第5話 それは母という名の………
「おい白毛ぇ! こんな感じでいいのかー!?」
「うーん、そこじゃ下から丸見えだ、もうちょっと右………はい、そこ!」
ギザ耳たち数匹のオークが見張り台として、樹上に木で作った足場を設置している。
白毛はそれを地上から見て、位置の微調整を行っていた。
「ふぃー、疲れたぜ」
「お疲れ、ギザ耳」
樹上の見張り台を設置し終え、ギザ耳たちが疲れた様子で大木の前に座り込み、休憩する。
「あー、やっぱ俺、こういう細かい作業苦手だなあ。
剣を振ってる方が何倍もマシだぜ」
「そう言うなよギザ耳、この見張り台は人間と戦う上で最も重要な物になるんだぞ」
「あれがか? なんで?」
ギザ耳が疑わしそうな表情で白毛を見つめる。
そんなギザ耳へ白毛は森の地図―――これは白毛の指示でオークたちが周囲を散策して手作りしたものだ―――を見せながら説明する。
「ほら、この見張り台は森に隣接する街道が一望出来るだろ? 人間たちが徒党を組んできた場合、恐らくこの街道に拠点を構える。
そうすれば相手の規模や動きをこちらで把握することが出来るんだ。
これは戦争をする上でかなりのアドバンテージを得られるぞ」
「あどばんてーじ? 何だそれ、美味いのか?」
「………真面目に説明した俺が馬鹿だったよ」
ギザ耳の答えに、白毛は頭を抱えてしまうが、当のギザ耳は白毛の態度を気にした様子もなく、ケロリと言う。
「まあ、戦争の準備についてはお前の指示に従うよ。
頼んだぜ? 指揮官殿」
「その呼び方はやめてくれよ………」
「へへへ、いいじゃねーか。格好いいだろ?」
白毛の苦笑に対し、ギザ耳は悪戯っぽく笑う。
あの宴会から数日して、片目が群れの仲間全員に正式に布告を出した。
一つ、自分たちはこれから人間たちと戦争をすること。
一つ、自分たちは戦争の準備を最優先事項とすること。
一つ、この戦争において、白毛を指揮官とし、自分たちは白毛の指示に従うこと。
当初白毛は自分が指揮官に任命されたことに驚いていたが、この群れにおいて片目の指示は絶対である。
白毛はハラを括った。
この戦争、どんな結果になろうとも全力で戦い抜かなければならない。
それから白毛は精力的に戦争への準備へ邁進した。
集落付近の地理を把握し、地図の作成。
森の各所に見張り台を設置。
廃墟となっていたエルフの集落を修繕し、ダミーの集落及び臨時前線基地としての活用。
老年、幼体を問わない投石訓練、また投石用の石の収集、設置。
これらの仕掛けは全て、作成した地図に書き込まれ、それを更に手書きで写し、群れのオーク全員に一枚ずつ持たせている。
精力的に行動する白毛に対し、群れの仲間たちも協力的であった。
彼らは白毛が豊富な知識を持ち、賢いことを理解していたし、何よりも彼の一生懸命さに心を打たれたのだ。
それに、今度の戦争が群れの将来を左右する大きなものであることを肌で感じている部分もあった。
戦争の準備が始まってから、狩りに行く時間が削られ、生活は困難な物になっていたが、群れの結束は強まり、士気も上がっていた。
◇
「それでさ、今度は落とし穴を作ることも考えているんだ、ギザ耳は穴掘りなら任せろ!とか言ってるんだよ」
「ふふふ、ギザ耳くんは相変わらずなんだね」
家畜小屋の中、白毛は陽気な調子でプリムラへ話しかける。
この間持ってきた毛布のお陰か、最近はプリムラの体調も安定しており、戦争の準備で母の元へ顔を出せる時間が減った白毛は胸を撫で下ろしていた。
プリムラは溌剌とした笑顔を浮かべる白毛に対して、微笑む。
「白毛、何だか楽しそうだね」
「え………楽しそう、俺が?」
「うん、白毛がこんなに楽しそうにしてるの、お母さん初めて見たかも」
楽しい………楽しいのか、俺は?
