異変
その日、王国全土は喜びに溢れていた。
聞こえてくる歓声。
成し遂げたことの大きさを今更ながら噛締める。
「どうした?お前も手を振って答えないと。勇者なんだから。」
天井のない馬車の上で陽気に言うのは魔法使い。
イケメンだが頭がちょっと残念なムードメーカー。
「腹減ったよ。なんか食べたい。」
横に座る戦士がつぶやく。
彼女はいつも腹をすかせている。低燃費のスポーツカーのようなものだ。
頼りにはなるもののパーティで一番のトラブルメーカー。
「もうすぐお城だから、それまで我慢ね。美味しいものがあるといいけど。」
戦士とは反対側に座るのは賢者。魔王を倒せたのは彼女のお陰だ。
馬車は騎士団と共に歓喜の中を進んでゆく。
街にいる全ての人が喜んでいるのだと思いたい。
王宮での歓待、晩餐会への参加はむずがゆい感じがしたが悪いものではなかった。
成し遂げた安堵からか、その日はすぐに寝てしまった。
だから、その時はこんなことになるなんて思いもしなかった。
朝起きるとなんだか不思議な感じがした。
パーティの皆とはいつも一緒だった。
野宿するときも、宿に泊まるときも。
(魔法使いが好からぬことをいつも考えていたが魔法による防御において賢者にかなうわけがない。)
久しぶりに一人だ。
この世界に来た頃のように。この世界に来る前のように。
身支度を済ませ、執務室に向かう。俺は小さいながらも土地を管理する領主となっていた。
冒険の日々から数ヶ月、剣をペンに持ち替え、
などということはまったくする必要はなく、王の用意してくれた従者たちに全てを任せ、何をするでもなく安穏とした日々を過ごしていた。モンスターと戦う日々から遠く離れ、平和で穏やかな日々ではあったが、目的を失ってしまった俺にとっては苦痛でしかなかった。静かな時間はあの頃を思い出させ、彼女への想いを思い出させる。楽しく、嬉しく、また、騒がしくもあったが充実した日々だった。
金や権力は今のほうがあるだろう。しかし、そんなものでは代えられないものを確かに持っていた。今はもう無くしてしまった数々のものを思い出すには十分過ぎる時間が経つ頃、それは来た。
ある日、遠乗りから帰ると見知ったモノが来ていた。
『久しぶりだな勇者。』
魔法使いの使い魔だ。外見はカラスとほぼ同じ。違うのは目がないこと。
「どうしたんだ?こんな辺鄙なところに。魔法使いは元気か?」
『勇者よ。我が主は身罷った。』
ぽつりと、まるで何でもないことのようにその使い魔は言った。
「なっ…!?」
『勇者よ、声に出す必要はない。私を創った魔法使いの死と共に縁はそなたへと書き換えられている。』
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「旦那様。声が聞こえたようですがどなたかがいらっしゃっているのでしょうか。」
俺がドアを開けると共に使い魔は姿を消す。
「いや、残念ながら誰もいない。昔のことを思い出して、つい声が出てしまっただけだよ。」
「そうでございましたか。手紙が届いておりましたのでお持ちしました。」
封蝋を見ると王からだった。
「ありがとう。」
「それでは失礼いたします。」
密室に戻ると再び使い魔が姿を現す。
『それで魔法使いが死んだというのは事実なのか?』
声に出さずに思っていることを伝える。
『残念ながら事実だ。女戦士はどうやら生き延びたようだが行方知れず、賢者はあれ以来姿を見ていない。』
『ちょっと待ってくれ順序立てて話してくれ。何があったんだ?俺たちが分かれたあの日から。』
使い魔はため息をつく。めんどくさがりは相変わらずか。
晩餐会と、爵位の授与が終わった日、俺たちには褒章が下った。
戦士には騎士団への入団許可、魔法使いにはアカデミーでの重職、賢者には教団内部での研究施設を。
そして、何も望まなかった俺には領地と多数の召使を。
戦士は面倒といいながらも嬉しそうで、魔法使いはあっけに取られていた。彼はアカデミー時代、ここ数百年で一番の問題児と言われ、教授陣からは毛嫌いされていたのだ。賢者はなぜか複雑な顔をしていたが。
使い魔の話によると、俺以外は王国の首都にいたため、連絡を取り合ってはいたそうだ。騎士団の一部隊長となった戦士はモンスターの残党狩りの任務についていた。彼女の部隊は傭兵が多く、気性の荒い、使い辛い人間ばかりだったが、それでも巧くこなしていたらしい。そんな彼女が部隊ごと消息を絶ってしまった。場所は首都近郊のある村。見たことがないモンスターがいるとの知らせを受けて、出立したらしい。
それを知った魔法使いが王宮へと乗り込むと、その件はすでに教皇の管轄になっていると知らされた。教皇、賢者の所属する教団を統括し、国民すべてが信仰している宗教の長。理由を問い詰めたかったが言う必要はないの一点張り。賢者とも連絡を取れなくなったらしい。
『我が主は騒ぎすぎてしまったのだ。その声を無視できなくなるほどに。』
何の情報も得られず、走り回る日が続いた夜、黒尽くめの物たちの強襲にあった。そして殺された。
『でも、おかしいじゃないか。彼は俺と一緒に魔王を倒した魔法使いだぞ。そんな簡単に殺されるなんて。』
『確かに攻撃魔法においては並ぶものなかった。我が主こそが至高。』
『なら何で!?』
『使えなかったのだ。』
『使えなかった?』
『強すぎたのだ。街中では使えぬほどに。しかも、黒尽くめのやつらは人質を取っていた。王に賜った屋敷の近くに住む少女だ。魔法を使えば彼女が死ぬ。』
『だから彼は…。』
