第46話 雪のような、オークの話
集落が燃えている―――。
白毛の紅い瞳の中で、炎の橙色がゆらゆらと揺れている。
眼下に広がる、オークたちの集落には火が放たれていた。
彼の住処であった小屋も、その火の海へ沈んでいる。
(どうやら………終わったようだな)
白毛は目を閉じる。
彼が生きてきた集落、彼が誇りに思っていた仲間、彼が愛したオークたちの痕跡。
その全てが、忌々しい出来事を消すかのように、炎に燃やされていた。
早朝から夜更けに至るまで、丸一日をかけて行われたオーク族の殲滅。
森一帯を襲った吹雪は止み、暗褐色に覆われていた筈の空がいつの間にか晴れ渡っている。
白毛が空を見上げると、そこには沢山の美しい星々が眩しいほどの光を湛えて煌いていた。
(そういえば、母さんは星が好きだった。
結局、俺は母さんに星を見せてあげることが出来なかったな)
クスリと白毛は自嘲するような笑みを浮かべる。
仲間たちを裏切っておきながら、母のことを考えるとは………自分は何と薄情なオークなのであろうか?
白毛が佇む丘は、日中降りつづけた吹雪によって、一面の銀色に染められていた。
白毛の背後から、そんな銀色を踏みしめる、ズサリッという音が響く。
「やあ、君か」
白毛はその音に振り向くと、音の主に笑顔を浮かべてみせる。
そこには、彼が最近知り合った、白金色の髪をした女騎士が立っていた。
「シロゲ、オークたちは騎士団によって殲滅されました。
今は、残存者を探していますが………恐らく生きている者はいないでしょう」
何故か心苦しそうな表情を浮かべて、そう呻くヴァイスに対し、白毛はゆっくりと首を振ってみせる。
「いや………違うな。ここにまだ一匹、オークが残っている」
「シロゲ………!」
白毛の言う言葉の意味を理解し、ヴァイスは一歩踏み出すと、意を決したように口を開く。
「貴方までもが、死ぬ必要はありません!
私は王都において、それなりに口が効きます。今回のオーク討伐、あなたが協力者であったと公表すれば、どこか静かな場所で生きることだって―――!」
ヴァイス自身、そんなことは不可能であると理解しているのだろう。
必死に紡ぐその言葉は、どこか歪で空虚なものであった。
白毛はそんな彼女に、少し困ったような微笑を浮かべてみせる。
「ヴァイスさん。貴女ならわかるだろう?
俺は仲間たちを破滅に追い込んだんだ。そんな俺が生きていくことなど出来ないよ。
もし、人間たちが俺を許したとしても、俺は俺が許せない。
だから、これでいいんだ」
「……………」
俯いてしまったヴァイスの小さな頭に、白毛の大きな手が包み込むようにかぶせられる。
「それに、ようやくわかったんだよ。
俺は幸せなオークだった。
沢山の愉快な仲間や、優しい母。それに君やアイリスのような素敵な人たちに出会うことが出来たのだから………だから、俺に悔いは無い」
「シロゲ………」
ヴァイスは静かに、白いオークを見上げた、その時―――
「白毛から離れろ! 人間族!!」
銀色の丘の上に、猛々しい怒鳴り声が響き渡り、一条の光が白毛とヴァイスを寸断するように縦一線に放たれた。
「!!?」
ヴァイスは即座にそれに反応し、後ろ跳びに跳躍すると、突然の乱入者へと目を向ける。
そこには、耳がギザギザに裂けたオークが一匹、ヴァイスを睨みつけていた。
その目は血走り、憤怒と昂奮に猛り狂っている。
「ギザ耳………!?」
「探したぜ、白毛。
群れは騎士団のせいで壊滅状態だ。
だが、俺とお前がいればきっと再起することは出来る!
