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歴史とDNA

日本人と北方ルート

作者: とびうお君

 日本人にとってかなり重要なハプロとしてC1A1がある。これめちゃくちゃややこしい。ミステリーに近いものがある。縄文人だと考えられいたけど、そのルートからかなり怪しい。以前からこの系統が東アジアの北方ルートの担い手じゃないか?と指摘してた。というか、C1の系統が世界中に拡散して、その1部としてC1A1である可能性が高いと言う話になる。


 アメリカ先住民の重要なハプロであるC2とQがあるのだが、これらがユーラシア北部に住み着く前にすでに住んでいた住民がC1の系統で、今も北部に残るがC1Aの系統になる。アメリカ先住民の一部に縄文人を含めたオーストラリア集団に近い遺伝子が見つかる。C1A1もその候補か?なら難しい


 明かな北方ルートと思われる。ただ世界中に拡散するスピードが速くて、オーストラリア集団との分岐があまりない時期にユーラシア北部に拡散した可能性がある。尤も日本のD系の一部が移住した可能性もまだ十分にある。


 ただここでミステリーなのだが、C1A1は明らかな漁労を中心とした海洋民族の傾向がみられる。だが、その昔はユーラシア北部に拡散していた可能性がある。典型的な陸路になる。海岸部を北上してアメリカ大陸へと言う流れの方がありそうなのだが、それは現在の分布だけを見た形で、過去おそらくユーラシア北部に広がっていたとしたら、間違いなく北方ルートでかつ陸上のハンターであった可能性が高い。


 推測になるが海岸部に到着したC1A1は生業を変えてしまった可能性がある。かなり不可解な現象になる。わざわざミステリーの謎を提供してくれるような難解な行動をとる。よりによってと言いたくなる。だがほぼ北方ルーだと確信したのは、中央アジアで中国と同じぐらい古い分岐のC1A1が見つかる点で、すべての古いC1A1は北方ルートを通ってきた可能性を示唆している。


 分岐した下位系統だけが海岸部に集中している。これは生業を一部の集団が大きく変えてしまったと見た方がいいだろう。


 こんなの想像できるわけがない。遺伝子を見るだけではその過程はさっぱり分からない。C1A1は現代のDNAの分布から海岸部を北上した海洋民族であると言うのはほぼありえない。おそらく東アジアに石刃石器を北部にもたらした集団は、この集団だと思われる。この問題が、東アジアで石刃がかなり複雑な様相を見せている原因だと思われる。


 石刃石器を持った集団が分かりやすく北方ルートを通ってきたのじゃなくて、一部の集団が先行して北部に石刃石器をもたらして、他の集団は後から南部から北上してそれらの技術に影響を受けたのじゃないかと見ている。実際それぐらい東アジアの石刃石器の広がりは複雑きまわなりない。1つの大きな遺伝的集団が拡散したようになってない。


 石刃石器が見つかる西ユーラシアの遺跡からはアジア的な集団が見つかっている。もっと後の時期には欧州ではC1A2とmtDNAMが見つかっている。中東の北部辺りコーカサスあたりの集団がこれらの元になってるのじゃないか?と見られている。C1Aの集団が東西に移住して、1が残ったのが東アジアで、2が残ったのが欧州だと見るとすっきりする。


 後から分岐したよりも古い分岐なので分岐してたが偏った方がすっきりするかと見ている。それによくある現象だが、移住後にどちらかの父系が残る、移動するで偏るってのはよくある。アメリカ先住民がこの典型でC2がわずかに残ってるのが似てるかと。


 さてさてこれだけで追わないのが、山陰で見つかった弥生人のDNAが父系が縄文系が多かったという記事を見た人いるだろう。これ実はDは1つだけで、2つはC1A1を縄文系とみなしたからになる。本当にC1A1は縄文系なのか?である。明かな大陸系ハプロだと見方が変わってきた。


 C1A1とO1B2の分布があまり変わりない。渤海を中心とした海岸部民族。本当にC1A1は縄文系なのか?これらの根拠は日本固有から来ていたが、実際は日本のものは北ユーラシアに広がっていただろうC1A1の下位系統だったとなる。しかも問題は日本物だけなら、その系統の分岐はせいぜい新石器時代のものでしかない。となると、縄文時代に移り住んできた?となってしまう。


 新石器時代に分岐した大陸の下位系統が日本にやってきたなら、その時代は弥生時代である可能性が高い。日本から行ったものだと言うのはかなり怪しくなってる。元々私は北方ルート中心はプロとしてC1A1を考えていた。問題は生業が違いすぎる点。だがそれは解決とは言えなくても、変化したとしか言いようがない。


 他の集団にそういう事例はあるか?なら正直良く分からない。新石器ならうんざりするほどある。そもそも新石器時代がそういう時代だし、農業の開発者がそもそも狩猟採集民なので全くおかしくはない。農業前に変化したグループがいたのか?ならなんとも言えない。DNAなしに集団が変化したのを言い当てるのはむつかしい。


 変化したように見えなくても別の集団に変わってしまっていても、地域ごとの差が小さかった時代では人骨からは簡単には判断できない。生業の変化を認めてしまえば、自然とC1A1は弥生人だったかもしれないって回答が出てきてしまう。


 北方ルートと石刃石器の担い手ってのはかなり確証高いと見ても、日本人にとって弥生だったのか?縄文だったのか?はさっぱり分からない。以前日本固有であった時の古い常識がそれをもたらしていて、実際縄文人のDNAからD系以外の父系は一切見つかってない。mtDNAと核DNAから縄文人はホアビン文化集団、おそらくD系と南方中国人の混血になる。


 南方中国人ならまだ十分C1A1の可能性はある。だがその割に下位系統ばかりなのは何故なのか?渡来の時代が新しいからじゃないか?と見える。


 さて、韓国に存在したホアビン文化集団とよく似たDNAだが、釜山なのだが、ここではDNAの調査の前に縄文土器の発見や縄文文化の装飾具などが発見されている。韓国でそもそもこの地域は縄文人が移住した地域じゃないか?とすでに考古学的証拠から考えられていた。どっちかといえばDNAは裏付けのような形になったため、この集団はほぼ縄文人と見ていいだろう。


 以前から奇妙だった点でアイヌにC1A1は見つかってない点。これはO1b2も同様です。検査数が少ないのも原因ですが、たとえあったとしても倭人との混血の可能性が捨てきれません。O1B2とよく似た分布を示す点でC1A1は弥生系だったのじゃないか?と言う疑いがあります。沖縄で多く出るのもランダムな地域差の範囲です。


 後以前書いた北方ルートについてで、Q集団の歴史時代ちょい前の話がありますが、そこでQが周王朝の支配民族だったのでは?ですが、周王族のハプロN1A2でほぼ確定されたようです。Qが重要な要素を占める集団と合体したのは確かですが、周王族のハプロではないようです。周王朝で増えたのは王族ではない貴族階層の誰かにQ系の人が居たのかもしれません。


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