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石勒〜奴隷から始まる英雄伝説〜  作者: 称好軒梅庵
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第一話 奴隷のベイ

挿絵(By みてみん)


永康元年(えいこうがんねん)、西暦では紀元後三百年頃。

中華の歴史上、西晋(せいしん)と呼ばれる王朝が天下を治めていた時代のことである。

中国東部、地方の雪原に薄汚れた人の群れがあった。

頸枷(くびかせ)手械(てかせ)をはめられ襤褸(ぼろ)を身に纏った人々が、兵士達に小突かれながら、列をなして雪の降りしきる原野を歩いていく。

その目は虚ろで一様に光がない。

ただ一人を除いては。


「また、角笛の音。誰だ、俺を呼ぶのは……」


動乱の三国時代を制したのは魏でも呉でも蜀でもなく、魏を乗っ取った司馬氏の(しん)であった。

しかし、その天下は統一から数十年で早くも揺らぎ始めていた。

武帝(ぶてい)司馬炎(しばえん)の後継者争いに端を発した皇族同士の血で血を洗う内乱、後に“八王の乱”と呼ばれる大乱が中原を覆った。

簒奪を避けるための一族偏重の政策が一族同士の争いという皮肉な結果を生んだのは、創業者である司馬懿(しばい)の残忍な所業から巡った因果であろうか。

相次ぐ戦乱に追い打ちをかけるかのように、ここ山東(さんとう)の地に飢饉が襲いかかった。


やがて日が落ち、幽鬼のような一行は雪原にへたりこんだ。

兵士達はいそいそと野営の準備をはじめた。士官の陣では、火が炊かれ、酒盞が運び込まれた。


「食いっぱぐれて彷徨っている胡人(こじん)どもを捕まえて売り飛ばす。まったく、ボロい商売だぜ」


顔に痣のある士官が、酒をあおる。


「おいおい、俺たちは仮にも皇族の命令で動いているんだ。あがりを幾らかもらうと言っても、商売というのは言い過ぎだぜ」


眉に傷のある別の士官が、切れた眉をひそめて返す。

男達は并州(へいしゅう)刺史(しし)司馬騰(しばとう)配下の将軍であった。痣のあるのが張隆(ちょうりゅう)、眉が切れているのが田甄(でんしん)という名である。

司馬騰は王ではないものの、朝廷の専断者がころころ変わる現状を見て野心を燃やし、雄飛に備えて財や兵馬を蓄えようと考えた。

そこで思いついたのが、飢饉で跳散した胡人達を勝手に居留地を離れた罪人として捕まえ、奴隷として売り飛ばすという策であった。司馬騰は乞活(きつかつ)と号する私兵に命じて奴隷狩りを行い、山東を彷徨っていた胡人達は為す術もなく捕らえられた。


「へへへ、司馬騰様は話のわかるお人だ。そんな事気にしやしねえさ。さて、今日はどれにしようかな」


張隆は盃をおくと、背後に目をやった。

手械を嵌められた若い胡人の女性が3人、床に座り込んでいる。

その煤けた顔には涙の跡があった。

張隆は奴隷の列から目についた若い女を連れてきて、慰み者にしているのだ。

田甄はため息をついた。


「趣味の悪いやつだ。抵抗できない女をものにして、何が楽しい」


「そこがいいんじゃねえ……」


張隆がそう言いかけたとき、悲鳴や激しい物音が聞こえた。



 「クソったれめ!お楽しみの邪魔をするやつは誰だ?」


張隆は松明と革の鞭を手に、騒ぎの中心に向かった。

現場につくと、四十がらみの男が身体はうつ伏せ、顔は仰向けで倒れている。つまり、首が百八十度回転していた。

すぐ隣にこの殺しの下手人が立っていた。

松明に照らされた、黒い襤褸(ぼろ)を身に纏ったその若い男は、鼻が高く、目は深目で、青みがかった灰色の瞳をしていた。髪は黒く、長い後ろ髪は魚龍の登る様を思わせた。背は高く、服の上からでも分かるほど筋骨隆々だが、太くはなく、その姿は敏捷な肉食動物を思わせた。