いや、きっとしてみせる!!」
おそらく、死闘を続けていたのだろう。
ギザ耳は全身に切創が浮かび、おびただしく出血している。
そして、その右目は焼け爛れ、黒い穴がぽかりと空いていた。
正に満身創意といった状態であるが、残った左目はまだギラギラとした黄土色の光を放ち、獣の様相を帯びている。
オーク族最強の戦士、ギザ耳。
その力の根源は、恵まれた体格でも、身につけた剣術でもなく。
心臓から全身へと漲る不屈の闘志。オーク族の蛮勇ともいえる精神力であったのだ。
「ギザギザ耳のオーク………」
ヴァイスは一度、ギザ耳と剣を交え、多少の関わりもあるのだが、恐らく今のギザ耳はそのことに気付いていないだろう。
怒りに忘我したギザ耳は、燃えるような気迫でヴァイスに挑みかかる。
「おおおおおおぉぉぉ!!!」
白い雪煙を巻き起こし、ギザ耳の強烈無比な一撃がヴァイスのへと放たれる、ヴァイスはそれを細剣で絡めとり、空へ向けていなしていく。
「なめんな!!」
しかし、ギザ耳は残った左手で拳を作ると、ヴァイスの胴体を思い切り殴りつける。
オーク族の拳。それは人間の体など容易く破壊する、恐るべき凶器であるのだ。
「くっ!」
ヴァイスはその左拳を、距離を取ることでかろうじてかわし、左腕の腱を断ち切るように手首へ刃を走らせる。
その刃は確かにギザ耳の手首の腱を切り裂くが、
「それが、どうした!!」
ギザ耳は意も介さぬように、その左手でヴァイスへ裏拳を叩きつけた。
「はう!!」
ギザ耳の常軌を逸した攻撃に、ヴァイスは弾かれ、雪原へと吹き飛ばされる。
「ギザ耳、やめろ! やめてくれ!!」
白毛は、必死になってギザ耳の肩を引き止める。
どうしていいかわからない、というのが正直な所だ。
ギザ耳は白毛の言葉に、ピタリと動きを止めると、ゆっくりと彼の方へと顔を向けた。
「白毛、お前は俺が守る。
だから、きっと群れを取り戻そうぜ。
俺はお前と一緒なら、何だって出来る………そんな気がするんだ」
ギザ耳の姿はこれまで見たことがないほどに焦燥し、衰弱したものであったが、瞳の奥にはまだ力強い光が残っている。
それは彼に残った微かな希望。
全てを失ってもなお、ギザ耳はオークとして生きることを選択したのだった。
「あ………ああ……」
「ちょっと待ってろ。とりあえず、あの騎士は殺す。
その後で、これからのことを考えようぜ」
呆然とする白毛に対しギザ耳はそう伝えると、再び瞳に獣の気迫を宿し、起き上がったヴァイスへとその剣を向ける。
「ぶっ殺してやる! 人間族!!」
「つっ!!」
嵐のようなギザ耳の連撃を、ヴァイスはやっとの思いで受け流し続ける。
ギザ耳は重傷の筈であるが、その剣は以前交えた時よりもその鋭さを増していた。
「よくも、集落を!!
よくも、仲間たちを!!
よくも、俺たちの全てを、奪ってくれたなぁ!!」
ギザ耳の口からは咆哮とも慟哭とも取れぬ叫びが漏れ続ける。
それはヴァイスに向かって放った言葉なのだろうが、そのまま白毛の心へと突き刺さる。
だって、この群れが壊滅したのは、白毛の手引きによるものなのだから………。
「俺は、お前たちを許さん! 絶対に許さん!!
俺たちを嫌悪する、お前たちを!
蔑んだ視線を向けるお前たちを!
俺たちが生きることさえ許そうとしないこの世界を!
