第3話 オークの群れ
「来たか、白毛」
「ああ、片目」
オークたちの集落から少し離れた場所。
見晴らしのいい丘の上に片目は居た。
片目は丘の上に胡坐で座っており、手元には昼の狩りで手に入れた酒樽が一つ置かれている。
「まあ、座れ」
「ああ」
白毛は少し躊躇いつつ、片目の対面に座り込む。
「やるか?」
「いや、いい」
片目が酒の入った杯を白毛に差し出すが、白毛は丁重に断り少し急かすように口を開く。
「そんなことより、俺に話があって呼んだんだろ?」
「ああ、そうだな………さっさと済ますか」
白毛の言葉を受けて、片目はその場に座りなおすと、単刀直入に話を切り出した。
「この後、人間たちはどう動くと思う?」
「え………?」
片目から発せられた意外な言葉に、白毛は些か驚く。
「そんなの、俺が知るわけ………」
「そんな言葉は聞いていない、俺はお前の考えが知りたいんだ」
頑とした片目の言葉に、白毛は少し気圧されながらも考えをまとめる。
「そうだな………恐らく、今度は徒党を組んでやってくるだろうな。
馬車の護衛なんかじゃなく、俺たちを殺すために」
「何故だ? あの場に居たものは一人残らず殺した筈だぞ」
「あれだけの積荷だ、きっと人間たちは荷物が届かないことを不審に思っている。
人間の盗賊か、俺たちのような化け物に襲われたと十中八九考えるだろう」
何故片目が自分にそんなことを尋ねるのか疑問は残るが、白毛は自らの考えを朗々と述べていく。
白毛は書物などの知識から、他のオークに比べて人間というものに造詣が深かったし、何より賢いオークであった。
片目は、白毛が持つその非凡な才能を見込んで相談を持ちかけたのだが、その白毛から聞いた自分たちの状況は、あまり芳しいものではないようだ。
「人間の雌は手に入らなかった上に、人間共に目をつけられたか………昼間の狩りは失敗だったってことだな」
片目は悔しそうな様子でそう呟くが、それに対して白毛が取り成すように口を開く。
「いや、この状況はそんなに捨てたものではないよ」
「………何故だ? 俺には手詰まりにしか思えんのだが」
「群れのみんなは気付いてないけど、俺たちはオークの群れとして破格の強大さを持っているんだ。
単純に数が多いというのもあるけど、それだけじゃない。
まず、この群れには低脳種がいない………何せ全員、交配相手としては理想的な、エルフから生まれているからね。
次に、統率。これは片目の力だけど、群れの中で仲間割れや裏切りをしそうな奴がいないだろ? 俺たちは集団としてオークの中ではかってないほどまとまっているんだ。これは長年、片目が群れをまとめていたお陰だね」
「下らねぇ空世辞はやめろ」
「別にお世辞じゃないよ、事実だ。
そして3番目は俺たちの戦術。片目が狩りの時、口を酸っぱくして言っているアレだよ」
「アレ? アレって言うと………必ず1人に対して2人以上で戦うこと、ひと塊になって乱戦へ持ち込まないこと、傷ついた奴は後ろに下がり、他の仲間がかばうこと。
………これのことか?」
「そう、色んな本を読んだけど集団戦を意識して行うオークなんて記述はどこにも無かった」
「こんなの当たり前のことだろ?」
「その当たり前が出来ないんだよ………俺たちって基本的に馬鹿な種族だからさ。
………それで今の状況をまとめるけど、いま俺たちが迎えている困難は2つ。
1つ目、エルフ族の集落が壊滅して、高度な知能を持つ雌が補給出来なくなったこと。
2つ目、人間族が徒党を組んで俺たちを殺しに来るかもしれないこと。
この2つだ」
「ああ」
「だが、この2つはうまくやれば、まとめて解決出来る可能性がある。
まず、人間族が徒党を組んで俺たちを殺しに来たと仮定しよう。
さっきも言ったけど、俺たちはオークの群れとしてかなり強大で、人間たちも俺たちがこんな大規模な群れだとは考えてないと思うんだ。