自分がしているのは戦争の準備であって、普通楽しむものではない、ということは理解している。
しかし、何だろう? 体に活力がみなぎるようなこの感覚は。
自分が生きているんだという、この実感。
それは、今までの人生で感じたことのない高揚だった。
「確かに、楽しい………楽しいのかな? 俺は………」
「?」
呟くようにそう言う白毛に対して、プリムラは不思議そうに小首を傾げる。
「ほら……俺ってさ、生まれつき体が弱くて………どこかで群れのみんなに対して劣等感を抱いていたのかもしれない。
何かと迷惑をかけてしまう群れのみんなに対して、どこか後ろめたい思いがあったのかもしれない」
「白毛………」
「それが今は、群れのみんなが俺を頼りにしてくれる、自分自身でも群れに貢献しているという自覚がある………それが楽しい―――いや、うれしい………のかな?」
白毛が何気なくそう呟くと、プリムラは悲しそうに顔を歪め、俯いてしまう。
「か、母さん?」
「ごめんね………白毛」
「母さん、な、なに言ってるんだよ?」
突然、声を詰まらせ、絞るような声で謝りはじめたプリムラに驚き、母の肩を抱く。
「お母さん、体が弱いから、あなたを強い子に産んであげられなかった………きっと、白毛はそのせいで、沢山つらい思いをしてきたんだよね……」
「そんな………そんな訳無いだろ!」
プリムラの紅い瞳にうっすらと涙すらにじんでいた、白毛は自らの紅い瞳でそんな母を真っ直ぐに見つめ、必死で思いを伝える。
「母さんが、俺の母さんで本当に良かったよ。
大体、俺が今みんなの役に立てているのは母さんが俺に沢山の知識を教えてくれたからなんだよ!?」
「うん………」
「それに、俺がここまで大きくなれたのは全部母さんのお陰なんだ。
だから、謝ったりしないでよ………」
最後の方は最早懇願である。
白毛にとって最も苦痛なことは、母が悲しんだり苦しんだりすることだった。
白毛はプリムラの目元を伝う涙をそっと手で拭うが、自分の手の形状を思い出し口を開く。
「あ、ごめん母さん。俺の手、ざらざらだから痛いよね………」
オーク族の手は破壊と殺戮の為にある。
その皮膚は鉄のように硬く、表面はザラザラとしたヤスリのようであった。
慌てて手を引っ込めようとした白毛の手をプリムラを両手で包み込む。
「そんなことないよ………白毛の手は暖かくて………優しい手だよ」
「母さん……」
プリムラがいつもの穏やかな微笑みを浮かべ、白毛の手を胸元で抱きしめる。
その姿に先程の悲しそうな様子はない。
「ごめんごめん、お母さんなんだか変なこと言っちゃったね。
ほら、お母さんも年だから、涙腺緩くなっちゃってるのかも………」
「知的種族で一番寿命が長いくせに、なに言ってんのさ」
「むう、それでもお母さんはお母さんなんだから、ちゃんと労わりなさい」
「はいはい………肩でもお揉みしましょうか、お母様?」
「うむ、苦しゅうない」
「なにそれ?」
そう言って、純白のエルフとオークは笑いあう。
オークの寿命は長くて30年程度、それに対してエルフの寿命は数百年にも及ぶ。
短命なオークに比べて、寿命が圧倒的に長いエルフは年齢の重ね方が違う。
プリムラはまだ少女と言っても差し支えない外見で、精神年齢も外見相応のものなのだろう。
白毛は時々、種族として自分の年齢が母を追い越してしまっているのはないかと思うときがあった。
「そうだ母さん、今日は木の実を持ってきたんだよ。
地図作ってる時に偶然見つけたんだ」
白毛は腰につけた子袋から、木の実をじゃらじゃらと出してプリムラに差し出す。
「最近、群れも戦争の準備で食料事情が悪くてさ、母さんきっと碌な飯を渡されてないだろ? こんなもので良ければ受け取ってよ、よく噛んで食べればそれほど消化も悪くない筈だよ」
「うーん、これは白毛が取ってきたんでしょ? 白毛が食べなよ………」
「俺たち、肉意外はあんまり消化出来ないし………それにこれは母さんの為に採ってきたんだから、母さんに食べて欲しいな」
「じゃ………じゃあ、お母さん、もらっちゃおうかな?」
「うん!」
どこか申し訳なさそうにプリムラは木の実を受け取ると、白毛に向かって手を伸ばす。
プリムラは背伸びをして目一杯手を伸ばすが、その手は白毛の胸元までしか届かない。
母のそんな奇異な行動に対して、白毛は不思議そうな表情を浮かべる。
「なにしてんの、母さん?」
「うー、白毛の頭を撫でたいの。ほら白毛、頭下げて」
「はいはい」
白毛がしゃがみ込んで頭を下げると、プリムラは満足げに彼の頭を撫でる。
「木の実ありがとう、白毛は優しいね」
よしよし、と言った調子で、プリムラが言葉を発する。
その言葉を聞いて、白毛は何故か泣き出してしまいたくなった。
―――そうなのだ、母と接しているとき、白毛の心はいつも温かい何かに満たされていくような気持ちになるのだが、時々、激しい苦しみと悲しみに襲われる時がある。
あなたは何故、こんな俺に優しくしてくれるのですか?
