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石勒〜奴隷から始まる英雄伝説〜  作者: 称好軒梅庵
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第十三話 成都王司馬穎の最期

 終わった、何もかもが。

(ぎょう)の一角に捕らえられている司馬穎(しばえい)は、密使から自室に投げ入れられた竹簡を読み、深い溜息をついた。

黄河を渡ろうとした公師藩(こうしはん)軍は水際障害に阻まれ、混乱の最中に苟晞(こうき)軍の襲撃を受けてほぼ全滅した。

苟晞は公師藩の首を搔いて凱旋したという。

これで、いよいよこの幽閉生活から自分を助け出す者はいなくなってしまった。

幽閉を進言した司馬虓(しばこう)は今のところ危害を加えてくる気配はない。

出られないとなると、ここで一生を終えるのか。

ここで朽ち果てていく自分を考えるとぞっとする。

その時、戸を叩く者があった。


「司馬虓様からの命を受け、皇帝陛下の(みことのり)を持ってまいりました」


竹簡を懐に隠し、今度は使者から渡された詔を読む。


「これは……な、何かの間違いではないのか」


「私は中身を知らされていません。お答えしかねます」


慇懃無礼に返す使者を前に、司馬穎は膝から崩れ落ちた。

簡潔な詔の文中に、“賜死(しし)”の二文字が踊っていた。


 司馬穎が死刑となるその日はすぐにやってきた。

この館の守衛をしている壮年の男が首を絞めて殺すのだという。

その守衛は朝から部屋の中にいる。

いやが応にも死を意識させられる。

司馬穎は事態が急変した事にある疑いを抱いていた。

これは宮中に別の変事が起きて、自分の存在が邪魔になった何者かが企んだことではないのか。

司馬穎は思わず衛士に尋ねた。


「司馬虓が死んだんじゃないのか?なあ、そうだろう」


衛士は驚いた顔をして、口をもぐもぐさせた後答えた。


「し、知りません」


当たりだ。

しかし、当たったからと言ってもうどうにもならない。

司馬穎は衛士の顔をぼうっと眺めた。

今まで路傍の石ころほども気にかけていなかったこの冴えない男が、自分を殺すことになるのか。

司馬穎の中でこの男に対する興味がわずかに湧いた。


「なあ、きみ。歳は?」


「五十です」


「天命を知っているかね」


衛士は論語を読んだことがないと見えて、ぽかんとした顔で答えた。


「知りません」


「私が死んだ後、天下に平穏は訪れるだろうか」


衛士は黙然として答えなかった。

司馬穎は司馬越(しばえつ)司馬騰(しばとう)の兄弟の憎たらしい顔を思い浮かべた。

驕慢で利己的な司馬越、酷薄で残忍な司馬騰。

どちらも天下の器ではないだろう。

そして、自分も。

権力を手にした後は不思議なくらい抑えが効かなくなった。

後先考えずに取り巻きに金をばらまき、無意味な贅沢をし、好き嫌いで政治を差配した。

こんな事をしていてはまずいと思いつつも、快感を優先してしまった。

抑制の効かなさは、先に死んでいった諸王にも共通する特徴だ。

これは、我が一族の抱える業なのかもしれない。

忍耐強かったのは高祖たる司馬懿(しばい)のみ。

その高祖ですら、衝動的な大虐殺でその業績に汚点を残している。

司馬氏が、あるいは天下の器ではなかったのか。

それを口に出すことははばかられた。

司馬穎は唸りながら頭を掻きむしった。

ふけが雪のように舞った。


「追放されてからというもの、この三年間に一度も洗沐(せんもく)をさせてもらえなかった。せめて、最期に湯を持ってきてくれ」


程なくして数斗の湯を入れた桶と垢擦りや拭き取りのための布が運ばれてきた。

桶を運んできた人足に尋ねると、穎の幼い息子二人のところにも同様の処置をするよう言われているとのことだった。

穎は首から提げていた玉玦(ぎょくけつ)を引きちぎると、人足に押し付けていった。


「売ればお前などが一生かかっても稼げないほどの金になる……息子達に湯をやるときに、二人を逃がしてはくれまいか」


人足は曖昧な表情を浮かべて、返事をせずに部屋から出ていった。


司馬穎は特に首を念入りに洗うと、髪をほどき、頭を東に向けて寝台に横たわった。

衛士が絹の布を両手にぴんと伸ばして近づいてきた。


光熙(こうき)元年(後306年)十月、司馬穎は縊り殺された。

(よわい)は二十八であった。

二人の息子も運命を共にした。

多くの人は自業自得だとその最期を嘲ったが、鄴城で恩を施された者は悲しんだ。

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