全部全部まとめて、ぶっ殺してやる!!!」
鬼人の如き、鮮烈さを持って奮い続けるギザ耳の剣を、ヴァイスは死に物狂いで捌き続ける。
一瞬でも集中が切れれば、即座に死が待っているだろう。
それほど、ギザ耳の剣には鬼気が宿っていた。
ガチガチという音がする。
それが、自分の打ち鳴らす牙の音だと気付くのに、白毛は幾許かの時間を要した。
震えているのだ、自分は。
自分のしたことの恐ろしさを、ようやく理解して―――。
決して、自分のしたことに気付いていなかった訳ではない。
しかし、目の前で怒りに震えるギザ耳を見たことで、白毛は自分のしたことが、どんな理由であろうと決して許されるものでは無い、ということを本当の意味で理解したのだ。
体が震える。目の前が真っ暗になる。
頭がクラクラする。
仲間殺しという大罪を犯した白毛は、その罪の重さに震えつづけるのだった。
◇
(くそ、目の前が霞む。意識を維持出来ねぇ)
ギザ耳は怒りに満たされながらも、どこか冷静な部分で自分の体調をそう判断していた。
今は騎士に対し、気迫のみで圧倒しているものの、この怪我だ。
闘いが長期になれば、先に倒れるのは自分だろう。
獣の意識に己を捕らわれつつ、ギザ耳の剣士としての部分は周到に現状の打開を狙っていた。
ギザ耳の脳裏に、いつかの戦士の姿が浮かぶ。
高齢でありながら、ギザ耳を翻弄し、窮地に立たせた1人の男。
その技を。
ギザ耳は嵐のように放っていた連撃を止め、息を整えながらヴァイスに対して剣を構え相対する。
嵐が巻き起こった後の静けさのようなそれに、ヴァイスは怪訝に思ったが、限界が近かったのは彼女も同様である、彼の間合いから離れ、油断なくギザ耳を凝視した。
しばし、1人と一匹は互いに剣を構えたまま相対する。
ギザ耳はジリジリと間合いを詰めると、ヴァイスの間合いに入るギリギリのところであえて剣先を上げ、隙を作ってみせる。
それはかって、1人の老獪な戦士がギザ耳に使った剣術。
手だれの相手に使用する誘い技であった。
「!!」
そして、ヴァイスはその誘いにまんまと乗り、ギザ耳の喉へと刺突を繰り出す。
いつもの彼女であれば、易々と誘いに乗ることは無かったかもしれないが、度重なるギザ耳との剣戟によって、ヴァイスの集中力は限界状態であったのだ。
「間抜け!!」
ギザ耳はヴァイスの刺突を左毛の平で受け止める。
刃が手の甲を貫通するが、どうせ左腕はもう使い物にならないのだ、どうだっていい。
「しまった―――!?」
ヴァイスが己の失態に気付くが、もう遅い。
得物を完全に封じられたヴァイスへ、ギザ耳は右手を振りかぶり袈裟斬りつけた。
斬りつけようと、した。
したのに―――
「痛ってえ………?」
ギザ耳は驚愕の表情で己の肩を見つめる。
そこには、一本の矢が刺さっていた。
肩口に刺さった小さな刺し傷。
しかし、その傷からは耐え難い激痛と不快感が全身へと流れ込むように広がっていく。
「白毛…………?」
「ごめん………ギザ耳、俺は………」
視線の先には、親友が矢を放った体勢のまま、彼を見つめていた。
「-―――。」
ギザ耳は力尽きたように、そのまま仰向けに倒れ伏す。
立ち上がろうとするのに、体には力が入らず、寝返りさえも不可能なようだ。
白毛がギザ耳に放った弓矢。それは彼が片目を殺す際にも使用した毒が塗ってあった。
困惑するギザ耳の傍らに、白毛は座り込み、その胸に額を当てて嗚咽する。
(白毛のやつ、何で泣いてんだ? また頬傷の野朗にいじめられたのか?)
