ぷんすか怒っている妹は可愛い。領主邸に居た時も、可愛がり倒した。
けれどニーナルアを含めたリンラシアの兄姉は、リンラシアに対して負い目を感じている。
可愛がっているつもりだった。大切にしているつもりだった。けれど、誰かが面倒を見ていると思って、外で何をしているか知ろうとはしなかった。
黄金ベリーを見付けたと聞いて、その幸運を褒め称えた。森で妖精に会ったと聞いて、末の妹は何かを持っていると笑い合った。けれど、妹が妖精と出会ったという森の奥地が、本当はどんな危険地帯なのか、きちんと理解しようとはしていなかった。
その結果、妹のリンラシアが、どんどんおかしくなっていた。
それを漸く理解したのが、リンラシアの十五歳の誕生日。僅か一年前の儀式の日だ。
その時でさえ、リンラシアが得た『ユニーク』を理解せずに、末の妹は凄いけれどどうにも抜けていて可愛いと、そんな感想を抱いていた。
結局、呆れるリンラシアが促すままに、その後家族皆で身を清め服装を革めた食事会で、リンラシアの真実を知る事になる。食事をするだけなのに大袈裟なと皆して妹に呆れながらも、折角大切な妹が振る舞ってくれる手料理なのだからとにこにこしながら従って、和気藹々とした団欒を楽しんでいたその目の前に運ばれてきたのは至高の一皿。
見るだけで唾液が止まらなくなるその色合い。
匂いだけで精神を至福へ導くその芳香。
その時になって着替えた服の肌触りまでが快感を齎している事に気が付いて、しかし無意識の内に掬い取った匙がその時にはもう口まで運ばれている。
ただ溢れるのは魂からの絶叫と、滂沱と流れる涙ばかり。
本の一瞬、神々の世界を垣間見て、其処はただの人間が足を踏み入れてはならない場所だと理解した。
神の一文字を冠するというのはどういう事かを、漸くにして理解させられたのだ。
リンラシアを除いての緊急家族会議の結果、リンラシアとはこれ迄と変わらずに接する事を皆で決めた。そう決めておかなければ、どうしても傅いてしまいそうだったから。
子供を大切に育てるという意味では間違いでは無いのかも知れないが、貴人に接する様に畏まってしまいそうだったのである。
そしてもう一つ。リンラシアは家族皆で守ると決めた。
何と言ってもリンラシアは非常識の塊で、翻って言うなら常識知らずだった。
今にしても、王都から遙かに遠いオスタミク領から、たった一人で王都まで旅をして来た。
弓と剣を担いだ猟師としか思えない姿で。
猫と言い張る眷属の背中に跨がって。
序でに道中での獲物までその猫の背中に吊られている。
とても子爵令嬢の姿では無くて、守衛が出張るのも当然の話だ。
この王都でそんなリンラシアが神の一文字を冠する『ユニーク』持ちだと判明したなら、必ずリンラシアを侮って従えようとする者が出てくるだろう。
手料理だけでも神の領域。それ以外の妖精魔法と言い張る何かにしても、学園に来て一般常識を知ってみれば、言い繕う事の出来無い常識の埒外なのだから。
「――そうなのね? 囓られた食べ物はどうしてるのかしら」
「囓られちゃったら仕方無いから、その周りは切り落として妖精の取り分にしてるかな。も~! 囓ったら替わりの物を置いてってくれたりするけど、交換所じゃないのに~」
ほら、また何でも無いかの様に常識を飛び越えていく。
妖精が交換する品々は、実用品としても珍品としても蒐集家の垂涎の的だ。ただの木の実でさえその扱いなのに、昔見せて貰ったリンラシアのコレクションには、宝石に見える物も沢山有った。
文句を言いつつも宝石箱にしっかり仕舞い込んでいるのは安心出来ても、無造作に置かれたその宝石箱に国宝にもなる様な代物が納められているとはきっと誰も思わない。
あの手料理の日から直ぐに動き始めて正解だったと思いつつ、調べた結果が色々と飛び抜けたリンラシアに余りにも似合いすぎていて、ニーナルアは苦笑が漏れるばかり。
「外でそれは言わない方がいいわね。妖精から貰った品は、物凄い高値で取り引きされているわ。リーンの持ってる宝石なんて、国宝にされてしまうかも知れないくらい」
その一端を明らかにしただけでも、リンラシアは年齢相応に目を丸く開いて、驚愕を顕わにする。
オスタミク領で暮らした田舎子爵家に、只でさえ王都の常識は分からない。
その中でもリンラシアは、飛び抜けて他とは違う場所に立っている。
リンラシアに常識を教えるのはとても大変だけれど、――やっぱり妹はとても可愛いとニーナルアは頬を緩めるのだった。
因みに、ニーナルアも良く分かっていないが、妖精の品が特別とされているのは、それが妖精との友誼の証と取られているからだ。
