#1 扉
黄昏時、私の部屋の片隅に現れる扉。枠が金糸で縫い装飾され、ドアの表面の部分は、樫の木で組み合わさっている。何とも重そうな扉。そしてその扉は、私が、物心が付いた時からその場所に、見えていた。
だけど、それは私以外には誰にも見えちゃいない。
小さい頃、一度お母さんに問いかけたことがある。
「お母さん。あの扉はなあに?」
と。だけど返ってくる答えは、
「扉?何処に……? あらあら、ティナちゃんはもうおねむなのかな〜?」
だった。だから、お母さんには見えていないことが判った。「でもっ」て反論しようと思っても、お母さんは、「よしよし、良い子だがらベッドで寝ましょうね」だからそれが変なことなんだと、もう追求することは出来なくなった。
それから、時は流れ、ジュニアハイスクールに通いだした私がこの部屋にやはり黄昏時に遊びに連れてくる友達も、その存在には気づきはしなかった。
私は時々、そんな友人の前で、その扉へ視線を不自然にチロリチロリと走らせるのだけど、気づかない。そう、ただ、
「どうかしたの? 何かあるの?」
気にはなるんだろう。訊いて来る。
「ねえ、この部屋に扉はいくつあるかしら?窓じゃなくてよ?」
だから、そんな問いかけをしてみる。
「扉って、一つしかないじゃない」
と、一度部屋をくるりと見渡して、結局はこの部屋に入ってきたその扉を見る。やっぱり、私にしか見えてはいないみたい。
「そうね。じゃあ、続きしようか」
と、透明ガラスの小さな机で引き続きトランプをした。
見えてはいけないものなのかしら?そうなのかしら?私にだけ見えるなんて。と、その扉に何度も触れようとしたけれど、それには実体がない。扉のノブに手をかけても素通りするだけ。ただ私には見えるだけ。この扉は一体何なの?それにこの扉の向こうには何があるというのかしら。その疑問を抱えていることが、昨日までの私の毎日だった。そう、ほんのつい昨日までの……
今日は私の十八歳の誕生日。それは特別な日。今まで色々お世話になったみんなとの楽しい一時の団欒でもある。お母さんやお父さん。そして、友達。今夜は私を祝うためのささやかだけど、華やかな一日。
私は、一人自室で、今日の夜からのパーティーの準備をしている。ドレスをどれにしようか?スタンダードに花柄のフワフワドレスも可愛いのだけど、以前お母さんに贈り物をしてもらった大人っぽく少し体の線が判るフィットしたドレスも捨てがたい。何て考えながら、ほんの少し化粧をし、長い猫っ毛の赤毛気味の髪を結い上げて、ドレッサーの前に座っている。
そんな時、鏡に映っている、あの、私にしか見えない扉が、微かに重い音を立ててギギギーっと開いた。隙間から七色の光が溢れ出してくる。私は、直ぐ様振り返り、ガタッと椅子から立ち上がった。今身につけている、真っ白なフワフワドレスが揺れた。
光の隙間から、人の手のような影が見えた。それは、女性の手には見えない。男性の物?手首に何かキラキラ光るブレスレットを身につけている様に見えた。そして、その人物は思いっきり力を入れたのであろう、扉はバーンと開かれたのである。いや、その人物が倒れこんだのだ。
「え、何……?」
私は、その扉が開き切った瞬間私の部屋の絨毯に倒れこんだ人物をこの眼で見て、一歩退いた。ドレッサーがガタンと音を立てる。
そこには、まるで春の優しい新緑の芽のような緑の髪を、後ろで一つに束ねたその人物が横たわっている。キャー何て叫びたい気持ちもするけれど、それは出来なかった。多分この出来事に逆に驚きすぎたのだろう。よくよく見るとその人物は、肩に怪我をしているらしく、ピクッとも動かない。
私は、オロオロするしか出来なかった。だって、ハイスクールまで男性と言う者と干渉を持ったことが父と先生以外無かったのだから。いや、男の子と遊んだ事はあったかな?たった一度だけだけど。かなり幼い時に。
そんな時、その男性の胸元から小さな妖精がモゾモゾと這い出てきた。胸元と、手首、足首に小さなファーが着いていて、羽根は筋が見えるくらい透明。光る粉をパタパタするたびに辺りに振りまいている。そんな妖精が、私に気づき目線まで飛んできてこう言った。
「貴方が、黄昏の女神ね。ラース皇子を助けて!」
私は、唯でさえ傷つき倒れている男性に怖いと思っているし、妖精なんて見てしまった。喋るしその上女神とか言われ助けてなんて。そんなことどうすれば良いのよ!
