#4 終焉の笛
暫く進むと、また階段がある。この階段はいくつあるのであろうか?
まず、ロキの居た場所から考えると、地上から天空へ向けられて上ってきた回数は?
そう、これで三個目。
オーディンの場所まで後どのくらいあるというのだろう? 私は途方もない気分になる。だけど、それが当たり前なのだろう。だって、主神オーディンに会いに行くのであるのだから……判っているのに不安が有るのは、多分、まだティナとしての自己が強いからなのかも。
確かにスクルドである私の記憶もあるよ。でも、それより、ティナの方が強い。だから、あの時トロルド達にとどめをさせなかった。それが命取りにならないだろうか? 心配だけど、でも、私は今、このラースと共に居る。だからまだ何とか保っているのかも知れない。
「あ〜ら。黄昏の女神様。何て顔してるんですの。もう怖くなりまして?」
なんて、エアリーが茶化してくる。それを私は苦笑いしながらコツンとエアリーの小さな額を指でこついた。
「いたっ!」
「そんな事ないわよ?」
そう、大丈夫。私は私の信念を……そう、ラグナロクのために、頑張らないといけないんだよね? うん。判ってる。だから、踏ん張ってラースの後に続き、階段を上った。
上った先にはやはり同じ暗闇。そして緊張感溢れる張り詰めた空気。もう、慣れてしまったけど、違和感がないとは言えない。
そして、一歩前に前進した時、ホルンの鳴る音が微かに聴こえて来た。それがだんだんと大きくなる。いつの間にか、耳を押さえないといけなくなるくらいに……
「あれは、ヘイムダルの、終焉を告げる角笛……何てことだ」
ラースは呟く様に言葉を発した。だけど私にはこれが何を意味するのか判っていなかった。
「何?これが何なの?ラース」
「終焉……ラグナロクが滅ぶという時に吹かれる角笛なのです。ティナ。これが鳴るという事は、ヴァルハラ総動員して戦闘を開始するという合図」
私は、鳴り響く角笛の音の中必死でその説明を聴いた。そして、絶句した。何を如何すれば良いのであろうか? 考えても今の私にできる事などない。
そんな絶望的な中、視界が変わった。暗闇のこのヴァルハラの上空が、オーロラの光で辺り一面を埋め尽くしている。そして、そのオーロラの中から、神が私達の前に舞い下りてきたのである。
「ラース皇子よ」
舞い降りてきたのは、テュール神であった。
元は、オーディンと同じ主神格とも言われるほどの神。天空の神と称されてる。確か、フェンリルという獣に片腕を食いちぎられ、今はその片腕がない。それでも、やはり神としての存在は微動だにしていない。
「テュール神。此処まで出迎えてくださったという事は、ラグナロクを守るための算段を整えてくださるという事と取って良いのでしょうか?」
ラースは、ここ一番重要とされる事を率直に問いかけた。
「ラグナロクの為に、スルト神の暴挙を止める為にもオーディンは、私達神を遣わされました。勿論、此処まで放置していたのは、愚行だったと思われます。しかし、オーディンは、指示を出さなかった。それが何を示すのか、それは今の自分には計り知れません。とにかく、最上階までいらしてください。時間は、ヴェザンディ様が暫く止めてくださってます」
テュールは、取り急いでその旨を伝えると、七階まで有るその階段を上るように私達に言った。
階段を上る際、私は、ヴェルザンディお姉様が、時を操り、そして、ラグナロクを守ってくださっていると判って、ホッとした。いや、ホッとしたのは私だけではないはず。きっとラースも同じ気持ちであろう。
そんな気持ちを抱きつつ私達は、急いでその階段を上り、オーディンのいらっしゃるその階までたどり着いたのである。
最上階は、真っ白な館が建っている。その中は広間となっており、そして、今までの暗闇が嘘のように、天井は晴れ渡った空で覆われていた。その広間の奥。ベッドではよくある天蓋つきの椅子に、オーディンは座っていらっしゃった。
「ラース皇子よ。いや、トール神。役目ご苦労」
オーディンは、ゆったりと腰を落ち着けてそう言った。でも、ラースの事を、トール神と言ったその言葉に、私は驚きを隠せなかった。
ラースは、ラグナロクという国の皇子ではなかったの? 神様の一人……だったなんて。でも、自分の過去を探ってみても、ラースの記憶はない。ロキの事は今では判っているのに……その親友であったというラースの記憶がないなんて、どうしてなの?
私は、ラグナロクの危機だというのに、そっちの方に頭の中は駆け巡る。だけど、オーディンとラースの会話はそのまま続けられた。
「いえ、我が意志は、ラグナロクのためだけにあります。主、オーディンよ。そして、未来の女神スクルド様を連れて参りました。これで、スルト神との戦は万全です。但し、ジグルズ様を失ったのは痛手。控えはいらっしゃいますでしょうか?」
ラースはスラスラとオーディンに問いかけている。それはまるで、主神オーディンと何か言い交わした約束でもあるかのように感じられた。
「ジグルズに関しては、処置をしておる。転生しても、ジグルズの次の候補は決まっておるからな。ジグルズよ。此処に参れ」
オーディンの背後から、ジグルズと呼んだその者が出てくる。髪と肌の色は異なるが、確かに、ジグルズである。私は、この現象を凄いと思った。
もしかしたら、私の候補者であった、黄昏の女神様も、実際こんな感じで紹介されたのであろうか? これも、主神オーディンのなせる技?