ここに付け入る隙がある」
「やって来た人間を皆殺しにするのか?」
「逆だよ、生け捕りにするんだ」
「生け捕り?」
「そう、大部分は殺しちゃっていいけど、何人かは生け捕りにするんだ。
そして、この付近に人間族の集落が無いかを聞き出す。
手段は拷問でも何でもいい」
「人間の集落なんて聞きだしてどうする?」
「そりゃあ、雌を攫うんだよ。
片目だって今日の狩りで気付いただろ? 人間族は基本的に雄が戦うんだ。
どんなに狩りを続けたって人間族の雌は手に入らない。
人間の雌は集落の中で守られている、俺たちで言うところの幼体や年寄りと一緒さ」
「だが、この周りに人間の集落何てあるか? 今までだって何度も森の中を探し回っただろう?」
「確かに、集落の周りには無いだろうね。
でも街道が側にあるんだ。
街道ってのは街と街を繋ぐ道って意味でさ。
少し離れた位置であっても、付近に人間族の集落がある可能性は高い」
「ふむ………」
白毛の長々とした考えを聞き、片目は隻眼を閉じて考え込む。
片目は浅慮に物事を決めるようなことはしない。
重大な物事を決めるとき片目は熟考に熟考を重ねることを白毛は知っていた。
(まあ、実際のところ………そんなうまく行くとは思えないんだけどね)
白毛自身もそう独りごちる。
今、白毛が片目に対して話したのは、仮定に仮定を重ねた都合のいい未来である。
どれか1つでも綻びが生じれば、全てが破綻するような………そんな脆弱な未来の話なのだ。
「白毛」
片目が閉じていた隻眼を開き、白毛に問いかける。
「お前の考えが正しかったとして―――俺たちがこれからお前の言うとおりに動くとしたら、何をするべきだと思う?」
「そうだな………」
白毛は考えをまとめるように、ゆっくりと言葉を並べる。
「人間の集団が俺たちを殺しに来るまで、まだ時間がかかるだろう。
人間は厳正に組織だっているかわり、動きが遅い。
俺たちはその間に、拠点―――集落の防御力を向上させるべきだ」
「ほう?」
「人間たちと戦うのであれば、こっちから攻め込むのは得策じゃない。
俺たちはこの森の土地勘がある、人間が俺たちの全滅を目的としている以上、奴らは絶対に俺たちの集落を探索する。
そこを狙うんだ。
そして、そのためには集落………いや、この森自体を要塞化するべきだな。
森の地理を完全に把握し地図を作る、見張り台を設置する、投石用の石を各所に配置する―――これだけでも戦いに大きく影響する。
何より、集落の位置を人間に悟られないようにしなければならない」
「森の要塞化………か、覚えておこう」
自らの顎に手を当て、思案するような表情で片目が呟く。
そんな片目に対し、今度は白毛が問いかける。
「片目………人間と、戦争をするつもりか?」
「まだ決めた訳じゃねぇ、しかしこの集落を捨てて逃げ回った所で、エルフ共が残っていない以上、俺たちには破滅しかねぇ。
ハラをくくるべき、かもしれないな」
片目が空を睨むような、引き締まった顔でそう答える。
戦うのだろうな………と白毛はそんな片目を見て思う。
片目は聡明なオークだ。
この戦いが困難なものであることは、誰よりも理解しているのだろう。
それでも、戦わなければ自分たちに未来はない。
この群れがここまで大きくなったのは、知能が高いエルフを母体として繁殖してきたからなのだ。
通常のオークのように、野生動物などと交配すれば低知能のオークが数を増やし、本能のままに愚かな行動を取るだろう。
そして、人間や他の知的種族にこの集落の場所が知られたりすれば、自分たちを待つのは破滅の運命だけだ。
オーク族とは嫌悪と憎悪の対象、この世界の全知的種族が自分たちの根絶を願っている。
「ところで白毛」
「なに?」
片目が不意に声の調子を落とし、少し柔らかい口調で白毛に声を掛ける。