妖精の品を持っていれば、妖精と出会い易くなる。それで妖精と友誼を結べたならば、様々な品を妖精から得られる可能性が出てくる。大抵の物は小石や木の実といった珍しくも無い品物だが、それでも妖精の品には違いないから損は無い。そして稀に普通では手に入らない珍しい品を貰えるかも知れないとなれば、目の色を変えて求めるのも納得の話だった。
そしてもう一つ。リンラシアが何気なく使っている妖精魔法は、世間一般では妖精にしか使えない特殊な魔法とされていた。人ではどうにも出来無いと言われている不治の病も、もしかしたら妖精にならば治せるかも知れない。そんな大袈裟な事では無くても、その年だけの豊作や、ちょっとした幸運の訪れといった出来事を、演出するのが妖精魔法という奇跡だった。
その何れもが妖精の品を切っ掛けに友誼を結び、時には契約を交わして、言葉も伝わらない相手との遣り取りの末に、やっとの事で手に入る恩恵だ。その切っ掛けとなるのなら、さして珍しくも無い木の実であっても、挙って人は求めるだろう。
それが妖精の品という物なのである。
リンラシアの場合は、木の実を仕舞っていても腐らせるだけと、人知れず色々な場所に植えてしまっているが。
オスタミク領にはその御蔭で今では何本もの妖精のお気に入りな若木が生える事となり、知られざる内に次第に妖精の集まる土地と成りつつ有った。
そして何れ、妖精の守る豊かな土地と成るだろう。
尤もこれは余談である。
ニーナルアが兄のハルカラドと共に調べた結果は、リンラシアが何をどうしようと天下無敵という結果だった。
しかし、それはまだ言わない。“美味しい”にしか拘りの無いリンラシアに、先に安心させる事を言ったなら、後の言葉は聞き流されてしまいかねない。
だから、ニーナルアは初めに注意事項を告げる事にしたのである。
「リーンは『餐神』なんて持っているくらいだから、自覚は無いかも知れないけれど、他も色々と飛び抜けていると思うわ。知らないでいたら妖精の品々もちょっと綺麗な小石程度の気持ちで友達に上げてしまったかも知れないけれど、王都でそれをするとちょっと困った事に成ってしまうの」
「ぅえ!? もう結構色んな人に上げちゃったのよ?」
「オスタミクでの事なら別にいいのよ。皆そんなにがつがつしていないし、領主の娘に手を出そうとする人なんて居ないわ。でも、王都の商人は貴族であっても下に見ていて、ちょっとでも隙を見せたら毟れるだけ毟ろうとしてくるわね。
リーンが友達に上げただけのつもりでいても、それを目敏い商人に見付かればそこまで。それに商人で無くても同じ貴族の中にもそういうがつがつした人は居るわ。質の悪い物取りに見付かってしまえば、友達を危険に晒してしまうかも知れないの」
「そ、そんな卑劣な方々は、お尻ぺんぺんでは済まされないのよ!」
まずは、考え無しに振る舞うと、周囲に与える影響が大きいのだと釘を刺す。
リンラシア自身はどうとでも切り抜けそうに思える分、割を食うのは周囲の人間だ。その結果、リンラシア自身が避けられる様になってしまえば、きっと寂しい思いをさせてしまうだろう。
わなわなと震える可愛いリンラシアに、しっかりとした対処法を教えなければ、リンラシアの傷付いた顔を見る事になりかねない。
幸いにして、これはリンラシアが持つ貴重な品の価値を、正しく認識するだけで済む話だ。
「でも、リーンだって目の前を無防備に御馳走が横切って行ったら、思わず手が伸びてしまうのでは無いかしら? 或いはつい弓を射かけてしまうのでは無くて? それと同じ事ですから、そんな無防備に晒されてはどれだけの自制心の持ち主でも目の毒ですわ。
ですから、ここはリーンが気を付けないといけないのです。リーンが持っている品は、どれも金貨数十枚が飛び交う物と思えば、軽々しく人に渡せないのは分かるでしょう?」
具体的な金額を出したのが功を奏したのか、今気が付いた様な表情でリンラシアが目を瞬いた。
そして、自分が今も身に纏う狩人の装備を見下ろして、困惑を示した。
「……なら、この狩衣も?」
それを聞いてニーナルアは思う。
ニーナルアには分からないが、もしかしたら其処彼処にあしらわれた色石といった代物は、妖精の品々なのだろうか。
全身に妖精の品を纏っているのなら、リンラシアをして戸惑うのも頷ける。
尤も、それは“美味しい”に対しては迷う事の無いリンラシアに、確かに釘は刺さったのだと、ニーナルアにとっても感動を覚える出来事だった。
「ぅえぇ……」と淑女に有るまじき呻きを漏らしているリンラシアだが、ちゃんと釘が刺さっているのなら心配する事は無い。こう見えて妹は賢い。直ぐに何が必要か理解するだろう。
さて、ニーナルアが兄のハルカラドと共に、リンラシアを守る為に学園で調べた結果何が分かったか。
結論から言うと、神の一文字を冠する『ユニーク』を持つ者は、何者にも束縛されない権利を持つと、王国の法で定められていたのである。
