第36話 とあるオークの最期
夜が明けた。
オークの集落にも、再び朝陽が差し込み始める。
白毛は、そんな朝陽に目を突き刺されるような錯覚を感じながら、自らの小屋を出る。
ここ、3日3晩は碌に眠っていない。
以前から、騎士団との戦争を指揮するため、白毛の睡眠時間は削られていたが、『魔人』となってからは睡眠と言えるほどの睡眠を取っていないのだ。
それでも、白毛の紅い眼差しに疲労のようなものは見られない。
体力は限界に近いが、逆に集中力や思考力は抜き身の剣のように際立っている。
準備はもうじき終わる。
白毛を苦しめ続けてきた、この集落はもうすぐ破滅を迎えるのだ。
そう考えるだけで、白毛の心を暗い安寧が包み込む。
そのためにも、これから行うことは、決して失敗が許されない。
白毛は決意を固めるように、目を閉じる。
白毛はそっと腰の短刀を引き抜く。その錆び付いた刃には、毒が塗ってあった。
集落には、すでにちらほらとオークたちの姿が見える。
昨日、頬傷たちが騎士団へ襲撃を仕掛けてことで、その結果を気にして頬傷たちの姿を探しているのだ。
ギザ耳は恐らく、まだ眠っているだろう。
昨日の女騎士との一戦、あれからギザ耳は疲れ果てている様子であった。
ギザ耳が起きてくれば、きっと自分の隣に並ぶだろう。
最近ギザ耳は、妙に自分のことを気にしているようだ。愚鈍な彼が、自分の動きに気付いていることはないと思うが、これから行うことを考えるとギザ耳が側にいるのは何かと面倒だ。
白毛がそんな思索に耽っていると、広場の中心で何やらガヤガヤと騒いでいる声が聞こえてきた。
何事かと思い、声へ足を向けると、そこには昨日頬傷と騎士団拠点へ攻め込んだオークの敗走者たち8匹が、周りを他のオークたちに囲まれるようにして立ち竦んでいるのが見える。
「顎割、どうしたんだ?」
「おう、白毛か。ちょうどいい所に来た」
囲んでいるオークたちの中心で何かを話していた顎割が、割れた顎をオークたちに向けてしゃくると、困ったような表情で告げる。
「こいつら、昨日頬傷と一緒に騎士団拠点に攻め込んだ連中なんだが………どうやら頬傷は戦死したらしい。
この連中以外は全滅したってぇ話だ」
「全滅?」
「ああ、こいつらが言うには、白毛の言ったとおり、騎士団から弓矢を射られて、拠点まで辿りつくことも出来なかったんだとさ。
それで―――」
「白毛! 俺たちが馬鹿だった! 頬傷の野郎にまんまと乗せられて………あれは俺たちの意思じゃ無かったんだ!
何とか俺たちを群れに戻してくれないか!?」
説明する顎割を遮り、逃走してきたオークたちの一匹が必死な調子でそう懇願するが、白毛は冷めた眼差しで、そのオークを一瞥すると、興味の無い様子で告げる。
「お前たち、まさか仲間を見捨てて逃げてきたのか?」
「み、見捨てたなんてそんな………俺たちはただ………」
白毛の返答に先ほどのオークがシドロモドロとなって口ごもるが、正直に言えば彼らのことなど白毛にとってはどうでもいい。
周りを見渡すと、この騒ぎによって群れの大多数のオークたちが広場に集まって来ているようだが、その中に片目の姿は見えない。
「顎割、片目はどうしたんだ?」
「あ? そういや、姿が見えねぇな。たしか昨夜、しこたま酒を飲んだらしいし、まだ寝てるんじゃないか?」
顎割の言葉に、白毛は目を細める。
(今が好機、だな)
白毛はにこりと笑みを浮かべると、快活な様子で顎割に声を掛ける。
「どちらにしろ、彼らの処遇を俺たちが決める訳にもいかないな。
顎割、みんな。とりあえず彼らの見張りを頼む。俺は片目から指示を仰いでくるよ」
「おう、頼んだぜ」
白毛はオークたちにそう伝えると、ふらりと片目が住む小屋へと足を進めていく。
そしてガシリと腰に下げた短刀を握り締めた。
(片目を………殺す)
◇
「片目………起きているか?」
「白毛か………?」
いま目を覚ましたのか、片目は寝床からむくりと上半身だけを起こし、白毛の呼びかけに答える。
彼の周りには多数の酒瓶が転がっていた。
どうやら昨晩は随分と酒をあおったようだ。
「つつ………」
「大丈夫か、片目?」
「ああ………」
片目が気だるげに頭を抑え、顔をしかめる。
こんな片目は珍しいと、白毛は独りごちる。
片目は酒好きなオークではあるが、二日酔いになるほど深酒をするのはごく稀なことである。
頬傷が自分に反目したことが余程堪えたのだろうか?