クローゼットの奥深くに隠しておいた剣と金貨の袋を取り出す。
『どこへ行くのだ勇者よ。』
『首都に行って見る。なぜ魔法使いは死ななければならなかった?戦士はどうなってしまったんだ?俺は知らなければならない。彼らの仲間として。』
『安易に過ぎる。もう少し良く考えるべきだ。』
『何を!!!』
『我が主を殺したのは呪いの短剣だった。その短剣には我が王国の国教を象徴する紋章が刻まれていた。勇者よ、似たようなものを持ってはいなかったか?』
紋章の短剣には覚えがある。当たり前だ。賢者にもらったのだから。
『この短剣には呪いなどない。』
懐から取り出す。いつも身に付けるようにしている。彼女を忘れないようにと。彼女が魔法使いの殺害にかかわっている?そんなはずはない。そんなはずは。
「一緒に来て欲しい。」
自分の処遇が決まった日の夜、賢者にそういった。
彼女は少しはにかんで、こう言ったんだ。
「すごく嬉しい。ただ、遣り残したことがあるから明後日の正午、あの教会の前で待っていて欲しい。」
そして、
「必ず行くから。」
と。
けれど、彼女が来ることはなく、それきり彼女を見ることはなかった。
当然、教団にも問い合わせたが返答はなかなか来なかった。
連絡が来たのは、体調不良を理由に領地への赴任を延期するにも限界になり、他に理由を見つけなければと思っていたころだった。彼女からの手紙を教団に所属するシスターが持ってきてくれた。
いろいろと書かれてはいたが要するに一緒に行くことは出来ないということだった。
そして、俺は失意の中、領地へと旅立った。
いくつかの季節が通り過ぎ、今日に至る。
『この短剣は今でも俺の』
『その短剣が悪いと言っているわけではない。その文様は賢者が好んで使っていたものだろう。』
『そうだ。彼女が自分で考えたと言っていた。』
ただ、何にでもその文様を入れるのには閉口した。今となっては懐かしい思い出か。
『今分かっているのは魔法使いの死に賢者が何らかの形で関係しているという程度だ。ただ、手繰る価値はあろうよ。』
『ではどうする?教団に行っても門前払いを食うだけだぞ。』
『戦士を探そう。彼女はまだ死んではいない。』
『本当か?』
『間違いない。勇者よ、戦士が身に着けていたものをもってはいないか?』
そう言われ、文机の中からあるものを取り出した。赤い箱に入っていたのは一房の栗色の髪の毛だった。
『戦士のものか?』
『そうだ。別れ間際に押し付けられた。』
『押し付けられた、ね。』
意味ありげに笑ったように見えた。烏なのに?
『まあいい。地図はあるか?』
机の上に地図を広げる。王国全土のものだ。
使い魔が呪文を唱えると地図のある部分が黒く焼け焦げた。そこはかつて魔王軍の前線基地があった場所であり、戦士と初めて会ったところだった。
『出立は深夜。夜歩くのは得意だろう。』
『うるさい。準備するから出て行け。』
使い魔を追いやると今夜の準備を始める。必要なものは、と。家人には何も言わないほうが良いだろう。
それにしても魔法使いに聞いたのか?誰にも知られていないはずだったんだが。
賢者は教団の至宝。たとえ勇者とは言え、男が付くなんて許されるわけがない。彼女との逢瀬は光の届かぬ闇夜の中だった。自然と夜目が利くようになった次第だ。くそっ。魔法使いめ、生きてたらぶん殴るとこだぞ。
魔法使いが死んだ。あの陽気な奴が。
あいつと出会ったのは賢者(当時は僧侶)と旅に出てしばらくしてからのことだった。特殊な魔法を使う者がいるとの情報を賢者が持ってきてくれた。
魔法というのは儀式を経て神の領域へといたる力を示すもの。呪具や長い呪文が必須であり、その体も使う魔法に合わせて整えなくてはならない。薬草や時には毒草を持って体を維持する必要がある。その代わり絶大な力を発揮することが出来る。そういう類のものだ。
ところが、件の魔法使いは酒や食事の制限すらせず魔法を行使するという。しかも呪具や長い呪文を必要としない。どんな簡単な魔法でも呪具や長い呪文をもって行わなければ発現しないというのが常識のはずだった。
魔法使いは定宿からそれほど遠くない酒場によく来るらしく、さっそく行って見ることにした。
彼はトレードマークのカラスを連れているため、すぐに分かるという話だった。
行くと、深緑の目と金髪の残念な二枚目がいた。確かにカラスがいたが、テーブルの上とか肩とかではなく、頭の上だ。その状態でウェイトレスの女の子を口説いていた。
残念すぎだ。あれでは大道芸人だろう、とその時は思った。失敗か?とも。
声をかけると一も二もなく連れて行けと。力量を測るためにいくつかのダンジョンを回ったが噂どうりの力を示した。短い呪文のみで魔法を操った。信じられなかったが生きる見本がいるのだから信じるしかなかった。
そして、戦士と出会い、幾多のモンスターを葬った後、魔王との戦いに挑んだ。多くの騎士団が周辺のモンスターを押さえている間に、魔王城の奥深くへともぐった。もっとも危険な場所へ向かった俺たちが一人も欠けることなく生き残り、周辺を押さえていた騎士団の多くが死んでいったのは皮肉ではあったが。
使い魔がやってきた日の夜、誰にも見られぬように屋敷を出た。剣と鎧、マントに薬袋。金貨は持てるだけ持っていく。
『馬はよいのか?』
『足が付くだろうに。それに自分で走ったほうが速い。』
『さすが勇者。』
『皮肉か?』
『褒めておるのだ。』
『どうだか。』
そんなやり取りを繰り返しながら疾走した。久しぶりだったが息が切れることもなく、目的地に到着した。