第三十二話 屠伯の最期
豫洲譙郡の山桑に駐屯する苟晞は、爪を噛んでいた。
石勒によって皇族のことごとくが殺されたこと、劉曜と王弥により洛陽が陥落し焼き払われたこと、これらの凶報に部下達は動揺し、離反や逃亡をする者が跡を立たない。
以前に共同で石勒を破った丁紹があっさりと病死してしまったことも動揺に拍車をかける形となった。
法を更に厳格にし、逃亡を図った者は容赦なく処刑したが、歯止めは全く効かないどころか悪化していた。
苟晞の立てる方針に公然と異論を述べる部下も増え、それらも次々と処刑する。
必要な事務を行う者も欠員ばかりになり、刺史としてまともに施政ができない状態が続いていた。
そんな折、従事中郎の明預が車に乗って居館を訪れた。
明預は病身を引きずるように苟晞の前に現れると、火のように諫言を放った。
「なぜ閻亭殿を処刑したのです! あなたは国の危難を取り除くため大方針を打ち立てて立ち上がられたと、臣は信じておりましたのに……なんの罪があって彼を殺されたのです」
苟晞は老臣の諫言に眉をひそめる。
「彼は私に逆らいました。部下の処遇に関してあなたに指図されるいわれはありません。病人は家に帰りなさい」
苟晞の圧にも明預は退かない。
「あなたが礼に則り、法に厳格であるから私も礼を尽くして仕えてきました。しかし、今のあなたは法をいたずらに厳しくして、自分のためにねじまげて人を罰する。これは桀紂の行いであって、堯舜のそれではありません。民衆があなたのことをなんと言っているか、ご存知か? 屠伯ですよ。屠殺するように敵も味方も殺す、と。今のままでは、じきに立ち行かなくなりましょう。今一度ご自身の振る舞いをよくお考えになられますよう」
明預が立ち去ってすぐに石勒軍接近の報が届いた。
「ふん。じきにも何も、もうとっくに立ち行かなくなっているのですがね」
なにもかもに倦んでいる自分にため息をつきつつ、苟晞は烏の兜を被る。
◇
連弩を構えた苟晞直属の部隊が山桑の平原で野戦の構えを見せる。
「石勒軍は軽騎兵による素早い攻撃と離脱を得意とする部隊。軽装ゆえに連弩による射撃にはもろい。奴らを針の山に変えてあげましょう」
黒衣の精鋭兵は連弩を構える。
近づいてくる騎兵の群れに狙いを定める。
「放てッ」
しかし騎兵はまったく怯まずに突き進んでくる。
孔萇率いる石勒軍の騎兵は戟を握り、鎧兜に身を固め、馬の前面にまで鎧を付けていた。
軽騎兵で王衍達を補殺したからには対策を立てられている、全く違う兵装でその対策を逆手に取る、というのが張賓の策であった。
「突騎だと? 連弩隊後退せよ。歩兵隊前進! 馬防柵を前面におけッ」
突騎は馬防柵にそのまま突っ込み、何頭かは柵と戟とに阻まれて倒れたが、ほとんどはその勢いのままに蹴散らし、その後ろに控えた歩兵隊をも蹂躙した。
勝負は呆気なくついた。
捕らえられた苟晞を見て、石勒は言った。
「お前には散々苦戦させられた。それはお前が有能だ、ということだ。お前を私の左司馬に任ずる」
苟晞は何も応えずに虚空を眺めていた。
一緒に検分にきた張賓は渋い顔をする。
「あれは、恩をかけられたからといって懐く者ではありませんよ」
果たして、その後一月も経たないうちに苟晞は石勒への反抗を企て、結局処刑されるところとなった。





