第三十話 司馬越一派の最期
劉和を倒して新たに漢の皇帝に即位した劉聡は、有力な将軍に加増したり新たに官位を加えたりして露骨に懐柔を図った。
帝位を安定させたい劉聡と勢力を伸長したい諸将との利害が一致し、多くの将軍がその懐柔策に乗った。
石勒もまた并州刺史といった官位を受け、劉聡への支持を表明する形となった。
劉聡の指令に従い各地を攻略し、数ヶ月の時が過ぎた。
「さて、許昌まで落としたわけだが、このあとはどうすっかな」
石勒は長い欠伸をした。
石勒軍は南陽を攻略した後、後漢の献帝の時代には都が一時置かれていた魏郡の許昌を陥落させ、駐屯している。
参謀の張賓が耳打ちする。
「皇帝陛下もまだ知らない、耳寄りな情報を入手しました。東海王の司馬越が死んだ、とのこと。晋軍には動揺が走っています」
「なぬ?」
後に「八王の乱」と称される晋王朝内部の泥沼の権力闘争は東海王司馬越の勝利に終わった。
しかし、政争の過程で皇帝として担ぎ上げられた司馬熾は、自身の親族を容赦なく殺害する司馬越に対して反感を募らせ、司馬越追討の命をくだした。
司馬越は怒りのあまり卒倒し、そのまま帰らぬ人となったのである。
「今、晋朝首脳部ともいえる面々が葬列を組んで棺を運んでいます。これを狙わない手はありません」
◇
晋の太尉、別の時代では大司馬とも呼ばれる総司令官の職にある王衍は葬列を率いながら愚痴ばかりこぼしていた。
「わしには宮仕など向いとらんのだ。それをちょっぴり名門じゃからといって、どんどん昇進させて、果ては太尉じゃと? いくら司馬越様の遺言じゃからって、こんな大軍、わしの手にあまるわい。はよ、誰ぞ代わってくれんかのう」
こんな呑気な愚痴をこぼしていられるのも、賊軍がここからかなり離れた許昌にいるからである。
「太尉閣下! 敵影です」
「ほっほっほ、何を馬鹿なことを。敵は許昌に……」
王衍の目にも土埃の中から近づいてくる騎影が見えた。
「閣下、いかがなされます! 閣下!」
「はわわわわ、お助けぇ!」
右往左往する晋軍に容赦なく矢の雨が降り注ぐ。
攻撃をしかけているのは太っちょの孔豚こと孔萇将軍率いる軽騎兵だけの軍であった。
張賓から長駆して司馬越の葬列を襲撃する案を聞かされた孔萇は、騎兵の鎧兜を全て外させ弓矢だけを持たせることにした。
それ故、驚異的な速度で司馬越の葬列に追いついたのである。
「まともに迎撃されたらひとたまりもなかったのだがな。賭けが当たったな。散開!」
石勒十八騎に率いられた各隊はすっぽりと葬列を囲み、矢弾が尽きるまで撃ち続けた。
◇
晋軍十万が壊滅し、王衍をはじめとする高官のほかにも、襄陽王司馬範、任城王司馬済、西河王司馬喜といった多数の皇族が石勒軍の捕虜となった。
石勒は司馬越の棺を晋軍の死体の山の上に運ばせる。
「天下を乱したのはこの男だ。天下のために報いを与え、その骨を焼いて天地に告げよ」
石勒の合図で火が放たれる。
晋軍のうず高く積まれた屍の山から黒い煙が空に立ち昇る。
その様は凶暴な黒龍が現世に顕現したかのようだった。
石勒が後ろ手に縛られた捕虜達を検分していると這うようにして王衍が出てきた。
「わしはもともと太尉などにはなりとうなかったのだ。手向かいした者がいたかも知らんが、わしゃそんな命令はしとらん。わしのあずかり知らぬことじゃ、じゃから」
「じゃから?」
王衍は目に涙を溜めて、訴えた。
「みのがしてくれぇ」
石勒は王衍の襟首を掴む。
「あんたは仮にも総司令官だろうが! 天下の名流に生まれて、そんな要職についていて、あずかりしらぬことがあるかッ! 晋の天下がめちゃくちゃになったのは、あんたみたいなやつがいたからだろうよ!」
「いやじゃああ、死にとうない、死にとうない、見逃してくれぇ!」
その涙声はもはや哀切を通り越して、悲惨な響きであった。
王衍がのたうち回る様を見て、他の高官や皇族にも恐怖が波及した。
人々は号泣したり命乞いをしたりしはじめた。
その中に一人、襄陽王の司馬範だけが泰然として目を瞑って座しており、落ち着いた声で言った。
「お静かに。見苦しい」
捕虜となった人々は、ぴたりと騒ぐのをやめた。
石勒は孔萇に言った。
「あれは立派な男だ。白刃を加えずに殺してやれ」
「御意」
この日、晋軍の主力とともに首脳部であった司馬越一派は消滅し、晋は全く統制を失ってしまった。