そう、頭は混乱の渦。クラクラと眩暈までしてきた。目の前にお星様が……
「ほら、伝説の女神様なら、手を差し伸べれば、傷が塞がるわ!」
そう言って、小さな妖精は、私の指を取り、こっち来てと煽る。
私は、その言葉を何処まで信じれば良いの? 何てことを考えるが、このままの状態にしておく訳にもいかないよね。
元々見えるはずの無いものが見えていた私。普通と何処か違うのかもしれない。そう、それはこの扉が見えていたことからそうだった。なら、もしかしたら私には一般人とは違う何か別の物が備わっているのかな?
そう考えると、やってみても良いのかもと思えてくるから不思議。私って自分で思っているより好奇心や妄想癖があるのかしら。なんて、ドキドキしながらその人物の傍まで行き、そっと手を翳した。妖精がこうするの!って手を翳すように前に伸ばす。どうやら、差し伸べるとはそういうことらしいから。
するとどうだろう? 私の掌から、オレンジ色の光がその人物に注がれた。
「えっ? えーっ?」
私は、驚きの余り、小さく細切れに奇声を上げてしまった。
その光が、その人物を包み込む。それから光は拡散し、扉の向こうの光と融合して、見る見るその人物の肩の傷が癒えていく。すると、その人物は、意識が戻ったのだろう、少し低い声で呻き声を上げた。
そして、グッと力を入れるかのように、肘で体を起こす。その時初めてその人物と目が合った。何て綺麗なラベンダー色の瞳。そして切れ長の目尻がとてもクールそうで、一瞬凍りつきそうだったけど、その瞳を瞼でゆっくり覆い、フッと微笑んだ。それはまるで、私に好意を持っているが如く感じられた。
「だ、大丈夫。なの……かな……」
私は、オドオドと手を口に当てながら問いかけた。
すると、その人物は、スクッと、何事も無かったかのように立ち上がり、そして、私の前に片膝を着き跪く。それから、こう言った。
「私は、ラグナロクの第一皇子ラースです。黄昏の女神様を、我が世界へお連れするために参りました。今の我が世界は悪意に満ち、見るに絶えない状況下となっております。今一度、我らの世界を、貴女の手で平穏な世界へとお導き下さい」
そして私の手を取り、そっと礼儀としての挨拶のキスをした。
私は、ボーっと突っ立ったまま、今のこの状況と、ラース皇子といったこの人の言葉を頭の中で解釈しようと頑張ってみるのだけど、ちんぷんかんぷん。この扉の向こうに、違う世界? そして、争いを止めるために、私が必要だなんて……
「貴女が居ないといけないのよ! ちょっと耳の穴かっぽじって聴いてる?」
放心状態の私の頬を抓る妖精に気づき、私は何とか、呆けている状態から自分を取り戻した。でも、やっぱりこの状況に付いてはいけそうに無いけれど……
「でも私は、そんな女神様とか、世界を平穏にする力なんて持ち合わせてはいなくて、只の女の子なんですよ」
私は、もごもごと口から言葉を発する。だって事実なんだから。
「黄昏の女神様。ですがたった今、貴女は確かに私を助けてくださった。それは動かない事実。自覚や、記憶が無くても、その力は本物。だから、来てください、私達の世界へ」
ラース皇子はそう言って、少し私の手に触れるのを躊躇いながらも、そっと包む込むように、握ってきた。少しひんやりとしたその手。私はそのことに赤面しそうになる。
でも、ラース皇子ははにかんで、私に大丈夫ですから。と目配せする。その表情に偽りはなさそうだった。まるで、自然界の皇子様。柔らかい笑顔。私はちょっとだけ心ときめくのが判った。それが恥ずかしくて、慌てて顔を背けたが、次の瞬間、フッと抱き上げられたことに気づき、キャッと声を上げてしまった。
