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第29話 純白の獣

 オークの集落の中、白毛は姿を現す。

 その手には、白いエルフの亡骸が抱えられていた。


「遅かったな、白毛」


「ああ、待たせて悪かったな片目」


 白毛は顔をほころばせ、照れたように笑みを浮かべる。


「恥ずかしながら、たかがエルフ一匹に手間取ってしまったよ。

 見てくれ、体中が血まみれになってしまった」


 そう語る白毛は柔和な表情で、それはいつもの白毛そのものであった。

 そんな彼の姿に片目は目を細めると、頬傷へ向けて確認するように問う。


「頬傷、白毛は命令どおり母体のエルフを仕留めてきたぞ。

 もう文句はないな?」


「俺はもう、そいつのことを信用する気はねぇぞ」


「頬傷―――!」


「ははは、まいったな………まあ、頬傷。

 俺を信用してくれないのはしょうがないけれど、勝手なことはしないでくれよ?」


 この後に及んでもそう毒づく頬傷に対し片目は声を荒げかけるが、それは白毛の笑い声によってかき消された。


「ちっ」


 一時は地に落ちた、群れからの白毛に対する信用であるが、彼が片目の指示どおり母体を仕留めてきたことによってそれは回復していた。

 今、頬傷に対し恭順の意を示すオークはいない。


「そんなことより、その白エルフ早く捌いちまおうぜ。

 俺は腹が減っちまったよ」


「ああ、そうだね」


 真っ先に白毛の下へと駆け寄ってきた顎割が話題を変えるようにそう言うと、白毛は抱えていたプリムラの亡骸を調理台の上に寝かせる。

 すると、歯抜が巨大な肉切り包丁を手に白毛の下へやってきた。


「白毛、お前さんは体でも洗って来い、その間にワシがそのエルフを捌いちゃる」


「いや、いいよ。

 俺はもう体が汚れてしまっているし、汚れついでに解体も俺がやるよ。

 歯抜の爺さんは料理の準備をしていてくれ、今日はこれをスープにするんだろ?」


「そうか? すまんな」


 白毛は歯抜から肉切り包丁を受け取ると、その刃先をプリムラの喉に刺し、そのまま下腹まで一文字に切り開いた。

 そして、腹の中に手を突っ込むと、軽快な様子で内臓を器へと移していく。

 鼻歌交じりにその作業を行う白毛は見てわかるほど上機嫌で、楽しげにプリムラの体を切り刻んでいる。


「よう、何だか上機嫌じゃねぇか」


「まあね」


「しかし、殺し方が下手糞だな。

 ほとんど血が抜けちまってるじゃねぇか、もったいねぇ」


「そこは簡便してくれよ………エルフを潰すのは初めてだったんだ。

 どうもうまくいかなくてさ」


 顎割からかけられた言葉に、白毛は苦笑交じりに応える。

 談笑を交わしながらも、白毛は丁寧にプリムラの内臓を全て取り出すと、次の作業へと移っていく。

 

 白毛は笑いながら、プリムラの白い髪を頭皮ごと削ぎ落とす。

 紅い眼球をくり貫く。


 無数の古傷が残る、痩せた体を炎で炙り、そして皮膚が焼けてグシャグシャになったのを確認すると、ヤスリのような手の平で剥がれかけた皮膚をこすり落としていった。


「ふう、こんなものかな?」

 

