パイロット版 仮1
〈tips〉
《魔界》と《帝国》の間に留め置かれた最前線、《フロントライン》は約600㎢の面積を持ち、およそ370万の人口を有する、高さ50m、厚さ10mの壁に全周を覆われた湿潤大陸性気候の国家です。北に広大な《カトゥ湖》と面し、かつては美しい国土と民族融和を誇っていましたが、長きに渡った魔物との戦いにより荒廃。激化する犯罪組織の抗争に、政府は最小限の機能を残し縮小しつつあります。
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「車を降りてください、少尉」
《フロントライン》東区、旧市街、午後九時ごろ。
政治将校がレイジに拳銃を突き付けたのは、外郭に程近く、半ば放棄されて人気のない一角でのことだった。
「無作法だな、君」
それでもレイジは動じず、悠々と足を組み紫煙を薫らせるまま、
「馬鹿な真似はやめてくれ」
助手席から身を乗り出し、銃口を向ける政治将校に、無感動なサイバネ義眼の冷ややかな視線を向ける。
「最後の警告です。車を、降りてください」
「ふぅん……」
レイジはルームミラーに映る後続の車から、自身が指揮する部隊の隊員たちが銃を構えて迫るのを見て、
「受けなし、か」
呟く。
「言うまでもないでしょうが、少尉、これは党の命令です」
「ぼくは知りすぎた男、というわけだ」
「……残念です、少尉。さあ外へ」
「断る。ここで殺せば済む話だろう」
「相変わらず、頑なですね」
レイジはすっかり短くなった煙草を指で弾く。それは政治将校のカーキ色の制服に当たり、赤熱した灰が暗い車内に散った。あからさまな挑発。しかし、引き金に触れる人差し指は微塵も動かない。
「背後から予告なく撃てとの命令でしたが、私はあなたを敬愛している。せめて軍人らしく、銃殺刑の形式で最後を迎えて頂きたいのです」
「死に名誉があるとでも?」
「少尉……!」
「――分かった、分かったよ。言葉を弄するのはやめにしよう」
レイジが後部座席を降りると、控えていた隊員が即座に武装解除を行う。諸々の装備を搭載したプレートキャリアが引き剥がされ、次いでグロック19とナイフが取り上げられた。抵抗はしなかったが、断ち落とされた左肩から延びるサイバネ義手――骨格を成すチタンと人工筋肉を覆う軽金属の黒い外殻で構成された――を軽薄に振ってみせ、
「こっちはいいのかい?」
せせら嗤う。
政治将校も、脳深部代替部品によって情動を抑制された隊員たちも、他には誰一人として笑わなかった。
「ええ、構いません。貴方の尊厳の為に」
「ふぅん。お優しいことで」
「……何か、心残りはありませんか」
「心残り……ああ、そうだな」
レイジは少し考える素振りを見せ、そして言った。
「水を一口。そろそろ薬の時間なんだ」
「……これから死ぬという時に、薬の心配ですか」
「理解は求めないが、ぼくの人生には規律が必要なのさ」
政治将校は小さく笑みを浮かべ、隊員の一人に無言の指示を飛ばす。レイジはそうしてペットボトル入りの水を受け取り、その日二回目の薬を飲んだ。薬は平べったいピンクの八角錠で、《ヨシカワ・メディカル》製の強力な免疫抑制剤。
薬を飲み下した後もひとくち、ふたくちと水を飲み、キャップを閉めてペットボトルを返す。“何処へ行けば良いのか?”訊くと“あちらです”と応える。旧いアパルトマンの白壁、そこが死に場所だ。
記録抹消刑。レイジは想う。自分はここで死に、遺した一切の痕跡を抹消される。このひび割れた白壁、街そのもののように、忘れ去られる。映像から、写真から、文章からの完全な抹消――結構なことじゃないか。ぼくは誰の記憶にも残りたくなんかない。
「――銃殺隊、前へ!」
隊員が、兵士たちが一列に並ぶ。
「構え!」
揃って向けられた銃口をレイジは見つめ返す。
発砲の瞬間を、自身の意識が虚空に散逸する刹那を網膜に焼き付けてやるつもりだったが、それが隊員に与える心理的影響を思うと、レイジは眼を閉じずにはいられなかった。彼らが傷付きなどしないと知っていても――あるいは、逃れえないメカニックな死を前に恐怖したのかもしれない。レイジの脳味噌は治外法権だ。