そんな法が定められたのは、偏に神の一文字を冠する『ユニーク』を持つ者と敵対する事が王国の破滅を齎しかねないという、その一語に尽きた。
実はこれに関して調べる中で、ニーナルア達は学園に質問書まで出している。そうしたら王宮――と言うよりも、国王陛下直々の書状が届けられるという事態になった。
憖じ父が王宮へ知らせていなかっただけに、それはそれは大騒ぎとなったのだそうだ。
大切な妹のリンラシアは、ニーナルア達が守るまでも無く、無敵で最強だったのだ。
「ふふふ、そうね。私には分かりませんけど、きっと垂涎の品なのでしょうね。
ですけれど、それがリーンに不都合を齎すのかは、話を聞いてからにした方がいいわね。
結論から先に言うわよ? リーンに限らず神の一文字を冠する『ユニーク』を持つ者は、王国では国王陛下と対等以上として扱われます。オスタミクは子爵家ですけれど、リーンだけは陛下の前であっても畏まる必要は無いと、国王陛下直々のお手紙を頂いています」
その言葉と共に渡された封の開けられた手紙を手に、リンラシアは呆けた顔を晒す。
ニーナルアは微笑みながら言葉を続ける。
「リーンがこれから学ぶ事ですから簡単に説明しますと、要するに神の一文字を冠する『ユニーク』を持つ者がその気になれば、仮令王国を挙げて対抗しようとしても、同じく神の一文字を冠する『ユニーク』を持つ者が味方に居なければ対抗し得ないので、仲良くしましょうと、そういう事みたいですね。
それだけでは無く 神の名を持つ力の持ち主を従えようなんて不遜な行いには、神罰が下ると言われています。
六百年前に人質を取って剣神ゴラードを従えようとした南アシュラン帝国では、帝国軍の全ての剣が朽ち、剣に関する『能力』や『ユニーク』が国中から消え失せたと伝えられています。
凡そ千年前のシャーラン王国の滅亡は、出現した『農神』に何かをした為に滅びたのでは無いかと言われていますわ。
そういう“人の身を越えた”、“神に近しい”力の持ち主だからこそ、神の一文字を冠する『ユニーク』を持つに至ったと考えられているのですわね。
その中でもリーンは『餐神』です。『剣神』による神罰が下ったならば槍に持ち替えれば良いでしょう。『農神』による神罰が下っても、最悪は輸入で凌ぐ事が出来るでしょう。ですけれど、食べる事自体に神罰が下れば、人は生きていけません。
故に、リーンに対して王国は最大限の譲歩を約束しているのです」
リンラシア凄いを表情に湛えて説明したニーナルアだが、或る意味それは非常に危うい状況だった。
そこに厄災が有ると分かっていて、国家が本当に放置するだけで済ませるだろうか。
素直に受け止めたのは田舎子爵家故の純朴さだったが、素直さで言うならその妹のリンラシアも同じだったのである。
「お~……それは面倒な付き合いをしなくてもいいという事なのよ?
私、学園はお見合いの場と聞いて理論武装はしても、それではちょっと弱いと思ってたのよ。でも、解決ね」
ニーナルアはリンラシアが“美味しい”以外の事を考えたと聞いて、その事に少し興味を引かれた。
故に突っ込んで聞いてみた。
「理論武装って?」
「うん、オスタミク領に政略結婚なんて関係無いし、『餐神』の結婚相手は『農神』とか『牧神』よねって言えば何とかなると思ってたのよ?」
しかし返って来たのがそんな思い付きの様な言葉だったから、この特権ばかりは貰えて正解だったとニーナルアも胸を撫で下ろしたのである。
「確かにそれでは弱いわね。強引に迫られたらきっと理由にもさせて貰えないわ。
ふふ、でも私達にはどうしたらいいかもきっと分からないわね。雲の動きで天気を占う事は得意でも、お腹の中に一物も二物も隠している方と遣り合う事なんて出来そうに無いわ」
「お腹に余計な物を入れたなら、ご飯も美味しく食べれないのに」
「ええ、本当にね。うふふふふ……」
可愛いリンラシアと話す内に、ニーナルアの気分も上を向いてくる。
色々と規格外の妹だが、大切な家族が無事に王都に着いて、これから一年一緒に学園へと通う事には変わりが無い。
「うふふ、憂鬱になる事ばかり話していても仕方が無いわ。リーンも着いたばかりで疲れているでしょう? 今日はゆっくりして行きなさい。お部屋を調えるのも明日にして、ここに泊まって行けばいいわよ?」
そう言われて目を輝かせたリンラシアを見て、ニーナルアは身悶える。
妹可愛い。凄く可愛い。
メイドのイリナが入れてくれたお風呂に、ご飯は食べてきたと言うリンラシアと一緒に入って、早々にベッドの中へ潜り込む。
その日は実家でも嘗て無い程にリンラシアとお喋りをして、手を繋いだままニーナルアは幸せな眠りに包まれるたのである。
三話分予約しといたよ!
(3)が明日の朝7時。(4)が明後日の朝7時!
でも、その後はまたがっつりと間が開いてしまう予定。
何も思い付いていないのだ。