3話「浄化の部屋での逃走」
騒がしい声が遠くから聞こえる。
「・・・」
彩花は、ゆっくりと目を開ける。
何気なく起き上がろうとして、腹部に強烈な痛みを感じる。
「痛っ!」
その痛みと共に、森での出来事を思い出す。
腹部の痛みを堪えながら辺りを見渡す。
やけに豪華な部屋だな、というのが第一印象だった。
異常に広い部屋は、床こそただの木製ではあるが柱などは深紅に塗り固められている。
その部屋の中央にある、綿毛で編まれた布団の中に彩花はいた。
(私、確かよく分からない世界に来て、その後謎の男に気絶させられて・・・)
つまり、あの男にここに連れて来られたということだ。
「そうだ、祐介は?」
彩花が気絶する前、まだ祐介には意識があった。
もしかしたら無事に逃げているかもしれない。
そう期待し、ひとまず綿毛の布団から立ち上がる。
(逃げなきゃ・・・)
痛む腹部を押さえながら歩き出す。
その時、自分が着ているのがワンピースではなく、真っ白な着物になっていることに気づく。
「これ、まるで死に装束じゃない」
ようやく壁面にある扉の前にたどり着く。
扉を押して見るも、やはり素直には開いてくれない。
「誰かいないんですか!開けてください!」
無理だと思いつつも、扉をドンドンと叩きながら叫ぶ。
しかし、次の瞬間に扉は簡単に開かれた。
「お目覚めですか、アヤカ様」
「あ、あなたは?」
出てきたのは紫色でキラキラした着物を着た女性だった。
髪は後ろで団子状に編まれており、美しい顔がよく見えた。
「私はマーミヤ、アヤカ様の世話係です」
「私の、世話係?」
「はい、明朝までの付き合いですが、よろしくお願いします」
いまいち状況が掴めない彩花はマーミヤを押しのけて外に出ようとする。
しかし、マーミヤが腕を広げてそれを阻止する。
「なりませんよ、アヤカ様。この部屋から出ることは禁止です」
「何でよ!」
「アヤカ様は大事な供物ですから、この『浄化の部屋』で一日かけて穢れを取り除いてもらいます」
「穢れって・・・え、供物?」
改めて自分の服装を見る。
先程自分で死に装束と称した服装を。
「アヤカ様には生け贄になってもらいます」
生け贄。
知らないわけではないが、現実的な言葉には聞こえない。
でも、つまりは死ねと言われていることは分かる。
「何で私が!」
「この集落では、負けが続くと戦神に生け贄を捧げるのが慣わしなのです」
「理由になってないわ」
「つい先日も戦で負け、生け贄を捧げようということになったんです」
「・・・タイミングが悪かったってこと?」
「まぁ、そうですね。アヤカ様が来なければ私が生け贄になっていました」
その言葉を聞き、どう反応すればいいのか困る。
「異民は珍しいですからね、さぞ戦神も喜ぶでしょう」
「素直に分かりましたってなるわけないじゃない」
彩花はマーミヤの腕をくぐって外に出ようとする。
しかし、彩花は背中に何か鋭い物を突きつけられる。
「言いましたよ、出るのは禁止だと」
「くっ!」
しかし彩花は刺される前に全力で走り出した。
「やれやれ」
後ろでそんな言葉を聞きながら、必死で走る。
しかし着物のままでは走りにくく、速く走れない。
「破るかっ」
息を荒げながら周りに人がいないことを確認する。
座り込み、着物の裾を思いっきり引っ張る。
「思ったより頑丈ね」
着物は細かく編まれており、彩花1人の力ではなかなか破れなかった。
モタモタしていると追ってがくる。
破ることは諦めて、裾を手でたくし上げて走ることにした。
「見つけましたよ」
が、走り出す直前、目の前にマーミヤがゆっくりと現れる。
「諦めてください、地の利は私達にあります。逃げられませんよ」
「諦めるわけないでしょ!」
さっき来た道を走って引き返す。
「はぁ、あまり傷は作りたくないんですけど」
そう言うと、マーミヤは刃物、正確には磨き抜かれた黒い石を彩花に投げつける。
「うあぁあ!」
それは見事に彩花の背中に命中する。
普通はそれくらいで倒れることはないが、その刃物は特殊な素材で出来ていた。
「雷石、磨きぬいた先端に刺されると強い電撃を受けます」
「くっ・・・」
体が急に痺れて、彩花はその場に倒れてしまう。
見上げた空には、黒い煙が立ちこめていた。
どこかで火事があったのだろうか。
そこで意識は途切れる。
そして、再び目を覚ます。
何度目を覚ましても、そこはキャンプ場などではなかった。
マーミヤが浄化の部屋と言っていた巨大な空間だ。
隣には、見張りのつもりかマーミヤが座っていた。
「捕まっちゃったか」
「明日までの話し相手にはなりますよ」
彩花はいくら考えても、今逃げられる算段が思いつかなかった。
(チャンスは、明朝の生け贄になる直前かな)
彩花は希望をそこに絞り、今は監視を厳重にしないためにも大人しくすることにした。
「ねぇ、祐介と直也は?」
「ちゃんと生きてると聞いてますよ」
「そう・・・」
祐介と直也、もしかしたら2人が助けてくれる可能性もあるかもしれない。
「でも、2人の助けなどを期待しないで下さいね」