 白毛は肉の塊へと変わったプリムラを前に、満足そうな表情で汗を拭う。


「こっちも準備が出来たぞ、後はそのエルフを鍋にいれるだけじゃ」


「よし」


 白毛はプリムラだった肉塊と内臓を手にすると、ひょいひょいと沸騰する鍋の中へ入れていった。


「後は肉がグズグズになるまで茹でたら出来上がりじゃな。

 久しぶりのエルフの肉じゃ、腕によりをかけたわい」


 歯抜の言葉どおり、鍋からは何ともいえない、いい匂いが漂ってきていた。


「本当だ、すごくいい匂いがする」


「白毛が初めて仕留めたエルフだからな、一番旨いところはお前が食えよ」


「え、いいのか?」


「遠慮すんな。最近はお前に頼りっきりだったしな、その礼も兼ねてだ」


「みんな………ありがとう」


 さきほど、白毛に対し疑惑の目で見た心苦しさもあるのだろう、オークたちが白毛を囲み口々に声を掛けている。

 それに対して、白毛は快活な調子で答えていた。


「…………………」


 そんな白毛の様子を、ギザ耳だけが不可解な面持ちで眺めていたのだった。





「ふぃー、食った食った………ってほどでもねぇーけど」


 牙折はプリムラのスープを平らげると、人心地がついたようにそう呟く。

 久しぶりに食すエルフの肉はやはり美味であり、群れのオークたちは各々笑顔を浮かべてスープを啜っていた。

 白毛もまた、スープを平らげると群れの仲間たちへ声を上げる。


「みんな、聞いてくれ!」


 突然の白毛の言葉に、オークたちはざわつきながらも白毛へ目を向ける。

 白毛は仲間たちが自分へ注目したことを確認すると、仲間たちへ向けて頭を下げた。


「みんな、さっきは取り乱すようなことをしてすまなかった。

 特に頬傷、お前には暴力まで振るってしまった、申し訳ないと思っている」


「…………………」


 頬傷はスープを口に運びつつ、白毛に目だけを向けて沈黙を守る。

 白毛は構わずに言葉を続けた。


「今回のことで、馬鹿な俺にもようやくわかった。

 俺はオークだ、みんなの仲間だ。

 確かに俺は母体の下へと通っていた、しかしいまはそれが愚かしいことであったとわかったんだ」


「エルフから俺は何も得られなかった。

 あんなものはいなければ良かった。

 アレを殺したことで、俺もみんなと同じ気持ちに―――心からオークの一員になれたと思うんだ。

 だから、これからもよろしく頼む!」


「よろしく頼むのはこちらの方だ、白毛。

 これからも指揮官として、俺たちの力になってくれ」


「ああ!」


 片目が隻眼を細めてそう応えると、白毛は力強く頷く。

 すると、群れからぱらぱらと拍手が起こり始めた。


「みんな………」


 白毛の言葉に、群れのオークたちも笑顔を浮かべ手を叩いていた。

 どこか違う雰囲気を持っていた白毛が、本当の意味で群れの一員になってくれたことを皆、喜んでいるのだ。


「みんな、ありがとう!

