第三十三話 つまらない国
漢の皇帝となった劉聡は正月の宴を催す。
奴僕の青い衣を着たみすぼらしい男が腰を屈めて、廷臣たちに酒を注いで回る。
奴僕は、虜囚の身となった晋の皇帝、司馬熾であった。
司馬熾はあっと声を上げて体勢を崩すと、床に転び、酒をぶちまけた。
廷臣のひとり靳準が、足をかけてわざと司馬熾を転ばせたのだ。
袖で酒を拭う司馬熾の姿を見て、あれが晋の皇帝の成れの果て、無様なり、などと廷臣たちは嘲笑う。
劉聡は這いつくばる司馬熾を見下ろして言う。
「卿はどうしてこのような目に遭っていると思う?」
司馬熾は目を伏せる。
「臣の一族が、互いに争って助け合わなかったからです」
「なぜ、卿の一族は骨肉の争いを繰り返したのだ」
「これは人事によらず天意によるものでしょう。大漢は天意に応じたのであり、そのために臣の一族は互いを除いたのです。もし臣の一族が武帝の大業を継いで九族が協力し合ったならば……」
劉聡は舌打ちをする。
「朕の今日はなかった、そう言いたいのか」
瓶子を掴んだ劉聡は、残りの酒を司馬熾の頭に浴びせかける。
「陛下!」
「ああ、おいたわしや」
給仕をしていた男二人が、たまらず飛び出した。
司馬熾を助け起こし、酒宴から退がらせる。
二人は司馬熾とともに捕らえられた晋の旧臣だった。
劉聡は目をいからせて、怒鳴る。
「あの二人を処刑しろ! 今すぐにだ!」
◇
「兎が四羽、鴫が三羽、果子狸が一匹、どうだ! 凛、俺の勝ち……おおっ?」
戎装に身を包んだ女性が背中に担いでいた大きな猪をどさりとおろす。
「あたしはこれ一頭しか捕れなかったわ。負けね」
「はっはっは、いやぁ、これは俺の負けだ」
石勒は漢の将となってから、先帝である劉淵のすすめで匈奴屠各種の劉氏から妻の劉凛を迎えていた。
女性ながら武芸に秀でた劉凛は、石勒と馬が合った。
「ちょっとは気晴らしになったかしら」
「俺が気鬱なんて、そんなことあるかよ」
石勒は伸びをして草原に寝転んだ。
劉凛もまた箙を外すと、傍らに寝転ぶ。
「嘘。ここ最近、つまんなそうにしてたよ」
「………そうか」
二人の上を爽やかな風が吹き抜けていく。
「都でのことを聞いたのね。陛下は捕らえた晋の司馬熾をいたぶって、晋人を辱めている。それが気に入らない?」
「痛ぶっているのが嫌なわけじゃない。陛下は、最初は司馬熾を手厚く保護するような素振りを見せていた。それなのに、晋が新しい皇帝を立てて抵抗すると聞くや、いじめはじめただろう」
「筋が通ってない。器のちっさい男ね、あれは」
「お前、仮にも皇帝陛下だぞ」
劉凛は石勒の頬を指でつつく。
「何よ、あなたが一番尊敬してないくせに」
石勒は長いため息をついた。
「今上には先帝のような雄大な拡がりを感じられない。こんな調子で胡と漢にまたがる大帝国など築けるものか。漢は、つまらない国になった」
鷹が宙を舞い、伸びやかな声で鳴いた。
「あなたの好きなようにやればいい。あたしはついて行く」
石勒は身体を転がして、劉凛に覆いかぶさると口づけをした。
「お前のそういうところが好きだ。凛」
石勒は顔を赤らめる劉凛の帯を解き始めた。
「えっ、ちょっ、外はさすがに」
「好きなようにやれって言っただろ」
「そういう意味じゃないわよ! ……でも」
劉凛は、悪戯っぽく微笑むと石勒の股間を指ではじいた。
「もう、こんなになっちゃってるんなら、しょうがないか」
◇
山桑の居館に戻ると、もう日が暮れていた。
張賓がむすっとした顔で出迎える。
「閣下、凛さまと同行であれば危険は少ないと判断し、狩に出るのも反対いたしませんでしたが、こんなに遅くなるのでは困ります」
「ああ、すまんすまん」
劉凛は乱れた髪を不自然に抑えている。
張賓はちらと劉凛を見やると、咳払いをする。
「戎装ならば襲われても対処できますが、それも解かれて丸裸では鼠にも勝てますまい」
劉凛は顔を真っ赤にして、わなわなと震える。
「ま、まさか見てたの?!」
「見ていませんが、容易に成り立つ推察です」
劉凛は張賓の顔に平手打ちする。
すごい音が響いて、張賓はその場に崩れ落ちる。
劉凛は顔を押さえて、走って自室に戻った。
石勒は張賓を助け起こす。
「女性のことはよくわかりません」
「お前、すごいな。いや、違うか、やばいな」
「褒め言葉と受け取っておきます。ところで、閣下に取り急ぎお見せしたい物があるのです」
張賓は懐から竹簡を取り出した。
それはある人物からの書状であった。