何にしても、彼が本調子でないことは、白毛にとって好都合だ。
「片目、単刀直入で申し訳ないが、報告だ。
頬傷が昨夜、騎士団拠点に攻め込んで………そして壊滅した。
頬傷は戦死。生き残ったのは僅か8匹程度のようだ」
「………………」
白毛の報告を受け、片目はその隻眼を閉じる。
そして、空の酒瓶を片手で弄びながら、小さく「そうか」と呟いた。
「生き残った8匹は、いま顎割たちが確保している。
彼らは「俺たちが馬鹿だった、また群れにいれてくれ」なんて言っているけれど………どうする?」
「どうするも何も、元より奴らを群れから追放した覚えはない。
勿論、一度はなしをつける必要はあるが………俺はいま、少し調子が悪い。
ちょっと待ってくれ」
「わかった」
片目の言葉に白毛は頷く。
片目は苦しそうな様子で頭を抱えつつ「俺もいよいよ齢だな」などと嘯くと、不意に真剣な眼差しを白毛に向けた。
「ところで白毛、頬傷の死体は回収出来そうなのか?」
「いや、無理だろうな。生き残りから話を聞いただけだが、頬傷は騎士団拠点の間近まで攻め込んでいたらしい。おそらく死体はすでに、騎士団が回収済だろう。
頬傷の遺体が気になるのか?」
「いや、そういうことなら、それでいい………」
片目は深々とため息をつく。
なんだか昨日から片目は一気に老け込んでしまったようだ。
今までの彼は高齢ながら、生命力に満ちたオークであったのに、今日の彼はあまりに精彩に欠いている。
「片目、少し外の風に当たってきた方がいい。
小屋の中にいても、気が滅入るだけだと思うぞ?」
「そうだな………そうするか」
「ほら、手を貸してくれ」
白毛がそっと片目に対し手を差し伸べると、片目はおぼろげな手つきでその手を取る。
白毛が手に力をいれ、片目を起こそうとすると、彼はよろよろといった様子で立ち上がり、小屋の外へと伴われていった。
◇
冬の淡い朝陽が照らす、深い森の中。
2匹のオークがとぼとぼと歩を進めていく。
まだ、足元がおぼつかない片目の手を、白毛はしっかりと握り、彼を森の奥深く、集落の外れへと連れて行った。
「どこに行くんだ、白毛?」
「この先に小さな泉がある、そこの水は冷たくて旨いんだ。
二日酔いの体にはよく沁みるだろう」
「ほう………」
さらに数刻、歩を進めると2匹の眼前には緑に包まれた小さな泉へと広がっていた。
泉の水は澄んでおり、その流れは青く清らかであった。
白毛はその泉の水を器で一杯すくい、木陰で身を休ませる片目の下へと持っていく。
「ほら、片目」
「ああ………」
片目は白毛から器を受け取ると、ごくごくと喉を鳴らしながら、その水は旨そうに呷る。
その水は白毛の言葉通り、冷たくて、痛む頭を癒していくかのようだ。
「それにしても、何でこんなところまで来たんだ?
確かに美味い水だが、水くらいなら集落にもあるだろう?」
「だって、片目はいかにも具合が悪そうだったからね。
唯でさえ、いまは群れがざわついているんだ、頭目が調子の悪いところは見せられないだろ?」
白毛の言葉に、片目はフッと自嘲するような笑みを浮かべる。
「お前には………本当に世話をかけるな。白毛」
「なに言ってるんだ。水を汲んできただけだぞ?」
白毛が笑みを浮かべたままそう返すも、片目は変わらずにくくくと笑い、器に映る自分の顔を見つめている。
「あの程度の酒で、ここまで弱っちまうとは………俺も歳を食ったもんだ」
「年寄り臭いことを言うな片目。歯抜の爺さんにどやされるぞ?」
「あのジジイは例外だ。ありゃあ、バケモンだな」
片目は珍しく冗談めかした様子でそう嘯き、笑顔を浮かべる。釣られて白毛も笑みをこぼした。
「少し………休んでいくか」
「いいのか? 集落にはまだやることが沢山残っているぞ」
「最近は、俺もお前も気を張り続けていただろう? 偶に休んだくらいで罰は当たるまいよ。それに、今日は天気がいい」
片目はごろりとその場で横になると、静かに目を閉じる。
頭目として、気を張り続けていたのだろう。最近は片目も憔悴したような表情を浮かべていることが多かった。
白毛はそんな片目を見下ろしつつ、その隣に腰掛ける。
「なあ、白毛」
「何だ」
「俺はお前が生まれてきたことに感謝している」
「はぁ?」
片目がぼそりと呟いた、予想外の言葉に白毛は困惑の声を上げた。
片目はそんな白毛に頓着せず、目を閉じたまま言葉を続ける。
「俺たちオーク族ってのは………まあ、どうしようもない種族だ。