美しいあなたとは似ても似つかない、俺のような醜悪な獣に………。
オークによって強制的に子を産まされた種族が、その子に愛を注ぐなどという話を白毛は聞いたことが無い。
まして知能に優れ、情緒が繊細なエルフ族がである。
「白毛、どうかしたの? お腹痛い?」
急に黙り込んでしまった白毛を、プリムラが心配そうに覗き込む。
「な、何でもないよ! ごめんごめん、ちょっとぼうっとしてた」
「本当に………?」
白毛は我に返ると、心配そうな表情の母に慌ててそう言うと、半ば無理やり話題を変える。
「あ、この間俺が持ってきた花、飾ってくれたんだ」
「………………うん、」
「プリムラ・シネンシス、母さんと同じ名前の花」
「……白毛がくれた、花だしね………」
白毛は先程の苦痛を誤魔化すため、空笑いを浮かべてその白い花を見つめる。
だからだろうか。
同じく白い花を見つめるプリムラの顔が、今にも泣き出してしまいそうであることに、気付くことは無かった。
◇
白毛はプリムラの部屋から出る。
まだまだ戦争の準備は始まったばかりなのだ。
人間たちがいつ、ここへやってくるかはわからないが、そう時間はかからないだろう。 母と会う時間が減ってしまうのは悲しいが、早急に終わらせなければいけない作業なのだ。
「殺してやる! 殺してやる! お前ら一匹残らずぶっ殺してやるからな!!」
「くそっ、うるっせぇな、お前………」
「こ、殺し……があああぁぁぁぁぁ!!」
「ちょっと黙れ、糞雌」
廊下を歩いている途中、雌の叫び声と雄の怒鳴り声が響き、何かを殴打するような鈍い音がバンバンと鳴る。
どう考えても唯事ではない。
「どうした!?」
白毛が慌てて声がした部屋に入ると、そこには顔に引っ掻き傷を作ったオークと、顔をぼこぼこに腫らして倒れているエルフが居た。
オークは息を荒げながら、白毛に気付くと声を掛ける。
「おお、白毛か」
「頬傷じゃないか、どうしたんだ?」
部屋の中に居たのは群れの副頭目である頬傷であった。
頬傷は、倒れているエルフを指差し苛立った様子で口を開く。
「いや、ちょっと時間が出来たんで交尾しに来たんだけどよ………この雌おかしいぜ。
もう頭がイカれちまってんじゃねぇかな。
叫ぶは、暴れるは、噛み付くはで交尾どころじゃ無かったぜ」
「ああ………」
白毛は倒れているエルフを見て合点がいった。
顔は原型を留めていないほど変形しているが、いつかの菖蒲色の目をしたエルフだ。
「もうすぐ前の狩りの馬も食いきっちまうし、そいつ潰して肉にしねぇか?」
「雌の管理については、歯抜の爺さんに確認しないと………」
「まあいいや。俺はこれからまた罠を仕掛けなきゃあならねぇから、もう行くぜ。
せっかくの休憩時間が台無しになっちまった」
「ご愁傷さん」
頬傷はぶつぶつと文句を言いながら、家畜小屋を去っていった。
「殺してやる、殺してやる、殺してやる………」
菖蒲色の目をしたエルフは大の字で仰向けに倒れたまま、まだ何事かをブツブツと呟いている。
その姿はひどい有様で、痛々しく腫れた顔面もさることながら、体中に擦り傷や打ち身のような跡が残っていた。
白毛は一つため息をつくと、仕方なくエルフに声を掛ける。
「おい、生きてるのか?」
何事かを呟いていたエルフは、白毛に声に反応し虚ろな目を向ける。
「ああ、いつかの出来損ないか………」
「確かに俺は出来損ないだが………お前にそう呼ばれる筋合いは無い」
白毛がエルフを見下ろして冷たく応えると、エルフは虚ろな目のまま、にやりと口角を歪めて言う。
