+1 一葉としての望月
子どもの頃、夕方の空を見上げると、欠けた白い月が浮かんでいた。
十歳くらいだろうか。
その日わたしはとても傷ついていたのか、悔しかったのか、泣いていたのか。覚えてはいないが、小さな子どもがひとり、夕方の空を眺めていたのは、何かがあったのだろう。
名前に月の文字が入っているせいか、空に浮かぶ月は自分のものだと思っていた。
ところが、その時のわたしは、月が自分ではなく、遠く高い空から自分を見下ろしている存在なのだと急に理解した。あれは、わたしのものではない。わたしを見ているものだ、と。
遠く高い空から月に見下ろされる自分の姿を想像した。
それはちっぽけで、ぽつんと立っているひ弱な子どものひとりの姿だった。
その時に、わたしは自分の存在を外の世界と切り離して捉える事が出来たのだろう。客体化した意識。それをわたしは、月から学んだ。
悲しいことも、腹の立つことも、嬉しいことも、空高くにある月から眺めてしまえば、どこにあるのかも分からない小さな小さな、ちっぽけなものだ。
そのちっぽけなものに、わたしたちは喜んだり、苦しんだりしている。
ずいぶんと諦観にまみれた子どもだな、と今なら思う。
だが、その感覚は急に子どもであるわたしへ降りてきた。
そして、その抵抗のようなものが働いたのだろうか。
わたしは、絵を描き、その中にちっぽけだが、実存を示そうと一葉を描き続けている。
満月の夜だった。
展示の準備も終わり、いつも通り境内へ抜け出してタバコを吸っていた。
月光の下、影の中に子どもの姿が見えた。
満月の日は、日没と月の出がほぼ同じだ。この子どもは、日が落ちた神社で何をしているのだろう。
適当に声を掛けると、反応を示した。
疲れ切ったような、途方にくれたような、そんな情けない顔をしているのに、僅かながらも確かにプライドを捨てずにいることをわたしを見る目から読み取ることが出来た。
少し面白いなと思った。
あの頃、ひとりでいた子どもの自分に、突然出会わされた感覚だった。
それなら、わたしはこの子を励まさねばならない。
満月は人を狂わせるらしい。望月の名を持つわたしは、その影響を強く受けたのかもしれない。そういうことにしておこう。
わたしはその子どものために、詭弁のような言葉を紡いだ。
その子どもからの恩返しは、わたしを充分に楽しませてくれた。
まさか、五十を過ぎてから、花を差し出され、お願いをされるとは思わなかった。
面白いと思い、快諾すれば、あっという間に時が過ぎ、小さな子どもはわたしの身長を追い越し、作品展の搬出搬入の戦力となった。
「望月先生、これは、ここでいいですか?」
「隣に百号の油絵が来る予定だ。大きいそっちの作品にしよう」
複数人での展示会を行う予定の会場では、力仕事を張り切る教え子の円城真の姿があった。
魔法使いでもないのに、ただの画家の話を素直に飲み込んで、本当に絵描きとして生計を立ててしまっていた。
その上、初めて付き合った相手と結婚までしてしまっている。
「君の願い事が叶うように祈ったわたしの力が凄いんだろうなぁ」
今回の展示会場で一番の注目株である教え子の姿を見て、わたしは真っ白な頭をかいた。
「望月先生、笑って見てないでこっちに来て下さいよ!」
いつからか、わたしを怒る係になった真は、大御所だからと若手に敬遠される立場にわたしを置くこともなく、ぞんざいに扱ってくる。
すっかり威厳というものがなくなったよと、妻に冗談めかして言えば、それはあなたがずっと一緒にいるからよと笑われた。真は、わたしを月として扱うこともなく、ただの一葉として遇してくれる。
彼は、子どもの頃に一緒に見た円月を忘れないだろう。そして、その時に月から見た彼がひとりではないと、わたしは知っている。それは、月から見たわたしの姿も同様で、ひとりにさせないように、誰かの横に並ぶことで、自分自身もひとりではなくなるのだ。
あの時、ひとりで欠けた月を見ていた子どもは、もう居ない。
一葉のそばには、一輪があり、共に月を見ている。
わたしは、ただの一葉として存在し、一輪と一輪、月と花を眺めて好きなように描き、好きなように心を動かして生きたい。
それがわたしの願いだ。
わたしは腰を伸ばし、わたしを呼ぶ彼の方へと歩み出した。