まるで心を読んだかのような発言に彩花は少し動揺する。
「あの2人の監視は集落一の戦士ナーヤルが勤めています。アヤカ様達を連れてきた男です」
「あの男・・・」
今でも鮮明に思い出す強烈な記憶。
「ナーヤルは気術の使い手で、その力は人間の域を出ています」
「気術?」
「異民のアヤカ様は知らなくて当然だと思います」
そこで話は途切れた。
どうやら説明してくれる気はないことを察する。
沈黙に耐えかねて、新しい話題をふる。
「そういえば、空に煙りが見えたけど火事でもあったの?」
「煙は私も見ました。けれどこの部屋には世話係である私とアヤカ様以外は入ることが許されていない故、詳しい情報は耳にしていません」
「ふぅん」
もし火事だとしたら、あの2人は大丈夫だろうか。
彩花はそんな心配をしながら2人の無事を祈る。
「ねぇ、時間はあるんだし、この世界について教えてくれない?」
「教えろと言われましても何から話せばいいやら」
「じゃぁ、異民って何?」
「他の世界から来た人たちのことです。この世界にはたまに突然そういう人たちが現れるのです」
「何人くらい居るの?」
「分かりません。そもそも異民自体、この目で見るのは始めてなので」
「そんな頻繁には居ないのか。帰る方法とか知ってる?」
「存じ上げません。というより、アヤカ様を帰さないことが私の役目なので」
「やっぱそうよね」
他の異民と出会えば帰る方法も分かるかもと思ったがそう簡単にはいかないらしい。
そのことが分かり、つい溜息をつく。
(というより、明日まず無事に逃走できるかが関門なのよね)
「アヤカ様は刻印解放をなされたのですか?」
「へ?」
考え中に突然話しかけられ、つい情けない声を出してしまう。
「なにそれ?」
「アヤカ様の脇腹にあった黄色の刻印のことです」
「脇腹!?」
何故そんなところを見られているのかと思ったが、よく考えたら着物に着替えさせられた時点で脱がされているのだ。
考えたら恥ずかしくなるのでそこからは目を背けることにした。
「こう、丸いやつです、輪っかのような形の」
そこで彩花は祐介の手にあった紋様を思い出す。
この世界に来た瞬間に現れたあれ。
確かに自分にあっても不思議ではないと考えた。
「なんとなく分かったわ。あれって何なの?」
「異民に刻まれる刻印です」
「いやよく分からないんだけど」
「私たちもよく分かってないんです。刻印の力を解放、つまり刻印解放をしたら最強の力が手に入るとしか」
「最強の力・・・」
話が一気にきな臭くなってきた。
「で、どうやったら解放できるの?」
信じてはいないが、一応聞いてみた。
「それは人それぞれらしいです。解放できない人もいるらしいですし。まぁ昔親から聞いた話なんですけど」
色々と尋ねてみたが成果らしいものは得られなかった。
「刻印解放は、まだしてないんですね」
「そういう事になるわね」
とりあえず彩花は刻印解放の話を記憶の片隅に留めておいた。
「まぁでも勿体ないですよね」
「どういうこと?」
「だって、せっかく最強の力が発現するかもしれない人を生け贄に捧げるなんて」
彩花は先程、最近この集落が戦いに負け続けていると聞いた。
女は戦士になれない、その掟さえなければ彩花も殺されずにすんだのだろうかと、どうしようもないことを空想する。
「私の母も生け贄で死んだんです」
マーミヤガ、唐突に語り始める。
大して話題のなかった彩花はそれを黙って聞くことにした。
「その後は姉が死にました。その次は親友」
「・・・」
「そして、先日私の番が来た。やっと皆のところに行けると喜びました」
その言葉を、彩花はどういう心境で聞けばよかったのだろう。
ふざけるなと怒ればいいのか、可哀想にと泣けばいいのか。
「けれど、アヤカ様が来て、私の番が後送りになった時に私、ホッとしたんですよね。安堵したんです」
マーミヤは少し顔を下に俯ける。
「たぶん、心の底では死ぬことに恐怖していたんです。それに気づかないように必死に喜んでいた。けど気づいてしまったら、たぶん次は耐えられない。今も既に、怖い。」
マーミヤの手が震えているのを見て、彩花も目を伏せる。
自分が逃げたらマーミヤが生け贄になる。
なら、大人しく死ぬのか。マーミヤの死期を延ばすために死ぬのか。
(そんなわけにはいかない・・・)
「すみません、アヤカ様にこんな事言っても、今一番辛いのはアヤカ様なのに」
「別に、謝らなくていいけど」
それ以降の言葉が出てこなかった。
慰めようとしても、言葉が見つからない。
どちらにしても、どちらかが死ななければならないのだ。
「ねぇ、一緒にこの集落から逃げない?」
「・・・アヤカ様はお優しいですね」
一緒に逃げる。もはや方法はそれしかない。
最後の希望は、しかしあっさり断られた。
「ですがすみません、この村には父も弟も、友達も、あの、愛してる人もいるので捨てることはできません」
「そ、そうだよね」
当たり前の理由。
そんなものに邪魔され、彩花は明朝を待つしかなくなった。
そして、すぐにその時は来る。