表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

7 一輪の獲得


 お母さんの病院へ行く日になった。


 今日は、祝日でお父さんも家に居る。


 朝、起きた時からずっと雨が降っていて、朝ごはんを食べ終わってもずっと雨は降り続いていた。


 お母さんの病院へ行くのは、面会時間が決まっているから、午後からじゃないとだめだとお父さんが言っていたので、病院のほかに行かないといけない場所には、お昼ご飯の前に行くことにした。


 僕はお花屋さんが始まる時間まで待って、お父さんからお金の入ったポーチを受け取ると、長靴を履いて、緑色の傘をさして雨の中出掛けた。


 僕は弟に破かれた、しわしわになった絵をセロハンテープで一生懸命に繋ぎ合わせた。そして、その絵を今日、お母さんに持って行くつもりだ。破けてしまった絵は、元通りには戻らないけれど、透明なセロハンテープで繋ぎ合わせたそれは、しわしわのまま、ちゃんと僕の絵として蘇った。その絵の他に、お見舞いとして、一輪を用意して行くのだ。


 お花屋さんは、学校帰りに通りすぎるだけで、場所もお店の人も知っているけれど、店の中に入ったことは一度もなかった。


 雨音が傘の中いっぱいに詰まって、どきどきとした僕の中の音と一緒になってとてもうるさかった。


 でも、僕は花を手に入れるんだ。

 ただの僕のわがままで、ただの願い事。


 ぎゅっ、と傘の柄を右手で握って、濡れないように左手で胸元にあてたお金の入ったポーチを持って、僕はお花屋さんの前に着いた。


 ちょうどお花屋さんから、ジーンズをはいたお兄さんが、白い紙に包まれた花を持って出てきた。お店の入り口にある傘立てから黒い傘を取り出し、ぽんと音を立てて広げるとそのまま、お店から離れて行った。


 女の人ばかりじゃないぞ。お兄さんも買っていたぞ。大丈夫、大丈夫と僕はさっきのお兄さんが使っていた傘立てに、閉じた緑色の傘を入れてから、お店の中に入って行った。


 入った途端、むせ返るような花の香りに包まれた。


 僕は胸元にポーチを抱きしめたまま、きょろきょろとお店の中のお花を見回した。



 たくさん、ある。



 僕はどの花がいいのかわからなくなり、すっかり途方にくれてしまった。


 頭を垂れて、じっと立っているとお花屋さんのお姉さんが声を掛けてくれた。


「こんにちは。贈り物ですか?」


 お姉さんは、にっこりとした顔で僕に目線を合わせるため、少ししゃがんで、また同じように言った。


「こんにちは」


 僕はどうしていいかわからないまま、お姉さんに目を合わせた。


「あ、あの」

「女の子にあげるのかな?どういう花がいいかな?」

「あ、あの!お、お母さんに花を一本渡したいんです!」


 僕は顔を真っ赤にして、お姉さんに伝えた。


 そう、先ず僕は、お母さんのために、一輪を用意するんだ。

 間違えてしまわないように、ちゃんとした花をお母さんに用意するんだ。


「あら、それじゃあ、母の日のカーネーションかな?」


 咄嗟に僕は答えた。


「お月様の花ってありますか?」


 一昨日の夜に望月先生と見た満月。

 あの光景が頭をよぎった。


「それなら、このカーネーションはどうかな?ムーンダストっていうの」

「ムーンダスト?」

「そうムーンはお月様のこと。それで、このお花の花言葉は、『永遠の幸福』なの。お花を渡す人の幸せを願う花よ」


 お姉さんがそう言って見せてくれた花は、僕の知っているカーネーションとは少し違っていた。色の濃い薄いの違いはあるけれど、僕の見知っているピンクや赤のカーネーションとは、まるで色そのものが違う。


「……紫色のお花?」

「うーん、一応青いカーネーションではあるんだけれど。紫、かな、これは」


 お姉さんはちょっと困ったように笑った。

 でも、これは月の花で、願い事の花だ。特別な花なのだ。


 それなら、僕はこれがいい。


「それじゃあ、一輪ずつ、それをふたつ、買えませんか?」

「ふたつ?お母さんの他にあげる人がいるの?」


 僕はもっと顔が真っ赤になって、


「そ、そうですけど」


と答えてから、くちびるをぎゅっと噛んだ。


 花屋のお姉さんは、目を細くしてちょっと口元をもごもごさせた後に、ニコッと笑って、


「ムーンダストを一輪ずつをふたつですね。ご注文承りました」


と言った。


 それから、色の濃いものと薄いものと少しずつ違っている中から、僕は濃い紫の花をそれぞれ包むようにお願いした。深い紫色の花びらは、薄い紫色の花よりも影を多く見せて、とても特別に見えたから。あの月明かりの夜に見た影も含めた空気が詰まっているようで、僕は強く心が惹かれた。


 お姉さんから渡された花は、それぞれ透明なフィルムで軽く包まれていて、やっぱり青というより、紫の色をしたカーネーションだと思った。でも、花びらがふわふわして光を閉じ込めた影の部分もとてもキレイで、他のカーネーションと違った色で、とてもとても特別な花として、この花はぴったりなんじゃないかな、と僕はうきうきした。


 僕はお金をポーチから出して払うと、今度はポーチの他に花も一緒に胸元に当てて、濡れないように落とさないように、慎重に持ってから、お姉さんに「ありがとう」と声を掛けてからお店を出た。


 外に出た瞬間、道路の風が僕の方へ吹き、胸元の花の香りがふわりと僕の鼻を撫でた。学校や庭先で嗅いだことのある強い花の香りと違って、優しいほのかな香りだった。


 落とさないように気をつけながら、傘立てから緑色の傘を取り出し、ぽんっと傘を広げる。


 まだ雨は降り続けていて、通り過ぎる車が水溜りを跳ね上げるけれども、僕は胸元に当てた花が暖かいものでもあるかのように、とてもふわふわとした気持ちで歩き続けた。


 そして、抜け道を通って、辿り着いた先は、一昨日に来た神社。


 僕は、お母さんに会いに行く前に、今日、ここに来ている望月先生に花を渡しに来た。


 願い事が叶う、僕は特別な存在だと、月に照らされた神社の境内で話してくれた望月先生。


 そこは先生の教えてくれた一輪の庭。


 すべてが満ちていて、欠けることなく、すべてが揃っていた。


 だから、僕は欲を持ったのだ。

 僕の願い事を叶えたい。


 それを教えてくれた望月先生にも願い事を持ってしまった。


 その願い事を叶えたいから、僕は満月の終わってしまった今日、一輪を用意して、先生に会いにきた。



 「また僕と会って話をして下さい」とお願いするために。



 僕はさっきのお花屋さんよりももっとドキドキとしながら、神社の石の鳥居を潜った。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