第四十一話 劉琨
砦に響く胡伽の音は、沈みゆく夕陽と、晋王朝を思わせるような哀切な響をもっていた。
笛を降ろした男は、夕陽を眺めて呟いた。
「王浚も討たれた。これで華北の刺史九人の内、八人までが石勒に殺されたことになる」
この男こそが、華北最後の刺史となった劉琨であった。
王浚に謀反の意思があるのは知っていたのでそこに同情の気持ちはないが、残る刺史が自分だけという事実には背筋がひやりとさせられる。
その時、背後から進み出る者があった。
劉琨の懐刀、将軍の姫澹であった。
「劉琨様。石勒の領内で、丁零族の翟鼠なる者が衆を率いて暴れているとのことです」
丁零族は蒙古高原から西比利亜まで分布した遊牧民族であるが、後にこの時代を呼ぶ名前の五胡十六国の五胡、すなわち匈奴、鮮卑、羯、氐、羌には数えられていない。
「これは天佑である。姫澹、汝に十万の軍を授ける。石勒を討て。私は広牧に屯して、汝に兵糧、鎧馬を送り援する」
「ははっ!必ずや、胡蝗の石勒めの首をあげてみせましょう」
頼もしい返事に劉琨は満足したが、彼の答えにあった蝗の言葉によって、苦い気持ちがじわりと広がった。
この年、蝗が大量に発生し、中華全土の農作物を食い荒らしていた。
またぞろ人が人を食い合うような悲惨な事態が、そこかしこで起きているに違いなかった。
しかし、自然の災いと違って、人間による災いは取り除くことが出来る。
劉琨の脳裏に、共に天下を救おうと誓い合った親友、祖逖の顔がよぎった。
「祖逖、私は共に誓いを立てておきながら、君が先鞭をつけるのではないかと密かに恐れていた。だが、どうやら鞭は私の手にあるようだ。石勒はこの私が討つ」
劉琨は決意を新たにし、十万の兵をついに発するのであった。





