読書部の日常 2
自動ドアを抜けると、そこには広々とした空間に沢山の書物が並んだ空間が現れる。
新しい本と古い本の混ざり合った独特の匂い、微かに聞こえてくるペンを動かす音、小さな子供達がお母さんの横で一生懸命絵本を読んでいる姿。
西山東輝は、この図書館という場所がたまらなく好きだった。読書部では目の前でうるさい後輩がいて中々集中する事が出来ないが、ここならば心穏やかに読書を楽しめる。
ただ今日は別に本を読むために来たわけではなかったと思い直し。
入り口横の図書館職員がいるカウンターに近付き、椅子に座りパソコンで何やら作業を行なっているおばさんに声を掛けた。
「すみません」
「はい? ——って東輝君じゃないの、久しぶりねぇ、元気にしてた?」
東輝の顔を見て満面の笑みを浮かべたおばさんは、太り気味の肉体でパンパンに膨れ上がったエプロン姿で近くまで寄って来た。
——相変わらず・・・でか。
「こんにちは。元気ですよ、近藤さん」
「また格好良くなっちゃって! ウチの息子にも見習わせたいわぁ〜」
一体何を? と言う疑問を飲み込んで、東輝は本題へ移る事にした。
「えっと、それで姉貴・・・いますか?」
「あぁ! 卯ちゃんに会いに来たのねぇ〜 ちょっと待っててね〜」
大きな体を揺らしながら、近藤さんはカウンター奥にある【事務所】と書かれた扉の中に入っていった。
よく喋る人には、日頃から慣れているつもりだったが、やはり年上だと気を使うなと溜息を吐きながら、ふとカウンター横に設置された《今週のオススメ本》と書いてあるコーナーに目をやる。
そこには、歴史書、絵本、小説、図鑑など——図書館職員が選んだ様々なジャンルのオススメ本が置かれていた。
何か面白そうな本はあるかな? と一冊ずつ確認していると、前に東輝も読んだ事がある《デブなんて、滅びてしまえ!》と言う小説が置いてあった。
——こんなエグい内容の本、オススメしていいのか? ・・・・・・まぁ、俺は面白かったけど。
苦笑いしつつ手に取って見てみると、表紙に可愛いハート型のポップがくっ付いていて、オススメした職員のコメントが書いてあった。
「・・・・・・んっ!」
何となくそのポップの内容を読んでいた東輝は、最後に書かれた名前を見て愕然とした。
【西山 卯】
まさか、こんな所で姉と趣味が被るなんて思わなかった東輝は、何だか急に恥ずかしくなり、その本を誰も気づかなさそうな位置にソッと戻した。
「東輝、来てたのね?」
「わっ! 何だ、姉貴か——ビックリした」
「こら、図書館内では静かにしなさいね」
「・・・・・・あぁ」
ショートカットの黒髪に、赤い淵のメガネ、黒スーツ、そしてスタイルは、街中でモデルさん? とよく間違えられるレベルのこの女性こそが西山東輝の実の姉、西山卯である。
東輝と同じく読書好きな彼女は、大学卒業と同時にこの図書館で司書として働いている。
「それで、何の用?」
そんな姉が、メガネの淵を細くて長い指で押さえながら、静かな声で質問をしてきた。
「今日の夜ご飯、何か希望はあるか? これから買い出しに行くから」
「そっか・・・・・・母さん、今日から旅行だったわね・・・・・・ふふふふ」
何やら一瞬、不敵に笑ったのが気になったがスルーする事にした。
「っで、何が食べたい?」
「そうね・・・・・・なんでもいいわ」
——なんでもって——そんな返答ばっかりだから、いつまでも結婚出来ないんだ。
なんて言葉を口にすれば、どうなるか分かったものじゃないから決して口にはしない。それに、この姉が結婚出来ないのには、もう一つ大きな理由がある。
「分かった、じゃあ適当に決めるよ————それじゃ」
要件は済んだのでスーパーに向かおうと片手を上げ、入り口に歩き出そうとすると、「ガシッ!」っと肩に掛けていたカバンを掴まれた。
振り向くと、そこには無表情の顔のままの姉が立ち尽くしていた。
「何?」
「・・・・・・ちゃ・・・」