「何だケダモノ、辛抱出来なくなって私を犯しに来たのか?」
「思い上がるなよ気狂い。
お前のような狂人、本当なら関わることだって御免こうむりたい所なんだ。
それに俺は群れが決めたことを破るつもりは無い」
エルフはヨロヨロと身を起こすと、壁に背をつけ、寄りかかるように座り込む。
そうして、狂気のはらんだ瞳で白毛を凝視する。
その禍々しい雰囲気に白毛は少しだけ気圧されてしまった。
「その割に、お前はよくこの小屋へ足を運ぶな。
何だ? 他の仲間が女を犯しているところを見て、愉悦を感じるような変態なのか?」
「………そんなんじゃない」
「じゃあ、何で?」
エルフは菖蒲色の瞳で真っ直ぐに白毛を見つめて、尋ねる。
白毛はその菖蒲色に取り込まれるような錯覚を感じ、本来なら伝えないことを、言ってしまう。
「母が………いるんだ」
「母……? オークのお前に?」
「ああ、母体………と言うべきか、どちらにしろ俺を産んだ母親だ」
白毛は静かにそう呟く、するとそれを聞いたエルフは口を歪めたかと思いきや、はははと激しく嘲笑する。
「正気か!? オークのお前に母だと!? 冗談にしてはあまりにも笑えないぞ!!」
「……………」
白毛は、狂ったような笑い声をあげるエルフから視線を反らす。
俺はこんな奴に何を言ってしまったんだ………と激しく後悔する。
「お前がどう思おうと勝手だが、あの人は俺を息子だと言ってくれる………だからあの人は俺の母なんだ」
「なるほどその女、要するに狂っているのだな」
「なんだと………」
エルフの言葉に白毛が気色ばむが、エルフはそんな白毛の態度を一向に気にする様子なく、更に言葉を続ける。
「要するにお前の母とやらは、完全に頭がイカれているんだよ。
ここにいる女は狂ってしまっている奴が多いからな。
その女はお前を息子と言っているのかもしれないが………断言してやろう。
その女の瞳に、お前は映っていない」
エルフはニヤニヤとした笑みを浮かべ、嬲るように白毛へ言葉を放つ。
「考えてもみろ、私たちがお前のように醜悪な獣を息子だなどと思う訳が無いだろう? その女はお前を、美しいエルフの少年だとでも思い込んでいるだけなんだ。
お前はイカれ女の妄想に付き合って、ままごとを演じているに過ぎない」
「黙れ………」
「滑稽だな、なぜ自分がエルフの息子などと考えることが出来た?
穢れきったケダモノの分際で………
お前たちオークに、母なんてものは存在しない!」
「黙れ!!」
白毛が大声で一喝する。
やめてくれ、そんな言葉は聞きたくない。
はあはあと息を荒げながら、白毛は冷静さを取り戻し、取り成すように言い捨てる。
「勝手にそう思っていればいい。
狂人の戯言など、俺の心には響かない」
「その割には思いつめているようじゃないか、声が震えているぞ?」
「ほざいていろ」
白毛はエルフに背を向ける。
もうこんな狂人と話すことは何も無い。
白毛は冷静な様を装い、部屋を出ると後ろ手に扉を閉めると、深く深呼吸をした。
バクバクと心臓が激しく鼓動している。
体中を冷や汗が滝のように流れている。
何を動揺しているのだ、俺は?
あんなもの、唯の狂人の妄言では無いか、気にするようなものではない。
白毛は震える自分の手を握り締め、必死で自分に言い聞かせる。
「母さん。あなたは俺の、母さん………ですよね?」
家畜小屋と呼ばれる小屋の中、白毛が1人呟いたその言葉は、誰にも応えられることなく―――霧のように霧散し、かき消えた。