 騎士団との戦争もいよいよ正念場だ! 俺はこの群れの一員として尽くすことをここに誓おう!」


 白毛は腕を振り上げ、そう宣言する。

 その声は力強く、決意の篭ったものだった。


 ―――少なくとも、群れのオークたちにはそう聞こえていた。




 白毛の宣言から数拍の時間が経ち、広場に集まっているオークたちの姿もまばらなものになってきたころ。

 ギザ耳は白毛が森の方へ姿を消していこうとするのを、その目に捉える。

 妙に思ったギザ耳はその後を追い、白毛の肩に後ろから手を触れる。


「―――!」


「おい、どうした白毛。どっか行くのか?」


 いつもの調子でギザ耳がそう問いかけると、白毛はゆっくりと振り向く。


 白毛は無表情だった。

 それは表情を失ってしまったかのような、石のような虚無。

 その紅い目は何も移さず、まるでどす黒い血溜まりのように濁り、光を失っている。


「手を離せ」


「あ………ああ」


 ギザ耳が手を離すと、白毛は無言のまま森へと進んでいく。

 もう、ギザ耳へ目を向けることは無い。


「白毛………いったいお前はどうしちまったんだよ………?」


 だんだんと闇に紛れ、消えていく親友の白い背中を見つめたまま、ギザ耳はそう呟くことしか出来なかった。





 白毛はオークの集落から離れると、暗い森の中を1人駆け出した。

 月明かりすら照らさない、深く暗い森の中をただ闇雲に全力で駆けて行く。

 走る白毛の顔には、耐えられなくなったかのような苦悶が浮かんでいた。


「ぐ………あ、あぁぁ―――」


 白毛の喉の奥から呻きが漏れる、それは低く、深く、轟くような、そんな声。


「あ゛あああああああああ!!!!」 


 白毛は絶叫する。

 声門の奥が裂け、血が喉から飛び散っていったがそんなことはどうでも良かった。


 ただただ、苦しいのだ。

 胸の奥が万力で潰されているかのようだ。

 頭は燃えるように熱いのに、心は冷えて凍えてしまいそうだ。

 ひどく、喉が渇く。

 耐え難い苦しみは、どんなに走れども、叫べども、白毛を解放してくれる様子は無かった。



「ぐぅ………!」


 突然、白毛の体を激しい嘔気が襲う。

 白毛はその衝動のままに、腹の中の物を全て吐き出す。

 口から飛び散る大量の吐瀉物、それはプリムラの肉や臓物。

 仲間の前で笑顔さえ浮かべて食して見せた、母で作ったスープの残骸だった。


 白毛は腹の中が空っぽになっても、更に吐き出そうと喉の奥へ乱暴に指を突きいれる。

 しかし、なんどえづいても吐き出されるのは血の欠片だけとなっていた。


 白毛の目からは大量の涙が流れる。


 力尽きたように仰向けに倒れ、ひたすら涙を流し続ける白毛の視界を、大粒の白い塊が浮かんでは消えていく。

 それは、白毛と同じ色をした大粒の雪。

 先程までは微かに降っていた程度の雪が、その勢いを増して森を白く覆い尽くしていた。

 雪は、森と一緒に白毛の紅い血に染まった体を、また白色へと戻していく。


 そうだ―――俺が生まれたのは、こんな雪が降る日だったのだ。


 白毛は手にかかった雪の破片を眺めながら、過去の記憶を蘇らせていく。

 最も古い記憶は、白毛が生まれた直後。

 震える自分抱きしめながら、向けてくれた母の笑顔の記憶。



 母さん―――

 

 生まれたばかりの、死に体であった自分を助け、凍える体を温めてくれた母さん。

 醜悪なオークの自分を、笑顔で抱きしめてくれた母さん。

 闇を恐れ、一人で眠れなかった自分を抱きしめて添い寝してくれた母さん。

 沢山のことを教えてくれた母さん。

 優しくしてくれた母さん。

 愛してくれた母さん。

 


 守りたいと思っていた。

 幸せになって欲しいと望んでいた。

 いつも笑顔でいてもらいたいと願っていた。

 ―――ずっと一緒にいたかった。



『はじめまして、私があなたを産んだんだよ。

 お父さんは誰だかわからないけれど………お母さんって呼んでね』


『あなたは白毛しろげっていう名前になったんだね。

 じゃあ白毛、これからもよろしくね』


『この本の内容が知りたいの?

 うん、いいよ。お母さんが読んであげるね』


『大丈夫、白毛は賢くて、優しいオークだから、いつか群れのみんなもわかってくれるよ』


『友達が出来たの? 良かったね白毛。

 友達は大切にするんだよ? あなたが友達の力になってあげたら、友達もきっとあなたの力になってくれると思うから』


『大きくなったね白毛、あっという間にお母さんより背が高くなっちゃった。

 ううん、うれしいの。お母さんは白毛が立派に大きくなってくれてうれしいんだよ』


『白毛、狩りに行っていたんでしょ? 大丈夫だった? 危ないことはなかった?

 お母さんは心配だよ、貴方は体が弱いんだから………』

 

『ごめんね………白毛。

 お母さん、体が弱いから、あなたを強い子に産んであげられなかった………きっと、白毛はそのせいで、沢山つらい思いをしてきたんだよね……』




『白毛、生まれてきてくれてありがとう。

 あなたに会えて、お母さんは幸せだったよ』


 

 幸せだった?


 そんなわけがあるか


 あんな汚い小屋に閉じ込められて


 下賤なオークに何度も陵辱されて


 俺のような屑を孕ませられて


 挙句、その俺のせいで殺された


 それで幸せだったと言うのか、あなたは………!



「ふざけるな………」


 白毛の喉から搾り出すように声が漏れる。

 それは怨嗟の篭った声。

 誰に向ければいいのかわからない、憎しみに満ちた慟哭だった。


「ふざけるな………ふざけるな! 

 馬鹿野朗!! 馬鹿野朗!!!」


 白毛は起き上がると、衝動のままに木へ頭をガンガンと打ちつける。

 額が割れ、血が噴出すが、今の白毛には何の痛みも感じられない。

 ただ、怒りのままに、嘆きのままに自らの体を傷つけ続ける。



 人間との戦争?

 群れの存亡?


 そんなもの、どうでも良かったのだ。


 あの小さな部屋で2人きり

 いつまでも、あなたと話しをしていたかった。


 だって―――


 俺には、あなたしかいなかったのだから。


「あ゛あああああぁ!!!!」


 白毛は、もう何が何だかわからなくなっていた。

 ただ、心の奥から絶え間なく押し寄せる苦しみに流されるまま、叫び声を上げ続ける。



 純白の雪が降り続ける、漆黒の空の下。


 名前も無い、鬱蒼と木々が茂った深い森の端で。


 悲しみに我を失った、雪のように白いケダモノ


 いつまでも


 いつまでも


 慟哭に震え続けるのだった。

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