お前が生まれてくる前、俺がまだガキだったころ。
この群れは今のようにまとまっていなかった。
どいつもこいつも勝手なことばかり考え、本能のままにエルフを狩り、無計画に殺していった。
それがオークの本能であり本懐と言ってしまえば、それまでだが………。
無計画な蹂躙、楽しみを得るためだけの殺戮。意味の無い破壊、狩り………その結果がこれだ。この辺りのエルフの里は壊滅しちまった」
「………………」
「白毛………俺自身、オークの在り方は破壊と殺戮、そして陵辱だと考えている。
俺には、そんな結論しか見出せなかった」
片目はそっと、閉じていた目を開く。
「俺たちオークは邪悪な種族だ。その生まれ、生き様に至るまであまりに暴虐に満ちている。大量の憎悪と屍の上でただ破滅を待ち受けるだけの、愚かな獣………オークとはそんな種族であると考えて、俺はこれまで生きてきた。
だがな、そんな中、お前が現れたんだ。
お前なら………俺たちとはどこかが違うお前なら、俺たちに別の未来を創ることが出来るかもしれない………最近、そんなことを考えるんだ」
片目はその隻眼をそっと白毛の方へと向ける。
黄土色の瞳はどこか疲れ果てており、憔悴の浮かぶものであったが、同時にどこか満ち足りているものでもあった。
「頬傷の亡きいま、この群れをまとめることが出来るのはお前だけだ。
俺たちは破壊と殺戮しか知らない愚かな獣ばかりで、世界は俺たちが生きることを望んでいないのかもしれない。
だから、白毛。群れの仲間たちを頼む。
お前なら、こんな世界の片隅にでも、俺たちが生きる隙間を創ってくれるのではないかと思うんだ」
「さっきから何を言ってるんだ………片目。
まだ、酔っているのか? これじゃあ、まるで………」
「なに、騎士団との戦争が終わるまで、頭目を辞めるつもりは無いさ。
ただ、少しばかり………俺は疲れた」
呟くようにそう言うと、片目は再び目を閉じ、無言となった。
白毛はそんな片目を見つめる。
(オークたちが生きる隙間だと?
とち狂ったことをぬかすなよ、害獣。
お前たちオークに、救済は存在しない)
白毛の紅い瞳が更に深く、濃い、赤色に変色していく。
そして、音も無く、腰に下げた短刀を引き抜いた。
「片目」
「……………」
白毛の呼びかけに片目は応えない。どうやら眠ってしまったようだ。
白毛は手に持った短刀を逆手に持ち、その刃を見つめる。
刃には即効性の毒が塗ってある。いかに屈強なオークといえど、これをくらえば即座に死へ至るだろう。
白毛は短刀に両手を添えると、片目の胸に目掛けて、一突きで短刀を刺し入れた。
「……………!!」
同時に、片目が隻眼を見開き、驚愕の表情で自らの胸元を見つめる。
その目には、自分の胸に短刀を突き立てる白毛の姿が映っていた。
「し………ろ、げ…………?」
片目は胸元から全身へと焼け付くような痛みが回っていくのを感じながらも、白毛の赤い瞳へ向けるが、それに対して白毛は無表情を持って、応える。
「さよなら、片目」
即効性の毒を、直接心臓部分に注入されたのだ。
いま、片目の全身には、想像を絶するような激痛と不快感が襲っているだろう。
それでありながら、片目は白毛の応えを聞いた途端、その瞳からは驚愕も困惑も消え、全てを悟ったような、平静な物へと移り変わる。
そして、小さく、一言
「そうか」
と呟いた。
◇
「片目?」
白毛は動かなくなった片目の体を、足でゆさゆさと揺らす。
次に呼吸、脈拍の確認。更に瞳孔を確認する。
どうやら、絶命したようだ。
「よし」
白毛は小さく、そう呟くと、片目の死体を泉の側まで引きずっていく。
そして腰元からもう一振りの剣―――昨日、ヴァイスから奪った細剣を手にすると、片目の胸に開いた刺跡へ、改めてその細剣を突き刺した。
(これでよし、と)
片目を殺す―――白毛のそんな目的は無事、完遂した。
片目は白毛が幼体であったころから懇意にしていたオークであったが、白毛の心には何の感傷も浮かばない。
厄介な奴を消すことが出来た、と感じるだけだ。
白毛は満足気に息を吐くと、もう振り返ることもなくその場を立ち去っていった。
史上、類をみないほど大規模となったオークの集団。
その頭目を務めた、聡明な隻眼のオーク。片目。
誰よりも仲間の未来を案じていたそのオークは、誰にも知られることなく。
その仲間の手にかかって、18年間の生涯に幕を下ろしたのである。