だけど疑問が残る。宿命は変わらないけど、このジグルズの心はあのジグルズと同じ物なのであろうか? 私のように、記憶や気持ちはそのままなの?
だんだんと、この転生や、候補者の位置づけが判らなくなる。それでも、私達はラグナロクのために、戦わなければならない。この元凶、スルト神を倒すためにも……
「お〜い。ラース皇子〜」
と、ジグルズの紹介が終わった時、ロキがこのオーディンの広間にやってきた。ロキとしては、ラースの事を親友と呼んでいるだけあって、話し方も軽い。あのヴァルハラの地上での戦いも嘘のように肩を抱き合っている。
「ロキ、オーディンの意向だ、戦が始まる。お前も手伝ってくれ」
そう問いかけるラースに、
「勿論さ。指示が出たら後はラグナロクのためにも、俺達のためにも、主、オーディンの為にも喜んで戦うぜ!」
何たる気楽さ。でも、彼の持っている気楽さは、和ませてくれる。この後の悲惨な世界を感じさせない。ラースの堅実さ、ロキの奔放さ。これで成り立つ親友の絆。だからこそ、私は微笑ましくも感じられた。
そんな中、他の神々もこの場所に集まった。
何処からこんな風に集えるのか?全ては、ヘイムダルの、終焉を告げる角笛によるものだと知るのは、そう時間は掛からなかった。
「我が、アース親族の子らよ、我に続け!」
オーディンの掛け声に、皆は自らの武器を天へ向けて突き上げた。私もそれに習う。がしかし、その私の傍にテュールがやってきたのである。
「スクルド様は、こちらへ……」
「え?」
そうテュールは、私には違う仕事があるとでも言いたげに、手をこちらへと差し伸べた。
それは、オーディンの椅子の後ろ。
私は、ラースを振り返った。しかし、ラースは、コクンと頷き「そうするのが、ティナ、貴方の役目です」と目配せした。エアリーも頑張ってねと言っているかのよう。そして、神々はオーディンの部屋を出て行ったのである。
私は、テュールの後に続き、その椅子の後ろに向かった。そこには、下へと向かう階段があった。テュールは、「この階段を一人で下りてください」と指図する。下は、闇のように暗く、私は一瞬しり込みしそうになった。だけど、これが私の使命ならば、行かなければならない。ラースもエアリーも一緒ではない、私たった一人で……
そう心に誓い、私は、階段を下りる。すると、その階段の入り口をテュールがパタンと閉じた。これで本当に一人。一瞬ゾクッとしたけれど、駄目。逃げちゃ……
そう思った瞬間、ポッと辺りが仄明るくなり風景が私の目に映りこんできたのであった。まるで水族館のようだった。蒼白い光がゆらゆら。左右がガラス張りで、その向こうに、水がゆらゆら。そしてその水の中に、今のラグナロクの光景が再現されていた。
スルト神の放った炎は、もうラグナロクの国境近くまで来ている。そして、スルト神の支配する配下達の、ムスッペル達が、辺りに火をばら撒き続ける。彼らが通る場所は火の道となっていた。
そんな中、ヴァルハラから旅立っていったオーディンを始めとする神々が、そのムスッペル達と対峙し、そして戦っていた。
私は、ドキドキしながらジッとその光景を眺めていた。ラースは何処に居るの?何てその姿を追ってみる。だけど、突如、階段の下から聴こえて来る声に気が付きハッとそちらに視線を動かした。
「スクルド、貴女の役目を果たしなさい。今を変えられるのは、貴女しかいないのよ!」
その声が、ヴェルザンディお姉様の物と判り、
「ヴェルザンディお姉様。私は何をすれば良いの? 判らない。教えて!」
思わず、声を張り上げてしまっていた。
「取り敢えず、私のところまでいらっしゃい。私が編んでいる、現在の糸を貴女が補正するの。それが、今貴女がすべき事の一つ」
私はその言葉に、「はい」と答えて必死で階段を駆け下りて行った。
周りのガラスの向こうの光景。それは、激しい戦闘。今、ロキがスムッペルの一人にグングニルを投げつけた。それを避けるスムッペルは次に戻ってくるグングニルで倒れた。
私は何とかなっているその戦況を横目に駆け下りて行ったのである。
「お久しぶりね、スクルド。再会の挨拶をしたいのは山々だけど、今はこの糸の状態を何とかしたいの。手伝ってくださる?」
ヴェルザンディお姉様は、真っ白な何もない空間で糸を紡いでいた。それは、現在という紬糸。ささくれ立ち、そして、こんがらがったその糸を必死で直そうとしているようだった。だけど、今のお姉様は目が不自由で、ハッキリとその糸が見えてはいなかった。
だから私がその糸を修正しなければならない。真っ直ぐに、そして、綺麗に編む。
だけど、編み方なんて教わった事などない。だから、お姉さまの助言でその糸を上手く修正するにとどまる。