街は静寂に満ちている。
眼を閉じた先の暗闇に眩い光を感じた。
予期していた発砲炎、ではない。
――“神秘の起こり”。
生物発光じみて群れ、感光し、弾ける。
それは現実の圧力に磨り潰される幻想の断末魔。
レイジは瞳を開け、重く垂れた雲の切れ目から射す月光に焼き付けられた人影を見た。背にしたアパルトマンの屋上から、剣を携えた何者かが間に割り入るように落ちてくる。
「なに――」
誰かが呟いた。
その何者かは空中で、刀身が波打った両手剣を体ごと振り回し、横凪ぎに一閃。刃の軌跡に紅い炎が追従し、広がり、闇を啓く。
炎に巻かれた隊員たちが、政治将校が血を流し、しかしその激しさに火勢を弱めて、出来の悪いゲームのラグドールみたく頽れる。レイジは思わず駆け寄って、キューブラー=ロスが提示した五段階を辿る暇もなく急速に死につつある男を腕に抱く。
男の頸動脈は無残に切り裂かれ、しかも傷口はひとりでに惨たらしく拡がっていた。鮮やかな血液が溢れる。その温かさと生々しい滑り、指先のセンサが人工神経を通じて出力するゼロイチのマトリクス。
この男は死ぬだろう。あと三十秒で四肢から意志が抜け、一分で意識が朦朧とし、三分で生命活動が停止する。
かちっ、両手剣を鞘に納めた音。
「あなた様の刃が、ここに参りました」
甘く、しかし改まった声を追えば、黒いトレンチコートに身を包み、剣を背負った――骨格と肉付きから判断するに――女が跪いている。それは臣従儀礼の姿勢。片膝を着き、目線を深く下げたまま、
「――なんてね。怪我はない? レイジくん」
邂逅。
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テキスト
「ぼくらは単なる生体機械、ただ弾倉に込められた弾丸であって、束ねた矢なんかでは断じてないんだよ、アンジェ」
男は座席越しに向けられた銃口の冷たさから意識を逸らすように、一心不乱にアクセルを踏む。ずっと前から壊れて電源が切れなくなったカーラジオからは、イーグルズの『Take It Easy』が流れていた。
アンジェの所属する――していた――騎士団では、酒、煙草、薬物等あらゆる自己破壊的超越作用を招く一切を禁制品と定めている。レイジが驚いたのはそのことを知っていたからでもあったし、煙草を吹かすアンジェの姿が記憶の中の彼女と剥離していたからでもあった。
彼らは不確実な殺害エージェントに頼るより、呪詛による緩慢だが確実な死を選んだ。『人を呪わば穴二つ』と言うように、込み入った呪術には釣り合うだけのコストを擁するけども、大資本の下では脳オルガノイドによる呪詛プログラムも容易だろう。後はスイッチ一つ、仕掛けるだけ。カルラの肉体が内側から腐るにつれて、培養された脳も朽ちる。メカニックな死への行進。
壁のポスターにはこうある――『コーラは燃料、満タン給油しよう!』『当店の肉はすべて安心安全の人工肉100%です』『ジャンクフードという名のイデオローグ』
〈tips〉
神秘とは即ち、個人的な現実を破綻させる技法です。
“触れざるもの”との接触はいずれ精神を蝕みます。
気の狂いは神秘使いにとってありふれた病であり、真の探求はそこから始まります。
《蝕炎の神秘》
液体のように振舞う紅い炎は、呪いにも似て肉を蝕みます。
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description 〈代替部品/オルタナ〉
人体との親和性に極めて優れた最先端複合素材によって構成された、人体の機能を補完、強化する医療装置の総称です。非侵襲型と侵襲型の二つに大別され、後者は体質や規模により様々な健康的、精神的リスクが伴います。
また、肉体の“完全性”に支えられた魔術師の場合は致命的な拒絶反応が不可避であり、生涯に渡って免疫抑制剤を飲み続ける必要があります。