「行きますよ。黄昏の女神様。私達の世界へ!そして、貴女を必要としている世界へ!」
そう言った後、ラース皇子の胸元に入り込む妖精。妖精はあたしにアッカンベーと舌を出した。だけどその後直ぐに笑顔に摩り替える。なんて気まぐれな妖精。
そして、私を抱えたラース皇子は、扉の中に身を投じる。振り返ったら、その扉はギギーッと閉じられていく。今、私はあの触ることも出来なかった扉の向こうに居る。何て事なの?凄く複雑だけど、これが現実。これから私はどうなるというのだろう? 未来なんて判りはしない。怖いけど、今はこのラース皇子を信じるしかない。まるで、御伽噺のような出来事。そう、自分が主役になったかのような……
光の渦が辺りを取り巻く。その光の中に、シャボン玉のような丸い物体の中に私の過去がフワフワと過ぎ去っていく。それはまるで、フラッシュバックのような光景。私はそれを地中海の海面のような碧い瞳でしっかりと捉えた。懐かしかった。私の小さい頃が次々と。記憶に無い産湯に浸かっている私や産まれる前の羊水に浸かっている様子。だけど、その最期に、キラキラ輝く金髪に碧い瞳。紫水晶のティアラを飾った女性が目に入った。誰?でも、知らないはずなのに、懐かしい。私は、知っている。この人を……
そんなことを思った瞬間、パッと景色は変わった。
そこは、常春の緑豊かな草原が眼下に広がる世界だった。所々、大理石の柱が見える。宮殿か何かの後のように感じられる。そう、ギリシャにあるかのような跡地。私はこの場所を何故か懐かしく感じた。
その上空。私を抱えたラースが飛んでいる。
いえ、飛んでるいのではなかった。丁度見えづらい位置になるんだけど、ペガサスの上に居るのだと知った。私は、この伝説の生き物、ペガサスに驚くことは無かった。そう、これにも懐かしい気分になる。あの、金髪の女性を見た瞬間から確かに懐かしい気持ちを持ち続けている。それは、此処に何かしらの想い出があるから? ちょっとずつ私は微かな記憶を辿る様になった。
そして、暫く上空を行くと、眼下に跡地ではない宮殿が見えてきた。真っ白で、美しい宮殿。周りは堀で固められているらしく、水が絶えず流れている。そしてそれを中心に、赤い屋根の連なる村々。
「あそこが、私の宮殿です。この一帯を統治している小さくもありますが、国。ラグナロクです」
優しい世界。私は思った。だって、こんなに暖かく、緑の多い国。小さくたって、判る。きっとここに住む人々は、心優しい人々ばかりであるんだろうなって。
でも、此処に来る前に、ラースは言ったような……悪意に満ちている世界だと。これの一体何処が?疑問に想い、私はラースに問いかけた。
「こんなに素敵な世界なのに、何処が悪意に満ちているの? 私には理解できないわ!」
だけど、その理由がその後直ぐに明らかになった。
肌を焼き尽くしてしまいそうな熱風が前方からいきなり吹き込んで来たからである。それは、その宮殿の遥か遠くから。まるで侵食してくるかのように。
「あの、遥か彼方が判りますか? 紅く上空を浮き立たせている場所を……ドンドンとこちらへと、侵食しているのです、黄昏の女神様」
そう、微かだが、紅く空が滲んでいる。それは、まるで悪意を持った悪魔がこちらへとやってくるかのように感じられた。
「あの一帯は、隣の国になるのですが、既に、火炎の世界へと変貌を遂げました。燃え滾る、マグマの地。人々はその中でもがき苦しみ息絶えてしまいました。それはまるで地獄絵図であるかのように」
ラースは、真剣な表情でそれを語った。それは憂いているかのように感じられた。