ささくれ立った糸を、私の手で修正。黒ずみ、ほつれた糸は、私の手の中で透明な綺麗な糸に変わる。それを根気良くそして、丁寧に修正しながら、補正した。そして、編まなければならない。編み方は、独特の方法で、ヴェルザンディお姉さまは一つ一つ丁寧に「こうするのよ」と教えてくれた。その糸の形を見る。それは魔法文字ルーンだった。私は今このルーン文字を目で辿る。その文字の通り網目が間違っていないか? それを一つ一つ。
だけど、どうしても一目だけ上手く行かない。それを解き、そして、もう一度。けれどそれも間違い。何度も何度も同じ目を何度も編む。しかし、網目はそこの部分だけ修正できない。
「ヴェルザンディお姉様……駄目。ここの目だけどうしても修正できない。どうして?私、頑張っているのよ? それなのに……」
そう、自分は間違って編んでなどいない。しかし、網目はそこだけ違った形を取る。
すると、お姉様は静かに、
「……スクルド。ここより下の階層に行って、ウルズお姉さまに、修正の効く過去の網棒を貰ってきて下さる? これは、過去の過ち。それを修正させるには、ウルズお姉さまの編み棒が必要。でも、今頃お姉さまも過去の糸を紡いでらっしゃるわ。先にそちらを手伝って戻っていらっしゃい。待ってるわね」
そう言うと、少し淋しそうににこっと笑った。
私は、その笑みの意味を理解できなかったが、直ぐ後、フッと私の座ってる床が消えた。その為私は、下へと落ちていった。
下層部まで一直線。私は、その空間を落ちてゆく。落ちていく中、あの階段と同じように、ガラス張りの水中の中今のラグナロクの戦闘を目の当たりにした。
戦況は変わってはいなさそう。でも、何だか押され気味のように感じた。炎は瞬く間に広がっていく。
「あ、ラース!」
私は、その中にラースの姿を目撃した。それは、ミョルニルを駆使した戦い。でも、押されている。あのラースが、ジグルズの時よりも苦戦しているように見受けられた。間合いも上手く取れず、気力も低下しつつある。
そんな時、ラースの後ろに一人のワルキューレがペガサスに乗り飛んできた。
「あれは、誰?」
私は此処にいる。でも、私に似ている。そう、赤毛のこの髪の毛が銀髪であるという違いだけで、容姿は、私と瓜二つ。そのワルキューレは、ラースの背中を守っている。付かず離れず、上手いコンビネーションで、スムンペル達を打ち倒す。
私はホッとしてその光景を見ていた。ラースは無事。あのワルキューレが誰だか判らなくてちょっと気になったけどそれでも無事を確認できただけ良かった。そう、その時はそう思った。
「いたっ!」
思った瞬間、私は下層部にお尻から落ちた。
「その声は、スクルド!ちょっと、早く来なさいよ。全く〜遅いんだから!」
ウルズお姉様のいつもの我が侭振りを思い出してそれがとても可笑しかった。
「ごめんなさい。ウルズお姉様。今、糸紡ぎはどんな感じです?」
と、ウルズお姉様の手元を見る。その手元は、ルーン文字を紡ぐ為に必死の様子。
「ここの一文字が編めなくてね。スクルド、何とかしてくんない?」
と、私に一任しようとした。
「ちょっと、お姉様……私だって判りませんわ?それを……」
私は、苦笑いした。しかし返ってきた言葉は、
「このルーン文字を完成させるのはあたしの仕事だった。でも、それを狂わせたのは、貴女なの。スクルド……貴女が、この文字を完成させないと、もう、過去は変えられない……」
勝気なお姉様の瞳が、意味ありげに私を射抜く。まるで、こうなった元凶は、私にあるかの如く。
「な……何です? 私が、この糸紬の……過去のルーン文字を狂わせたのですか? そんなはずは……」
私は、そんな記憶などない。それは、私が記憶を全て取り戻していないから? まだ知らない過去……それに何か意味があると言うの?
「スクルド……想い出して。貴女は、どうして転生したの? 私達姉妹。そして、ラース皇子。いえ、トール神の事を想い出すのよ。それを想いださない限り、過去を変える事なんて出来ないのよ!」
ウルズお姉様は、厳しい目で私を見つめた。
それは、脅迫のようにも感じられる。私は、怖くなった。ウルズお姉様の言うように、きっと想い出したら、全ての過去が上手く循環する。しかし、私のその過去は、何だか想い出すべきではないような気がする。
危険信号が点滅する。脳内で……
「ほら、見えて来るわよ。スクルド、貴女の過去が。ほら、ほら……」
それは呪文の様……まるで催眠術でも掛けられたかのように、私の脳裏を波ガラスは覆う。それは、ドンドンと大きく揺れた。そして、私は、過去へと旅立った。