「はい?」
「——お茶でも・・・・・・飲んでいきなさい」
「えっ? いや、別にいいよ。仕事の邪魔にな————」
「いいから、来なさい」
「・・・・・・」
物凄いプレッシャーを感じた東輝は大人しく言うことを聞き、姉と共にカウンター裏の事務所の中へと向かった。
途中、近藤さんと顔を合わすと、「美男美女で、仲の良い兄弟なんて素敵ね〜」なんて言葉を掛けられたが姉は静かに「・・・いえ」とクールに返すだけだったので、職場の人と上手くやっているのか心配になってしまった。
——ガチャ——
事務所の中は、十五畳程の広さに机が四つ並べられていて、その奥に小さなテーブルを挟んだソファーが二つ置かれていた。
パソコンやらプリンター、本棚などがあるため若干の狭苦しさを感じるが、職員の数がそこまで多くないから不便はないようだ。
「奥のソファーに座りなさい」
「あぁ」
——ガッチャン・・・・・・ ——
何やら背後の扉の鍵が閉まったような音が聞こえた気がして、「何だ?」と首を向けようとする東輝に向かってミサイルが飛んで来た————姉という名のミサイルが。
「東くぅぅぅぅぅん!」
「わっ!」
アメフトのタックルのように抱きつかれた東輝は、そのまま姉と一緒に後ろのソファーに倒れこんだ。
「あぁぁぁぁぁあぁぁぁああああんん! 東くんの匂いぃぃ————すぅぅぅぅぅぅ」
「おいっ! 吸うな! 離れろ姉貴!」
「いやぁ〜 離れたくないぃ」
「事務所の外に近藤さんもいるんだろう? いつ入ってくるか————」
「大丈夫。鍵、閉めたから! えへへ〜」
先程までのクールビューティーは消え去り、ふにゃふにゃ甘えてくる西山卯がそこにはいた。
この姉が結婚出来ない、もう一つの大きな理由がまさにこれだ。
【西山卯は究極のブラコンである】
しかし他の人たちは、この事を全く知らない。職場の同僚、友達、家族、他人、東輝以外に誰か一人でも近くにいると、姉はこのモードには決してならないのである。
「ねぇ〜え〜、今日は久しぶりに、お姉ちゃんとお風呂入ろぉ〜」
「絶対、無理」
「もう、恥ずかしがっちゃってぇ〜」
「違う」
今日から母親が二泊三日の旅行に出ていて、家には東輝と卯の二人しかいないので、昨日からかなり憂鬱な気分だった。
「——ったく、学校でも、家でも、こんな相手ばっかだ————」
所属している読書部の後輩、北野南。今頃はあの薬品臭い化学準備室で溜めていた読書感想文を書かされているのだろうと東輝が思っていると、抱きついていた姉がプルプルと震えていた。
「どうした? 姉貴?」
「・・・・・・学校〝でも〟こんな相手って言った?」
「あっ——」
「あんっの! 南とか言う、チビ猿ねっ! ムキィ〜 私の東くんに寄って来る害虫めぇ!」
実は南と姉は、ある事件で面識があるのだが。しかし驚いたのは、その時はきちんといつものクールビューティーモードだった姉の正体を南が一発で見抜いてしまった事だ。
それからと言うもの、二人は互いをライバルだと言い、会えば喧嘩する仲になってしまった。なのでその話題には極力触れないように気をつけていたのに・・・・・・失敗した。
「まぁまぁ、落ち着けって。あんまり騒ぐと、外の近藤さんに気付か————」
「何で一緒の部活なのよ〜 あいつめ! 南って名前なんだから、野球部のマネージャーでもやってなさいよ!」
読書家の姉は、漫画も大量に読んでいる・・・・・・ネタが古いが。
——コンコン——
突然、室内にノックの音が響き、東輝はビックリして立ち上がった。抱き付いていた姉も「ちっ——」と小さく舌打ちをしながら服装を整え、いつものクールビューティーモードに戻っていた。
「卯ちゃ〜ん、ちょっといいかしら〜? 来月の予算の事なんだけどぉ」
「今、出ます・・・・・・じゃ東輝、また夜にね」
——バタン——
閉まる扉の音を聞きながら、これから起こるであろう地獄を想像して東輝は頭を抱えた。