糸電話
もう一度、声を聞きたい。話がしたい。そう願うのならば、片方だけの糸電話で呼びかけるといいよ。
寂しくて泣いていた真尋に、祖母はそう言った。
紙コップの底に糸をとめ、真尋は水たまりのすぐそばにしゃがみこむ。
空を映した鏡や、あるいは水面に糸を垂らして、話をしたいと願う相手を強く思い浮かべるのだ。そうすれば、向こう側につながって声が届くという。
真尋は教わったその通りにした。
おかあさん。お願い、声を聞かせて。また、前みたいにわたしの名前を呼んで。
真尋は待った。紙コップから伸びる糸は、水たまりに浮かんだままで、波紋をいくつも広げるだけである。
お願い、おとうさん、おかあさん。
優しかった父と母の二人の顔を思い出しながら、さらに強く願う。
そのときだ。真尋の手から紙コップが落ちそうになった。
引っ張られたのである。
垂れ下がっていただけの糸が、水面に突き刺さるように、ピン、と張っていた。
つながった!
そう感じた真尋は紙コップを口をあて、最初は小さな声で、やがて抑え切れない感情のまま、母に呼びかけた。
「もしもし。おかあさん、聞こえる? わたしだよ、まひろだよ! おとうさん、おかあさん!」
それから耳を澄ませ、真尋は応えを待つ。
さほど時間はかからなかった。懐かしい声が糸を伝わって聞こえてきた。
「……まひちゃん、まひちゃんね?」
紛れもなく母だった。元気にしてるのか、ご飯はちゃんと食べてるのか、寂しくはないか、など真尋を気遣う声だった。
「うん、うん。元気だよ。ちょっと寂しいけど、おばあちゃんもいるから」
母を心配させないように、大丈夫だよ、と真尋は応えた。
それからたくさんおしゃべりをした。一緒にいられた頃に、いつもそうしていたように。
雲ひとつない青空を波立たせながら……
「あなたも真尋と話して」
妻から手渡された紙コップを、彼は内心、戸惑いながら受け取った。
こんな不思議な事があるなんて、と思う。
ベランダに引っ張り出されたときには、妻の正気さえ疑ったのだが。しかし確かに、向こう側とつながっているかのような軽い手応えがある。妻の手鏡に映る、高い空へ向かって。
幼くして死んだ愛しい娘を想う。
「ま、まひろ……お父さんだよ」
恐る恐る話しかけてみる。しかし、返ってきたのは静寂だった。
「おかしいな。真尋、聞こえるかい?」
「どうしたの」
「いや、誰も……」
「……誰も?」
「でんわ」
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