「お前、この群れを束ねるつもりはないか?」
「はあ!?」
あまりにも意外な片目の言葉に、白毛は思わず声を上げるが、片目は声の調子を変えずに言葉を続ける。
「俺もいい年だからな………そろそろ次の頭を決めようと考えても不思議では無いだろ?」
「それはそうだけど………何で俺なんだよ? 俺はみんなに比べて虚弱だし、選定だってまともに突破してない出来損ないだぞ!?」
「確かにそうだが、お前は頭がきれる。
これからは、お前のような奴が俺たちをまとめるべきじゃないかって、最近は思うんだ」
「…………………」
黙りこんでしまった白毛に対し、片目は取り成すように告げる。
「まあ、別に今すぐにって話じゃねぇ、俺だってまだまだ現役だからな。
………ただまあ、心の隅にでも留めておいてくれ」
「少し………考えさせてくれ」
「おう」
白毛はそう呟くと、片目に背を向ける。
片目はそんな白毛の、オークとしては小柄な背中を見送っていた。
片目は、知識が豊富で思考に優れる白毛を高く評価していた。
確かに白毛は他の仲間に比べて力が弱く、体質も虚弱であったが、彼の知識はそれを補ってあまりある。
「おい、片目」
そんな片目の背後から、一つの声が掛けられる。
片目が背後へ目を向けると、そこには頬に大きな十字傷を持つオーク―――頬傷が不満気な様子で立っていた。
「なんだ頬傷、居たのか?」
「片目、さっき白毛に言っていた話………あれは本気か?」
「何の事だ?」
「奴をこの群れの頭にする、ってぇ話だ!」
片目の言葉に頬傷が苛ついた様子で答える。そんな頬傷へ片目は悪びれた様子もなく鷹揚に頷いた。
「ああ、白毛は体こそ弱いが聡いオークだ。1匹では不安なところもあるが………あいつの同世代にはギザ耳がいる。
あの2匹が力を合わせれば、この群れを更に強大なものに出来ると思うんだ」
「ふん、軟弱な白毛に愚図のギザ耳が? 片目………アンタ、本気で言っているのか?」
頬傷はこの群れの第2位、実質的に副頭目の立場であった。
ギザ耳ほどではないが戦闘能力に優れ、白毛ほどではないが機知に富んでいる。
若い頃から片目の片腕としてこの群れをまとめてきたのだ、なのに片目は白毛を次の頭目に据えよう等と考えている。それが頬傷には納得出来なかったのだ。
仮にも仲間である白毛とギザ耳を愚弄するような頬傷の発言に、片目は眉をひそめる。
「頬傷………俺はいつだって本気だし、お前の言は不快に感じる。
白毛やギザ耳は、この群れに未来を託すに値する有能なオークだ。
お前は自分の立場を考えろ。軽はずみな言葉を吐くな」
片目の口調は穏やかであるが、その言葉の端々からは静かな怒りが含まれていた。
片目が最も嫌うのは、群れの和を乱すオークなのだ。
頬傷もそんな片目の怒りを感じ、言い訳するような調子で言葉を紡ぐ。
「べ、別に奴らを馬鹿にしている訳じゃねぇ。
だがな片目、ギザ耳はともかくとして白毛の奴だ。あいつはどうにも信用ならねぇ」
「何故だ?」
「アンタだって気付いているだろ? 白毛の奴は幼体の頃からずっと、家畜小屋へ―――母体のエルフの下へ通っているだろう? どうも交尾が目的とは思えねぇし、奴はどうしてエルフなんかに合いたがっているんだ?」
「……………」
頬傷の言葉に、片目は無言で持って答える。
そうなのだ。片目自身も「母体の下へ通う」という白毛の行動は納得の出来ないものであった。
オーク族にとって、母体とは自らを殺そうとしてくる脅威であり、乗り越えるべき宿敵でもある。
故にオークは母体に対して憎しみ以外の感情を抱かないし、まして好意など持つことはあり得ないのだ。
そんな彼らにとって白毛の行動は、明らかに不審なものであった。
それに、白毛については気懸かりなことがもう一つある。
「アンタだって、白毛がおかしな奴だと思っているんだろう?