「皆死んでしまったの?」
私は、そんなことを考えたくは無いけれど、でも、絶望的な状況がその先にあることを知って、辛くなった。
「はい。死への道を辿りました。それは、秩序。しかし、厳密にはこの世界に死という概念はありません。死ということを意味するならば、転生するという概念です。黄昏の女神様。貴女も転生を果たされた身。だから、此処とは違う世界で生きていらっしゃったのです」
転生。そういう事もあるんだ? 私は、判ったような判らないような……だけど、この世界に私は確かに懐かしさを感じている。それは遥かなる記憶。
「そんな訳で、この世界は魔の国と化そうとしているのです。だからそれを食い止め、この世界を元の優しい世界に戻そうと、黄昏の女神様、貴女をお迎えに参った次第です……これを食い止められるのは、あなたしかいないのですから」
黄昏の女神様……今でも信じられないし、それを受け入れられる賢い頭を持ってはいない。だけど、私はそれをしなければならないだろう。私は、この場所を、世界を、懐かしく感じ、知っているのだから。だといって、実際私は役に立てるのであろうか? そう、どうやって?
「あの、ラース皇子様? 私は、この世界を救うような力を本当に持っているの? 貴方を助けたのは偶然だったんじゃ……私はその方法を知らない……もし出来るとしたら、それには如何すれば良いの?」
不安。疑心。いろんな感情が渦を巻く。私は一体如何すれば良いの?
「黄昏の女神様には、一度、宮殿の奥に在るヴァルハラという部屋に入っていただくことになります。そこで、自らの精神を、忘れてしまった記憶を取り戻していただかなければなりません」
ヴァルハラ。何だか聴いたことがあるような……確か神話だったかな?神話に詳しくない私には良くわからないけれど、余り良い印象はない気がする。
「私は一人でそこに、入ることになるのかしら?」
余計不安が押し寄せてくる。
「いえ。私も戦士です。その一人として黄昏の女神様に随行します……実は、現、黄昏の女神様は、今回の敵スルト神の手に堕ち、火炎に身を焦がされておいでです。それももう、死へと導かれる運命。一度助けに入ったのですが、私もあのような始末。助ける事も叶いませんでした。とにかく時間が無いのです。いえ、もう、転生されてしまわれたことでしょう。そこで、人間界に転生された、前、黄昏の女神様をお連れするように、ラグナロク内の閣僚で決定したのです」
ラース皇子も、その部屋に入ってくれると言うその言葉に少し安堵はした。したけど、今の黄昏の女神様は、既にその敵と云うスルト神の手に堕ちた事が判っている。それなのに、この私がどうにかできるものなんだろうか? 抱えられたままの私は、思わずギュッとラース皇子のしなやかに引き締まった二の腕を握り締めてしまった。
「あ、ごめんなさい!」
私は、そのことを詫びた。だけど、それが逆にラース皇子の顔を曇らせた。何でだろう? でも、その表情はスッと引き、
「安心してください。私が黄昏の女神様、貴女を全力でお守りいたしますから」
間近にあるラース皇子の整った顔が、優しく微笑んだ。あのラベンダーの瞳は、本当に綺麗で、吸い込まれそう。それがゆっくり私を覗き込む。その瞬間が、堪らなくドキドキする。
そんな中、ペガサスはゆっくり下降し、私達は、ラグナロクの宮殿へと降り立ったのであった。
原稿用紙100枚程度のお話です。
輪廻とか転生とか・・・ですが、土台は北欧の方の神話です。でも、かなりいじりまくってます。
好きなように解釈してるところも有りますが、気になる方は、最期までお付き合い頂けると嬉しいです。