即効性の猛毒にその身を犯されたギザ耳は、意識がやや混濁し始めていた。
「ごめん、ごめん、ギザ耳………ごめん」
壊れた機械のように、自分への懺悔を続ける白毛に対し、ギザ耳はにかりと微笑みを浮かべる。
よくわからないが、この白い親友は何やら自分へ謝罪をしているらしい。
だったら気にするなと伝えてやらなければ。自分と違って繊細な性質の親友は気を病んでしまうだろう。
例えどんなことをされたって「自分が白毛を許さない」などということは、あり得ないのだから………。
「し………ろげ」
「ギ……ザ、耳?」
消え入りそうな声で白毛が自分の名を呼ぶ。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
馬鹿、何て顔をしてやがる。
お前は未来の頭目になるかもしれない男なんだぞ? 情けない面をするんじゃない。
「………いいんだ。そういうことなら………それでいい」
だから、そんな顔すんな―――。ギザ耳はそう言葉を続けたつもりであるが、体を回る毒はそれを許さず、その言葉が音として発せられることはなかった。
◇
ヴァイスはよろよろと、白毛の下へと向かう。
純白のオークは呆けたように、親友だった死骸の前で膝をつき、空を見上げていた。
「シロゲ………」
「ヴァイスさん」
白毛はゆっくりとヴァイスの方へ目を向ける。
その紅い瞳からは溢れるように涙が流れていた。
「星とは、美しいものだったんだな」
「え………?」
「俺はオーク族だから、何かを綺麗だと感じる感情は無いんだ。
だけど、何故だろう?
この星空を眺めていると、胸の中に風が流れているかのように麗しく感じてしまう。
これが、美しいってことなのかな?」
心の底から不思議そうに、白毛はヴァイスに呟くと、そっとギザ耳の頬へ手を当てる。
「まったく………ようやく楽になれると思ったのに………。
運命というモノは、心底俺を嫌っているらしい。
最後の最後に、とんでもない事をしてしまったよ」
「……………」
目から涙を流しながら、白毛は乾いた笑みを浮かべる。
『助けてくれてありがとう』『貴方に辛い思いをさせてすまない』
ヴァイスは彼にそんな言葉たちを伝えたかったのであるが、壊れたように穏やかな笑みを浮かべて、激しく涙を流す白毛を目の当たりにし、ヴァイスは全ての言葉を失ってしまっていた。
「ヴァイスさん。突然ですまないが、最後に一つだけお願いを聞いてほしい」
「………何でしょう?」
白毛はプリムラ・シネンシスの鉢植えを手に取ると、そっとヴァイスの方へと差し出した。
「すぐにとは言わない。どうかこの事が落ち着いたら。
この地に、この花を植えてくれないだろうか?」
「花を………?」
「そう。何でそんなことを望むのか、実は俺自身にもよくわからないんだけど………。
俺はこの地に咲く、白い花を見てみたい。
それを母さんやギザ耳、群れのみんな。
―――そして、俺の墓標としたいんだ」
「……………墓標」
「ヴァイスさん。頼まれてくれるかい?」
白毛は微かに震える手で、ヴァイスの眼前へ鉢植えを示す。
ヴァイスは涙の滲む自分の目を必死で擦ると、諸手でしっかりとその鉢植えを受け取った。
「お任せください!
騎士の名に賭けて、シロゲの願いは私が叶えてみせましょう!」
恭しく礼をする女騎士に対し、純白のオークは目を細める。
「ありがとう………これで、もう思い残すことはない」
白毛はゆっくりと立ち上がる。
その手には、片目から渡され、プリムラや片目の命を奪った短刀が握られていた。
「もっと話したいこともあったけど………ギザ耳を殺してから、どうも心が砕けてしまいそうなほど苦しくてさ。
だから、これでさよならだ。勇敢で美しい女騎士さん。
俺は、最後に貴女にあえて、良かったよ」
「さようなら。純白の聡明なオークさん。
私こそ、貴方と出会えて良かったです」
ヴァイスは笑顔を浮かべる。
彼が最期に見たものは笑顔であるべきだと、何故か彼女は思ったのだ。
白毛は最後に小さく笑うと、己の喉に短刀を突き刺す。
即効性の毒が塗りこまれたそれは、全身に苦痛と不快を送り込むが、白毛はそれを穏やかな気持ちで受け入れていた。
目の前が暗くなっていき、体からは力が抜けていく。
思考が散漫に、意識が沈むように遠のいていく。
暗い海に沈んだような意識の底で、白毛はどこか懐かしい暖かいものに出会った気がした。
(ああ………そうだ、俺はこれが欲しかったんだ)
それは母であるのか友であるのか、また別の何かであるのか悟る前に、白毛という生き物の意識は完全に世界から途絶えたのだった。