だからこそ、奴の母体の白エルフに対する交尾を禁じているんじゃないのか?」
それは、白毛の異様な風体である。
黒鉄色の体毛に黄土色の瞳を持つのが通常のオーク、対して白毛はその名の通り純白の体毛、そして真紅の瞳を持って生まれてきた。
それは彼の母体―――プリムラと全く同じ色であった。
片目は外見に対してあまり拘りを持つオークでは無かったが、それでも初めて白毛を見たとき、何とも嫌な印象を受けたものだ。
純白の体毛もそうであるが、何よりも彼が持つ真紅の瞳。
その赤色から、何とも禍々しい、邪悪なものを片目は感じたのだ。
片目は仲間たちへプリムラとの交尾を禁じると同時に、白毛が交尾することも禁じた。
名目上、虚弱な体質の白毛が子を作り、同様に虚弱体質の仲間が増えては困るからだと伝えているが、実際はそうではない。
片目は不気味だったのだ、異様な白毛の姿が。
醜いオークでありながら、どこか神秘的な美しさを纏う白毛に、片目は何故か空恐ろしい感情を抱いていた。
もっとも、実際の白毛は仲間思いのお人よしで、いつも懸命に仲間たちへ尽くす健気なオークだ。片目自身、白毛にそんな感情を抱いてしまうことに対して、自己嫌悪の情を持っている。
だからこそ今回、自分の偏見さを取り除くべく、白毛に対して頭目の話を持ちかけたのだった。
「確かに………白毛の母体に対する態度。あれは理解の出来ないところがある。
だがな、白毛がこれまで群れにしてきた貢献、これは奴の不審な部分を補ってあまりあるものだ。
俺は考えを変えるつもりは無い」
「まあ、アンタがそう言うのなら、俺も文句は言わねぇ。
精々、足元をすくわれないようにするんだな。奴がエルフ共に懐柔されている可能性だってあるんだぜ?」
「頬傷………俺はたった今お前に、軽はずみなことを言うなと伝えた筈だが?」
「………ふんっ」
頬傷は納得のいかない様子ではあったが、断固とした口調の片目を前にそれ以上の文句は言わなかった。
苛々とした様子で去っていく頬傷の背を目で送りつつ、片目は静かに杯を呷る。
「それに………もし白毛がエルフなんぞに心を奪われているようなら………そんな欠陥野朗は群れから排除するさ」
満天の星空の下、月明かりで酒を照らしながら、
片目は厳しい顔つきで、そう独りごちていた。
他の知的種族と交流のないオーク族は知らないことであるが―――この世界には、一つの伝説がある。
いや、それは伝説と呼ぶにはあまりにも新しく、歴史にも刻まれた事実の物語であった。
世界の破滅を願った、一人の男の物語。
後世の人々は、その男を『魔王』と呼ぶ。
その男は、白い髪に紅い瞳を持った異形の姿で、
超常的な力を有していた。
その白髪に触れたものは、心が狂い、怪物となる。
その紅眼に映ったものは、運命が狂い、破滅を招く。
その男は、2人の英雄に滅ぼされるまで、
願うがまま、望むがままに世界を絶望に導いたと言われている。
人間たちが『ゴルトー叙事詩』と呼ぶそれは、人間も、エルフも、ドワーフや妖精ですらも知っている、この世界で最も新しく、影響力を持った伝説であった。
故に、この世界に生きる知的種族はみな、白い髪を嫌悪する。
紅い瞳に恐怖する。
それはまさに、破滅を象徴する呪いの印であったのだ。