手械をはめられている。

太腿に血がついているところを見ると、蟹挟みかなにかでこの殺しをやってのけたらしい。

張隆は松明を部下に持たせると、大男をののしった。


「おい、クソ野郎。商品どうしで殺しあって、勝手に減らしてんじゃねえよ」


若い男は黙っている。


「……そのとんがった鼻、てめえは、(けつ)族か。蛮族には、漢人様の言葉はわからねぇか」


羯というのは、匈奴(きょうど)でも鮮卑(せんぴ)でもない来歴不明の西方から来た諸部族の総称であり、「羊を去勢する人々」を暗喩する蔑称でもあった。


「羯族?なんだそりゃ?俺はチュルクのベイだ」


若い男はぶっきらぼうに答えた。

張隆は声を荒げる。


「あぁ?奴隷に名前なんかいらねぇ。なんで殺したかを聞いてるんだ、こっちは」


若い男は静かに続ける。


「角笛の音がする方に来たら、こいつが女子供の食料をかすめていた。やめろと言ったがやめなかったので殺した」


張隆はいよいよ苛立ちを隠せない。


「角笛だぁ?わけわからんこと言いやがって。奴隷ごときが勝手なことしてんじゃねぇよ」


張隆は鞭でその若い男の胸を叩いた。

服が破れ傷口から血が吹き出したが、男は微動だにしない。張隆は何度も鞭を振るった。

その間、男はずっと瞬きもせずに張隆を見つめていた。

息切れした張隆が鞭をおろすと、男は白い歯を見せて笑いながら言った。


「その顔、おぼえたぜ」


ベイの顔は確かに笑っていた。しかし、その目は、その瞳は、全く笑っていないのであった。

張隆は一瞬怯んだが、唸り声を上げてベイと名乗るその男に蹴りを放った。

しかし、ベイはびくともせず、張隆が逆にベイの筋肉に弾かれるように、後ろに倒れ込む事となった。周囲から失笑が漏れた。


「殺す、殺してやる」


剣を抜こうとする張隆を押し止める兵長がいた。


「張隆様、これ程の頑健な男なら、高く売れるのではありませんか。それに、これ以上商品が減ったら刺史のカンにさわるかもしれませんよ」


彼らの上司である司馬騰(しばとう)は一度見限った者には徹底して冷酷な男であった。奴隷の人数は一度報告してしまっている。ところが、道中の残酷な扱いで、何人もの奴隷が死んでしまっていた。これ以上死ねば追求されるかもしれない。

剣を納めた張隆はベイにつばを吐きかけると戻っていった。

張隆を押し止めた兵長がベイに駆け寄った。

ベイは朗らかに言った。


「なんで助けてくれたかわかんないけど!あんがとさん!」


兵長は手ぬぐいでベイの血を拭いてやりながら返す。


「俺は郭敬(かくけい)様の縁者、郭時(かくじ)だ。奴隷の中にいるベイという奴が死にそうになったら、助けてやれと言われている」


「郭敬のオッサンかぁ!オッサンにこの恩は返すよって伝えてくれな!」


一度奴隷に身を落としたら恩返しなど不可能だ、と郭時は思ったが、しかし、このベイという男は本気であるらしい。

よくわからぬ異民族の若造を助けるように郭陽から懇願されたときは、大叔父もついにヤキがまわったのかと訝しんだ。

だが、ベイの白く光る歯を見ていると、大叔父が彼を助けようとした理由が何となくわかるような、そんな不思議な気もしてくるのであった。


中国の歴史においてただ一人、奴隷から皇帝に成り上がった男、石勒(せきろく)

これは、その男の生涯を描いた物語である。

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― 新着の感想 ―
[一言] この頃のテュルク諸語ではベイじゃなくてベグじゃなかったっけ(重箱の隅) いや確証がないわ 断言すんのやめとくわ
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