第四十話 仏図澄
石勒は王浚を倒して後、新たな本拠地に移動した。
鄴の三台には石と書かれた旗がひるがえり、この街を陥落させた立役者である甥の石虎が出迎えた。
「アニキ……じゃなかった。閣下、お待ちしておりました。俺はついにやりましたよ」
石虎はこの短期間で背も伸び、立派な若武者に見える。
「そうだな。よくやった。お前は確かに“良い牛"になったよ。おっかあにも見せたかった」
良い牛ほど仔牛のときは車を壊すものだ、という独特なたとえで石虎を庇った石勒の母は、先ごろ他界していた。
石勒はテュルクの古い風習に従って母の亡骸を山に埋めた。
自然に帰って天地と同化し、子孫の行く末を見守ってくれるだろう。
石虎が指を鳴らすと麻秋が捕虜を連れてきた。
石虎は誇らしげに言う。
「本当は一万人ほどいて、これはほんの一部です。どうです、閣下。殺っちまいやしょうか」
捕虜達の後ろには戦争の爪痕が残る街の瓦礫が広がっている。
「うーん、たしかに養ってやる余裕なさそうだな。埋めちゃおうかなぁ」
捕虜達の間から絶望の悲鳴が上がる。
「喝!」
大音声が石勒の背後から浴びせられる。
振り向くと十八騎の一人、郭黒略と見覚えのない皺くちゃの老人が立っていた。
茶色い肌をしたその老人は、妙に横長の顔に巨大な目、細くて長い首、細長い手足をしていて、僧服をまとっていなければ妖怪の類にしか見えない。
「おい、黒略よ。そのジジイはなんだ」
「我が師、仏図澄にございます。西域からやってきた高僧であります。思いがけず再会しましたので、閣下にぜひともお引きあわせしようとお連れしました」
「そうかい。ジイさん、ずいぶん歳食ってるが、いくつだ」
「ファファファ、齢九十を超えてからは、忘れもうした」
仏図澄はぴょこぴょこと石勒に近づいてきた。
「無益な殺生を重ねていると、大事な者も殺めてしまうかもしれませんぞ」
「なんの話だ」
仏図澄はいきなり法衣を捲り上げて腹を出した。
石勒がギョッとしていると、仏図澄の腹から怪光が放たれ、捕虜の群れの一角を照らし出した。
照らされた捕虜の一人がばたばたと手を振っている。
「……ベイ? ……ベイではないか」
聴き覚えのある声だ。
石勒は駆け寄る。
「もしや、郭敬のオッサンか!」
捕虜の中にいたのは、石勒がまだベイと名乗っていたころの恩人である郭敬だった。
「ベイ! ベイ! 生きていたのだな」
「おかげさまで。奴隷になったときも、あんたの甥が助けてくれなかったら危なかった。今日逢えたのはお天道さんの導きだろうか」
二人は手を取り合って抱擁し、涙を浮かべさえした。
石勒は仏図澄を振り向いた。
「すごい法力だな、ジイさん……じゃなかった、ご僧。その力を我が軍のために役立ててはくれまいか」
「こんな法力など、仏の教えの要諦ではありません。だが、あなたが仏を敬い、教えを奉ずるならば、微力ながらおそば使えいたしましょう。ファッファッファッ」
石虎が目を白黒させている。
「しないんですか? 生き埋め」
「するか馬鹿! 全員赦免だ」
石勒の一声で捕虜は全員解放され、郭敬は名誉職を与えられて何不自由なく暮らせるように計らわれた。
仏図澄はこの後、時に妖魅の類のような不思議な技を披露しながら、石勒に教えを授け、彼が王道を歩む上での助けとなるのである。





